「ねぇ、妖精姫って知ってる?」
それは隣国にいる従姉妹からの話だった。
「こっちでも有名だとは思うんだけど、幽霊姫って言ったらわかるかしら」
「それは前提が違うな」
にこにこと話す彼女に首を振り、そして諭すようにゆっくりと話す。
「この世で幽霊なんて呼ばれるような女性はいない。全員がそれぞれ違う美しさを持った花であり蝶なんだ。あぁ、可憐な彼女たちに今日はどこで出会えるだろう?」
「そ、そう」
ボクのその説明を聞いたイェッタが若干顔を引きつらせながら頷く。そんな表情の彼女ももちろん可愛い。
この世の女性というのは素晴らしい。母になるという神秘を秘め、そして美という天からの授かりものを全員が装備している。近寄ればいい香りがするし、何人もが固まっているとまるでそこは花畑か楽園だ。
ボクも美を意識している方だが、どうしても骨格で女性のような神秘的な丸みを帯びた美しさは表現できない。
それこそが彼女たちが花であり蝶である所以だろう。
……と、そんなことを考えていると、イェッタが大きく咳払いした。
「幽霊姫は、王族なのに魔力もなく、何も持たなかったんですって。色は王家の色を持ってるなんて噂もあるけれど、公の場に出たことがなくて誰もその姿を見たことがないところを見ると、その噂は少しでも末の姫を擁護するために王家が流した嘘じゃないかって言われているわ」
その噂は知っていた。
王妃の崩御と同時に誕生した悲劇の王女。
王族ならば必ず持っているという魔力にも恵まれず、誰も姿を見たことがない末の姫。
生まれつき体が弱いため公務にも出れず、その結果王族だというのに他の貴族から蔑まれ、ついたあだ名が『幽霊姫』。
「でもそもそもが違うという説があるの」
「説?」
もったいぶったその説明に、少し興味を引かれたボクが彼女の方へ耳を傾けると、この部屋には誰もいないのに少し声を落として彼女が説明を続ける。
「幽霊姫というあだ名を流したのが、そもそもの王族という話よ」
耳打ちされたその言葉に思わず眉をひそめてしまう。
それはもしや、王妃の命を奪ったから、ということで冷遇されているということなのかと思ったからだ。
だが、そんなボクの推測を軽く首を左右に振って否定したイェッタがにんまりと笑った。
「逆よ。あまりにも美しい末姫に変な虫がつかないようにわざと反対の噂を流したの。だから部屋に閉じこもっているはずの彼女の護衛に、国に十人ほどしかいないソードマスターが選ばれたのよ」
そう告げられまるで体に雷が落ちたかのような衝撃を覚えた。
(だからこそ実態は『妖精姫』ということなのか!)
確かにイェッタの言った話は筋が通っている。
深窓の姫である彼女がいるのはもっとも安全であるべき王城だ。それなのに護衛がソードマスターだなんて、何かあると言っているようなもの。
もし彼女が冷遇されているならばそもそも護衛なんてつけられないはずなのに、専属護衛がソードマスターだなんて前代未聞だ。
つまりそれだけ美しく、儚い妖精ということなのだろう。
「変な虫から守るために、とはいえ、このまま一生彼女を閉じ込めることって幸せなことなのかしら」
「それは……確かにそうかもしれないね」
心配そうにため息を吐くイェッタに同意する。守るためとはいえソードマスターまでつけ王城から一歩も出ないなんて、そんなの蛹のまま生涯を終えた蝶みたいではないか。
軽い軟禁状態の妖精姫を思い、ボクの艶やかな心がツキリと痛んだ。
「でも、隣国ならどうかしら」
「?」
「それも公爵家。家柄も十分だし、友好国同士の絆もより確固たるものになるわ。それにミックなら、そんな妖精姫に相応しいと思うの」
「確かに、ボクも美には心得があるからね……!」
