ナディスとグロウ王国の高位貴族のご令嬢たちは、何だかんだで和解をした、といっても良いかもしれない。
いや、和解、というよりは勝手に難癖つけられたナディスが、自分の有用性をしっかりと見せつけたことで、令嬢の従者も含めて多くの人からの称賛を受けることになった、というべきだろう。
「嵐、でしたわ」
「すごかったね」
「女性の嫉妬をここまで受けたのも久しぶりですが……ベリエル様?」
「うん?」
「一体何人のご令嬢に涙を流させたのです?」
「う」
ナディスのジト目交じりの問いかけに、さすがのベリエルも言葉に詰まってしまう。
呆れたような、けれど『仕方ないですね』という台詞が聞こえてきそうなナディスの表情に、ベリエルは思わず見入ってしまうが、嫌われてはいないようで安心する。
最初こそ政略結婚をする気満々で、ナディスがどれだけ頭が良いと言われていようとも、それは過大評価だと思っていた。
しかし、実際会ってみるとナディスは言葉通り聡明で、知識を身につけようとしている姿勢そのものも素晴らしく、グロウ王国に転移ゲートを使って通いながら王太子妃教育までもを済ませてしまった。
二度目の人生をやり直しているとはいえ、誰かのためにここまで尽くせる人というのもいないだろう。
「ねぇ、ナディス」
「何ですの」
珍しくジト目のままで、じーっとベリエルのことを見ているナディスだったが、少ししてからふっと表情を崩した。
「……ナディス?」
「まぁ、良いですわ。ベリエル様ほど素敵な人であれば、婚約者候補など星の数ほどいたでしょうし」
「いや、そこまではいないんだけど」
「え?」
「この国の高位貴族の令嬢で、俺より頭が良さそうな人に声をかけていたんだけど……そうでもなかった、ってだけで」
「(そうでもなかった、って)」
<(すんげぇこと言った)>
なお、会話していたのはナディスに与えられた私室だからこそ、この二人は遠慮なくこうして素をさらけ出している。
とはいえ、ツテヴウェがしっかり見ているということは忘れてはいないらしく、ある程度の慎ましやかにもしているが、猫の姿のツテヴウェがやってくると、ベリエルは遠慮なく抱き上げた。
「おや悪魔、どうしたんだ?」
<モテ男は言うことがちがうなー、って思っただけだって。離せコラ>
どうやら抱き上げることに関してはナディスが一番しっくり来ているのか、ツテヴウェは嫌そうに体をよじってみるが、どうにも離してくれないので前足をベリエルの顔面にむにりと押しあてる。
「むぐ」
「あら、まぁ」
<なーんか抱き上げ方へたくそなんだよ>
「わたくしがいつも抱っこしていたからかしら」
「そのあたりも、さすがはナディス、というべきかな」
「でも」
さっきの話は終わっていないとばかりに、ナディスはまたベリエルをじっと見つめる。
「きちんとお断りしたのでしょう?」
「……ん?」
「ご令嬢たちに、です」
「ああ、婚約の件?」
「他に何がありまして?」
「ええと……」
ベリエルは当時のことを思い出してみる。
自分は、彼女たちに何と告げたのだろうか、と考えてから、はっと動きを止めた。
<止まった>
「何かお考えなのかしら」
<百面相始めたぞ>
「貴重なものが見れたので、わたくし何でもいいですわ」
ナディスとツテヴウェは淡々と会話をしているが、ベリエルは過去の己の発言を思い出してから頭を抱えて叫びたいと思いつつも、ナディスの前でだけはしたくなかった。
ナディスは恐らくどんなベリエルのことも受け入れてくれることは間違いないのだが、ベリエル自身の問題、とでも言うべきか。しかし今はそれどころではない。
出てくる出てくる。
過去の、ベリエル自身の相当痛々しい発言の数々。
『そなた、どうしてここまでお馬鹿で生きていられるのだ?』
