彼を初めて見かけたのは、他の令嬢に連れられて行った騎士の訓練場だった。
彼女が片想いしているという騎士へみんなで差し入れをしに行くというので、ただただその付き添いのつもりだったのだが、私だけ手ぶらで行くのもどうかと思い、家のメイドへ適当に差し入れを包むように頼んだのだ。
その時は中身にも、そして騎士たちのも興味は無かった。
だって私は伯爵家の一人娘で、家のために少しでもいい家の男性との婚姻をしなくてはならなかったから。だから、一騎士になんて構っていられないとその時は思っていたことを覚えている。
みんなとは違い目当ての騎士がいるわけでは無かったので、持ってきた差し入れはたまたま近くを通った騎士に手渡した。その行為にも、渡した相手にも意図はない。
「あー、差し入れ? ありがとうございます」
ぶっきらぼうに受け取ったのは、私とあまり年の変わらなそうな一人の騎士だった。
どこか不機嫌にすら思えるその態度に若干渡したことを後悔しつつ、まぁこれで友人への義理は果たした、くらいの気持ちだった。
「サンドイッチか」
「丁度いいな、休憩ー」
その場を仕切っている騎士がそう声をかけると、友人の令嬢たちが色めき立ったのでその彼が目当てなのだと知る。
それと同時に私の差し入れをたまたま受け取った騎士は特に騒がれることもなく、その声をかけた騎士の近くに座りサンドイッチの乾燥防止にとかけてあったハンカチを外し、にこりと笑った。
(私には笑顔なんて向けなかったのに)
サンドイッチには向けるその笑顔に腹立たしさを覚える。無機物に負けた気になった私は、その日はただただ悔しいと思っただけだった。
その翌日も誘われた私は、正直連日なんて面倒だな、なんて思いつつ彼女の兄は王城に務めていることを思い出し下心百パーセントで同行することに決めた。王城に務める令息へ繋がる大事な伝手だ。
「本日も差し入れをお持ちされますか?」
そうメイドに聞かれ、別にいらないと言おうとした口を慌てて閉じてただ頷く。
(あの騎士が今日も笑顔になるのか見てやるわ)
それはサンドイッチに負けたという悔しさからくるただの思いつきだった。
昨日は偶然近くを通っただけの騎士に渡したが、今日は昨日渡した騎士を探して渡した。別に彼に差し入れをどうしてもしたいというわけではもちろんないのだが、今日は差し入れを見てどんな反応するのかが見たかったのだ。
(今日は昨日とラインナップ、変えて貰ったのよね)
彼にドキドキしているわけでは決してないが、反応が知りたくて心臓が高鳴る。
相変わらず私へはそっけない態度だが、今日の差し入れには彼が笑顔を振りまくのだろうか。そう思うと少し緊張し、気付けば私はゴクリ喉を鳴らしていた。
そしてその結果、彼は無反応だった。
その事実に苛立ちが募る。
「なんなのよ!」
「え、イェッタどうかした?」
思わず声を荒げた私に驚いた様子の友人。彼女に「なんでもない」と伝え、微笑みで誤魔化したが内心ははらわたが煮えくり返るようだ。
人の差し入れに無反応! 私にそっけないのも腹立たしのに、差し入れまで気に食わないのかと思った。
それから色んなものを差し入れた。
高級な食材を使ったサンドイッチや、珍味の類。もちろん甘いものを差し入れたこともあるし、ほぼ嫌がらせのような辛さに特化したものも差し入れた。
けれどどれを見ても彼は笑わなかった。常に一定。少しぶっきらぼうなその姿しかラインナップがないのである。
「どれなら満足するのよ! 高いものも、珍しいものも。何にも反応しないじゃない!」
毎日苛立ち、毎日悔しさを滲ませながら帰宅した。
そしてもうレパートリーがなくなった私は、結局最初に差し入れをした『たまごサンド』を持って行った。
原点回帰、なんて言えば聞こえはいいが、実際はただのネタ切れである。でも。
「あ。ははっ、たまごサンドだ」
(えっ)
すっかり私から差し入れを受け取るのが定番になっていた彼が、私から受け取った瞬間にそう言って笑ったのだ。
驚いて渡したバスケットへと視線を向けると、少しだけ被せていたハンカチがズレて中のサンドイッチが見えていた。そしてその具に彼が反応したのである。
「いつもありがとうございます」
「い、いいえ」
中を先に知ったからか、サンドイッチへ向けられていた笑顔のまま私にもお礼を言う。
