ナディスの言葉が、実質とどめとなってしまった。
ぐうの音も出ない正論を、真正面から思いきりぶつけられてしまい、令嬢たちも、イザベラも、全員が下を向いている。
「……」
「まぁ、喧嘩を売ってきたそのメンタルは認めて差し上げますが……次からは、相手をきちんと理解したうえで、喧嘩を吹っかけることをお勧めいたしますわね?」
「……は!?」
「貴女方、きっとわたくしが何と呼ばれているのか……知らないでしょうから」
にこり、と綺麗に微笑んだナディスに、その場の全員が見惚れた。
しかしその笑みが猛毒を孕んでいるだなんて、きっと、誰も気付きはしない。
「あら、怖い?」
ナディスの問いかけに応じることの精神力を持っている令嬢など、いなかった。
「……そうねぇ、それが普通の反応、かもしれないわ。ふふっ、静かでいられて、とーってもおりこうさんね」
子供に言い聞かせるように、声だけはとても優しいのに目の奥にある迫力はとんでもないものだった。
かつて、ナディスがこの人生をやり直す前に言われた、あの言葉。
『稀代の悪女め!』
『極悪非道な女が、王太子妃になどなれると思うな!』
何度だって、ナディスは否定をされ続けた。
しかし今はようやく、幸せをつかみ取れるというところまで来ているのだ。
ベリエルは、こんなナディスを全て受け入れてくれた。だから、ナディスは彼の深すぎるともいえるであろう愛に応える。そう決めて、このグロウ王国の王太子妃教育を受け、内容を全て履修し、王妃からも太鼓判を押されている。
彼ときとんと話をするためならば、日々の勉強だって少しでも苦ではない。
こんなことで愛されるのであれば、いくらでも学び続けてやるんだ。そういう意気込みをもって、今もこの場にいる。
ここにいる令嬢たちなんか、誰もナディスのこんな思いを知ることはないだろうから、あえては言わない。
「……っ、ま、まだ認めてなんかいませんからね!」
「まぁ……怖いこと」
「所詮あなたは他国の令嬢ではありませんか!! ベリエル様は騙されているに違いないですわ!」
「……騙す? まぁまぁ、何を、どうやって、どのように?」
とても無邪気に聞こえる声で、ナディスは問いかける。
イザベラはぐっと黙り込み、険しい目でナディスのことを睨みつけているが、双方目を逸らさずににらみ合いを続けていた。
「……」
「……。よろしいですわ、別に何でも。……でもね、やったことの報いはきちんと受けていただきますから」
「報い、ですって?」
「ええ」
ここでようやく、双方の緊張が少しだけ緩んだ、ような気がした。だって、ナディスがとっても綺麗に微笑んでいたから。
しかし、ナディスが表情をふっと変えた途端、ナディスと対峙している令嬢たちは硬直した。
「……っ」
目が、笑っていない。
「――あ、の?」
どうにか頑張って、イザベラが言葉を発した。
ナディスは表情をそのままにして、ゆっくりと再び口を開く。
「貴女方……今まで遠慮なく、誰を侮辱したのかは理解していて?」
「誰を、って」
ひそ、と令嬢たちは互いに囁き合う。
誰を外装としているのか、なんて当たり前に理解している。
だが、それを言ってはいけないような気がした。言ってしまっては、どうにか保っているであろうこの力関係が、壊れてしまうような気がして。
「ねぇ、お答えになってくださらない? 皆さま、誰を、害そうと……しておりまして?」
ナディスは、問いかけを繰り返してきた。
答えを言うまで、決して許さないとでも言わんばかりに、声だけは穏やかなままでナディスはまた続ける。
「ああ、良いんですの。わたくしを害すならばそれでね」
どうして、こんなことを、この人は言うのだろうか。
ふと考えて、意味を理解することで己の家の利益などについて、即座に計算できた令嬢は果たしてどのくらいいたのだろうか。
このお茶会に参加している、グロウ王国の令嬢は総勢15名。
揃って、名家の貴族のご令嬢、あるいは貴族でなくとも大商会の娘であったり、王家に対して何かしらの影響力を有しており、尚且つ、必ずしもそうではないにしても、ベリエルの婚約者候補として名前があがる、推薦されるといった令嬢ばかりなのだ。
ベリエルのことを、ナディスが横からきてかっさらった、と言ってしまえばそれまでではあるのだが、ナディスを選んだのがベリエル自身であり、王妃や国王にもその実力はしかと認められている令嬢を、人数がいくら限定されているとはいえ、こうして公衆の面前で辱めるということをしてしまったのだから、直接的ではないにしても『王家に対して不満がある』とみなされてしまっても仕方がない。
「……ぁ」
とても小さく、イザベラがそれを理解して声を零した。
恐る恐る、ナディスへともう一度視線を戻してみれば先ほどの真冬のような冷え切った眼差しではない、どこか生温い目を向けている。
目元は少しだけ下がっているにも関わらず、言外に『ああ、ようやく理解したか』と言っているのは間違いない。
恐らく彼女が口を開けば、こう告げるだろう。
『だからベリエル様から選ばれないのよ、お馬鹿さんたち』
決してナディスはそんなこと言っていないのにも関わらず、そう聞こえるのは、己自身がナディスのことを恐れているから、なのだろうか。イザベラの心を、今、ようやく恐怖が支配していく。
直接的に言わずとも、じわじわと、真綿で首を絞めることが出来るのだ、とイザベラははっと理解してしまった。
今、謝らないととんでもないことになる。
そう察し、イザベラはすっと立ち上がり、ナディスの元へと歩いていって、深く腰を折り、頭を下げた。
「……この度は、王太子妃殿下に対し、とんでもない無礼を働きましたこと、心より、お詫び申し上げます」
「まぁ」
「イザベラ様!?」
「どうして!」
令嬢たちはわっと叫んでいるようだが、イザベラの耳には入ってこない。
今はただ、ナディスに対して頭を下げ続けるだけ、彼女が許してくれない=ベリエルがどういう行動に出るのかを読み切れない、ということだ。ベリエルはとてつもなくナディスを愛している、と聞いた。
ということは、何をやっても結果は見えている。
「……王太子殿下がお選びになった御方に対して、無礼極まりない態度を取ったこともそうです。重ね重ね……大変申し訳ございません」
誰かが、『あ』と呟いた。
「(ようやく、皆さんがお気づきになられたようで)」
にこ、と微笑んでナディスが全体を見渡すと、全員が硬直しているのが見えた。
ナディスは、国同士の取り決めによって結婚はした。
だがしかし、その地位を手に入れたのはナディス自身の力だということを忘れてはいけない。彼女自身の勉学に対する意欲の高さ、大切に想っている人をきちんと支えてみせるから、という強い意志、そして、行動力の凄まじさ。
それら全てを兼ね備えているナディスは、改めて王太子妃にふさわしい人だと言えるだろう。
ようやく気付いてくれて、ありがとう。これで堂々とナディスはベリエルの隣を歩けるし、もう邪魔者は入らないと思うから、ナディスはとても楽しそうに、微笑んだままでこう続けた。
「ああ、別にベリエル様に抗議なさっても良くてよ。何も変わらない、っていうことだけが貴女方に突き付けられるだけですからね」