イェッタの言葉にさっきよりも激しく同意したボクは、すぐさまペンを手に取った。
「すぐに求婚状を書こう! 愛しのボクの妖精姫。さぁ、同じく妖精のようなボクと楽園を飛ぼうではないか!」
「いいわね、ちょっと怪しいけど家柄が釣り合っていることには間違いないわ!」
そうしてボクは妖精姫への求婚状をパッションが溢れるまま書き上げたのだった。
──が。
「流石、妖精姫。ハードルが高いね」
返ってきたのはやんわりとした言葉で紡がれるお断りの手紙だった。
きっとボクを知らないからそんな返事が返ってくるのだろうと思ったボクは、まだ見ぬ妖精に会うために隣国へ向かう準備を始めたのだが、なんとそのタイミングで貴族の令息を含めた隣国の騎士たちとの合同訓練が開催されたのである。
正直必要以上の筋肉なんて美しくないと思っているボクだが、その講師として来るのがまさかの妖精姫の護衛騎士だと聞き参加を決めた。
専属の護衛である彼が護衛対象と離れるのは、流石に部屋から出ない深窓の姫である彼女の相手だけではソードマスターである彼の仕事が足りず、世間からバッシングが来る可能性を考慮した措置と聞く。
(確かに、ソードマスターをただ王城内で飼い殺しにするというのは外聞が悪いからね)
その理由には大いに納得したが、護衛騎士がいない状態で彼女への面談希望が通るかといわれると、否だろう。
ならば、まず近付くべきは彼だ。
ソードマスターである彼の信頼を得れば妖精姫への面談だって通る可能性がグッと上がる。
心配事といえば、恋人と一緒に来るという情報が入っていることだけ。
何しろボクは美しい。彼の恋人がボクに惚れてしまう可能性だってある──そう、思っていたのだが。
(ふぅん。まさか彼女の瞳にすら映らないとはね)
彼女がボクへ向けるのは好奇の視線のみ。
特別な視線はすべてオスキャル卿へと向けられていた。
それ自体は悲しき火種を生まなくて喜ばしいことなのだが、それと同時にボクの心に小さな違和感を残した。
彼女の瞳に映るのがボクではないことが、少し悔しい、なんて。彼女から手渡されたハンカチを気付けばぎゅっと握ってしまう。
もしこのまま妖精姫と対面を果たし、きっとその美しさにボクは心を奪われるのだろうが……それは、彼らのように想い合う未来も得られるのだろうか、と思ってしまったのである。
けれど今ボクの心を動かした彼女は、ボクの運命ではないのだろう。そのことに、こんなに仄暗い感情を抱くとは自分でも思わなかった。
「これが羨むという感情だろうか」
思わずぽつりと溢した言葉に少し驚く。
ボクは、羨んでいたと改めて実感させられた。
まっすぐに想い合う彼女たちに、互いだけを特別に見つめるその視線に。いつか、ボクもそんな〝運命〟のような相手と共に過ごせたら。
もしかしたら、妖精姫に会った瞬間に運命を感じるかもしれないけれど。
(でも、彼女を救いたいとか釣り合うとか、そんな感情じゃなくただただ想いあえたなら)
身分なんて関係ないと思えるくらいの誰かと出会えたのなら。
ついそんなことを思わされてしまったのだ。
だがボクは公爵家を継ぐ者だ。平民の彼女は選べないし、そして彼女もボクは選ばないという確信がある。それと同時に、もし彼女がボクを選ぶ可能性が残っていたらボクはどう判断したのだろうと自分の気持ちに苦笑した。
(貴族だから選ばない、なんて。まさかボクが負け惜しみを口にすることになるとはね)
「ボクも唯一と言い切れる相手と出会えたら。きっと、すごく素晴らしい日になるのだろうね」
そんな彼らの正体をボクが知り、エヴァリンと名乗った彼女に揺らされた心を閉じ込め運命のふたりを祝福するまで、あともう少し──