これは、密かに、だがずっとお慕いし続けていた相手からの、とんでもない爆弾だった。
「ねぇ、オスキャルってさ」
「え……。な、なんですか。嫌な予感しかないんですが」
「娼館って本当に行ったことないの?」
「は?」
娼館。
今娼館って言ったか?
告げられたその単語に呆然とし固まっていると、何故かじとっとした目を向けられ思わず視線を逸らしてしまう。
(これ、この間ないって答えたばっかなんだけど)
信じてくれていなかったらしいその様子に若干傷つきつつ、なんて答えようか思考を巡らせる。
彼女がこんなことを言い出したのは、先日エヴァ様と一緒に潜入しようとして失敗した『夜闇の館』なんていうとんでもなくダサい名前の娼館のせいだろう。
吸血鬼をコンセプトにしているというその娼館は、他とは毛色の変わったプレイができるともっぱらの評判だった。
なんでもちゅうちゅうプレイという謎の吸血鬼システムが採用されているのだ。
特殊性癖にもほどがある。
とは言え当然、絶賛片想いを拗らせている俺がわざわざそんな変な場所へ行くわけもなく──いや、もしエヴァ様が相手だと言われれば当然ちゅうちゅうする方でもちゅうちゅうされる方でも魅力的ではあるが──
「ちょっと。鼻血出てるけど大丈夫なの」
「……失礼しました、煩悩が少々」
「そ、そのようね」
完全に引いた顔をされたお陰で冷静な思考を取り戻した俺は、血を止めるべく鼻をギュッと摘まみながら彼女の方へと視線を戻す。
「何度も言いますが、俺は行ったことありません。興味もないですから」
「でも、やたらと詳しかったじゃない」
「それは騎士仲間の間で少し話題になったことがあるからで」
「ほら! やっぱりみんな興味があるんじゃない!」
「俺をあいつらと一緒にしないでくれます!? というかエヴァ様も見たでしょ、あのおぞましい化け物を!」
「いや、それは流石に酷すぎるでしょ」
キッパリと否定したつもりが余計なことを言ったせいか、呆れた顔をされた。納得できない。
だがまぁ、確かに俺にトラウマを植え付けた一夜ではあったが、相手は一応仕事として応対してくれようとしたのだ。
エヴァ様の言うことも正しいのでそこには口をつぐみつつ、だが俺はこれだけは、と再度娼館通いの件だけはと言葉を重ねた。
「でも、娼館とか本当に俺は行ったことないので!」
「えー」
「だからなんでそんなに疑うんですかっ」
全然信じようとしてくれないエヴァ様に拗ねそうになりつつ、鼻を摘まんだ手を離すと、どうやらもう血は止まっているようで安心する。
「だって本当に詳しかったんだもん……」
「? だからそれは騎士仲間に聞いただけで俺自身は詳しくないですよ。というか詳しかったらあんなバケモ……娼婦と相対する前にオーラくらい纏ってますって」
「いや、それはそれでどうなのよ」
「とにかく、それくらいするって話です」
流石にバケモノに相対したと思うくらいの恐怖は味わったが、相手はあくまでもそういう職業の一般人。
職務を全うすべく頑張っている相手にオーラを纏うだなんて騎士としてはあるまじき暴挙であるのは間違いないので、呆れた顔のエヴァ様は正しいだろう。
だがここまで疑われるのは正しくない、と主君に対しそう思った俺は、ムスッと唇を尖らせて彼女の方を見た。
もちろんこんな態度は早々に咎められて護衛騎士をクビにされてもおかしくないのだが、この少し変わった姫様はそういった俺の態度にはやたらと寛容で、というよりむしろ進んで受け入れてくれている節もあるので、俺はこのポジションに少し優越感を覚えているのは内緒である。
「それより、どうしてさっきからそんなことばかり気にするんですか」
「え?」
「別にエヴァ様からすれば俺がそこへ行ったことがあろうとなかろうとどっちでもいいじゃないですか」
「そ、れは」
俺がそう聞くと、途端にしどろもどろになるエヴァ様。
完全にさっきまでと反応が逆転したことに少し満足しつつ、更に問い詰めると彼女が視線をさ迷わせた。
そんなところも可愛いが、だがこちらも納得してないのは確かなので食い下がる。
というかエヴァ様に俺が実は娼館に、それもこんなコアな性癖の娼館に通っているだなんて思われるのは心外だ。
「というか本来ならエヴァ様にも行って欲しくないですし!」
「えっ」
「そりゃそうでしょ、一国の姫が行くところではありません」
俺が冷静にそう指摘すると、一瞬驚いたエヴァ様が今度はどこか不満気な顔になる。何故だ。護衛騎士として当然の主張だと思うんだが。
「大体娼館なんて何するところかわかってんですか? ナニですよ!?」
「わかってるわよ、ちゅうちゅうでしょ」
「知識が偏ってる!」
「それに買う方なんだからいいじゃない」
買われる側なんて想像すら許されないと頭痛がした俺は、その前に彼女の口から出たちゅうちゅうという単語ごと抹消すべく頭を左右に大きく振った。
(本当になんでいつもいつもこの人は!)
どれだけ俺を翻弄すれば気が済むのか。
最近なんて、困ってる俺を見るのを若干楽しんでいる節すらある。
酷い主君を持ってしまったと頭を抱えたくなったが、それでも、この間他の誰でもない彼女自身に対抗してプレゼントした捨てられる運命だった薔薇の花を、律儀に部屋へ飾ってくれていることを知ってしまったせいで嫌いになれない。
むしろどんどん沼に引きずり込まれているといっても過言ではないだろう。
(どうせ俺のこの葛藤も気付かないんだよな)
そんなところがズルいと思いつつ、それと同じくらい気付かないで欲しいと思ってしまうのだから俺だって大概だ。
結局は彼女ではなく自分に呆れた笑いを溢しながら、仕方なく騎士仲間に娼館についての情報を教えてもらいに行くのだろう。
(その結果、また変な勘違いされそうだが──)
それでも彼女のしたいことを叶えるためについ色々してしまうのは、惚れた弱みというやつなのかもしれない。
我ながら最高に好きになる相手のセンスがいいな、なんて皮肉なのか本心なのかわからないことを考えてしまったのも、俺だけの秘密なのだから。