それはたまごサンドが作り出した笑顔だったけれど、まるで私に笑いかけてくれたように感じ心臓が早鐘を打っていた。
「良かったわね、イェッタ」
「え? いや、私はその」
「毎日熱心に差し入れしたかいあったじゃない」
(ただどの具が好きなのか知りたかっただけで彼自身が目当てってわけじゃないのに)
まるで私が彼を目当てに通っていたみたいに言われ、不服に思うが実際のところある意味では事実なので何も言えない。
でもどうしてか、悪い気はしなかった。
それからはたまごサンドを頻繁に差し入れた。
同じものばかりだと彼が飽きてしまうかもしれないので、パンを固いものにしたり、香ばしく焼いてから挟んだり。
ハーブを卵に混ぜてサンドを作って貰ったりと、同じたまごサンドでも色んな種類を作って持って行った。
そしてわかったのは、彼がどうやらたまごサンドならなんでも好きだということだ。
卵が好きなのではないようで、他のたまご料理にはあまりいい反応は返さないくせに、それがただパンに挟んであるというだけで彼を笑顔にした。
そのことがなんだか面白く、嬉しそうにたまごサンドを食べる彼を見ることが私の楽しみになっていた。
最初は名前も知らなかったが、必要ないと言っているのに友人たちが勝手に彼の情報を持って来てくれた。
そして知ったのは、彼がオスキャルという名前で、スワルドン伯爵家の三男、魔力が強く将来に期待されている騎士だということだった。
伯爵家の三男なら、彼は将来どこかの令嬢の家に婿入りする可能性が高い。
もちろん騎士として有名になれば話は変わってくるかもしれないが、貴族の三男というのはどこも肩身が狭いものだった。
(私は一人娘で、だから婿を探していて。同じ伯爵家なら、悪くはないわよね)
別に何かがあるわけでは無かったが、そんなことが頭を過るようになった、そんな頃。
私が差し入れを初めて二年がたった時だった。
リンディ国に新たなソードマスターが誕生した、というニュースが流れたのだ。
そしてそれが、他でもないオスキャル様だった。
彼の努力が実ったことも、彼が注目されることも嬉しかったが、今まで他の騎士にキャーキャー言っていた令嬢たちが急にオスキャル様目当てになったことは不満だった。
それでもこの二年、一方的にだが頻繁に差し入れをしていた私が誰よりも優位なのだと思っていた。
だって私は、彼がソードマスターになる前からずっと応援していたのだから。
──それなのに。
「どういうこと?」
一面のニュースを見て思わずそんな言葉が漏れる。
その記事には、オスキャル様が幽霊姫の専属護衛騎士に任命されたということが書かれていた。
「今まで表に一度も出てこなかったくせに」
それなのに、彼を縛るその末の姫が憎くて仕方ない。
だが相手は王族だ。幽霊なんて呼ばれ蔑まれているとしても、彼女の命令にはオスキャル様ですら従わなくてはならないのだ。
(絶対彼も嫌々のはずよ!)
面倒を押し付けられたと、きっと不満を持っていると思った。ソードマスターになったのにあんな引きこもりの幽霊なんかに仕えなくてはいけないと呆れ、ガッカリしていると思っていた。
引きこもりの相手は厄介なようで、彼が頻繁に通っていた訓練所にはなかなか顔を出さなくなっていたが、諦めず何度も通っていた私は一度だけ遭遇した。
一度だけなのは、遭遇した時、彼が幽霊姫の話をしながら笑っていたのを見たからだった。
「私には、たまごサンドのついでにしか笑ってくれないのに」
それなのに表にでないあの幽霊姫は、彼を笑顔にできるのだと知り悔しくてもう訓練所に足を運ばなかった。
幽霊姫の護衛騎士なのであって幽霊姫の婚約者ではない。だから、我が家から婚約の打診を入れることだって可能だったけれど、彼の笑顔を見た時からきっと断られるのだと察してしまった。
そしてそれと同時に胸の奥でくすぶる感情に気付いてしまった。
私は思っているよりもずっとずっと、彼が好きで、それを自覚した時にはもうこの恋の終りを思い知らされていたから──
「それでも、おめでとうございます」
伝えられなかったその祝いの言葉はただ宙へと消えた。
それは彼がソードマスターという、誰もが憧れる力を手に入れたことに対してか、それとも彼が自然と笑える相手の側にいれるからなのかは私にもわからなかったのだった。