『……いかんな、まさかここまでついてこれないなんて』
『おい、侯爵家令嬢なのにこんなことも知らないのか? もっと勉強時間を増やしても良いのではないか!?』
『……まったく、そんな程度の知識じゃ王太子妃になったとしても大変なだけだぞ?』
「……ナディス」
ひとしきり後悔と、己に対してどうにか戒めをしたところでベリエルはナディスのことをちょいちょいと手招きして呼んでみせた。
「まぁ、何ですのベリエル様。顔色がとっても悪いわ」
<投げないでくんないかなぁ!?>
抱っこしていたツテヴウェをぽーい、と軽々投げ捨て、ナディスはいそいそとベリエルのところに行ってから隣に腰を下ろす。
座り心地の良いソファは、ナディスのために特別に仕立てられたもの。王妃の気遣いを感じてほっこりしていると、ベリエルはとんでもなく悲壮な顔でナディスを見てきた。
「べ、ベリエル様?」
「捨てないでくれナディス!」
「……は?」
何をどうして、どういう答えを導き出したというのだろうか。
あまりにぶっ飛んだ発言に、ナディスはとんでもなく訝しげな表情になって、ベリエルの額に手を当てて熱をはかるが、至って平熱。
「熱はございませんのね」
「ない」
「ベリエル様があまりに素っ頓狂な発言をなさいましたので、わたくし急な発熱でもあったのかと」
「ないない」
「でも、捨てないでくれ、だなんて」
んもう、と困ったような声で呟くナディスは、普段見られないようなベリエルの姿を見て嬉しそうに微笑んでいる。
そんなナディスを見て、ベリエルは子供のように拗ねているけれど、ナディスが隣に来てくれたことで少しだけ機嫌が直るものの先ほどのうっかりした捨てないでくれ、という発言をしてしまったためにバツが悪そうにしていた。
「……ベリエル様」
「……ん」
優しい声でナディスに呼ばれ、そのまま手を伸ばしてナディスの体をぎゅうっと抱き締めた。
「あら」
抱き締められ、嬉しそうに微笑んでいるナディスは、ベリエルの背中に手を回して自分からも体を寄せた。
こうして密着していると、互いの体温が伝わりやすくなるだけではなく、とくとくという鼓動も聞こえてくる。ああ、抱き締められることはこんなにも安心するのかと、ナディスは嬉しそうに微笑んで目を細め、ベリエルにすり寄った。
「……で、先ほどの捨てないで、は一体どうしましたの?」
「俺が……」
「はい」
「令嬢たちを、結構ひどい、言葉で……その、振っていて」
「あらまぁ」
「だから、令嬢たちも……その、だな。ある意味再戦を誓っていた、というか何というか」
「ちょっと」
ほんわかとした空気がベリエルの一言で木っ端みじんになってしまった。
抱き着いていたナディスだったが、一旦体を離して笑顔を一度だけ封印してからジト目でベリエルを見ながら問いかける。
「ベリエル様、一体どのような言葉をかけまして!?」
「その……」
話したくはなさそうだったが、話すまでガン見しているナディスの迫力に負けて、ベリエルが過去の発言をぽつぽつと語り始める。
ミハエルほどひどくはない。
いや、比較対象がおかしいかもしれないが、ベリエルも結構な暴言をほいほい吐いている。
「……それは……まぁ、イザベラ様をはじめとしたご令嬢の皆さま方が再戦というか、成長して知識を蓄えてもう一度王太子妃候補になろうと躍起になってもおかしくないではありませんか! んもう!」
「す……すまん」
「謝るのであればわたくしではなくイザベラ様からご順番になさいませ!」
「は、はいっ!」
<……尻に敷かれんなぁ、これ>
ベッドの上で欠伸をしているツテヴウェは、言い合いをしているナディスとベリエルの間の、互いをしっかりと理解している空気を感じ取って、ひとつ『ふあ』と欠伸をしたのであった。