「これ以上は認められません!」
「オスキャル」
「追いかければ今度こそアイツのテリトリーです。危険があるかもしれない場所へ、エヴァ様を行かせるわけにはいきません」
「大丈夫よ」
「さっきからどうしてそう言い切れるんですか!」
切羽詰まったように声を荒げるオスキャルにドキリとする。
「もし一方的に害したいなら、こんなまどろっこしいやり方をするはずがないからよ」
「恨みから苦しむ姿を見たいだけかもしれないでしょう!?」
「そうね。その可能性もあるし、もしそうだったら国は混乱に陥るでしょう。でも、オスキャルが言ったんじゃない」
「?」
「もし自分なら、自分を一番許せないって」
「……!」
『俺なら、俺を一番恨むと思います』
それは、確かにオスキャルが私に教えてくれた答えだった。
「きっと、薬を聖女に譲ったことは後悔してないわ。でも、自分を責めているんだと思う。どこにも向けられないやるせなさをぶつけてるだけなのよ。だから、薬だって本物だったでしょう」
三か月という猶予を与えたのは、きっと薬を準備する時間なのだろう。もちろん確証があるわけではないが、もし少ない薬を取り合わせたいならわざわざ聖女を仕立て上げてこの国で権力のある人物に差し出すはずがない。
それに王太子相手というのも気になっていた。権力だけでいえば兄よりも父、この国の国王がいるのだ。
(それでもお兄様を選んだのは、きっとお母様が亡くなっているからだわ)
私の出産時に亡くなったこの国の王妃。〝伴侶を亡くした〟父に付け込むことはできなかったのだ。彼も、同じだから。
「最初から国を脅かすことなんてしたくなかったのよ。遅かれ早かれこの国にも流行り病はやってくるわ。薬になる材料をもう焼き払わないようにの警告をくれたんだと思う」
回りくどいやり方だが、森に住んでいる相手が突然現れ、そう訴えたとして誰が信じるのだろう。薬を譲ってもらった聖女たちなら信じるだろうが、彼女たちにも国をすぐに動かすほどの力はない。それこそ王太子妃という立場にならなければ、預言の聖女なんて大それた偶像を作り上げなければその声が届くのに時間を有してしまうのだ。
(悲しいけれど、それが現実)
「だから行くわ。ごめんね、オスキャル」
私がそう言うと、眉尻を下げ苦しそうな表情になる。私だってオスキャルにこんな思いをさせたくなんてない。だが、ここを譲るわけにはいかなかった。
その決意が伝わったのだろう、私の腕を掴む彼の手が緩む。そして自由になった私は、エルフが走り去った方へと足を進めた。
目的地は思ったより近く、追いかけ始めてすぐに小さな山小屋のような家を発見する。木だけでできたその家は、温かみがあるごく平凡なものだったが纏う雰囲気がどこか悲しげに見えた。
「入ってもいいかしら」
閉ざされた扉をノックし、そう声をかけるが中から返事はない。しかし家の中から小さな物音がしたので彼が中にいると判断した私は、ゆっくりと扉を開けた。
幸いにも扉をに鍵はかかっていない。
中は明かりがついておらず暗かったが、扉を開けたことで光が差し込み部屋の中を照らすと、少し大きめの机と椅子が二脚。カップもふたつと、手のひらより少し大きい瓶が置いてあった。その瓶の中身はどうやら液体のようだが、カップに入れて飲む、というようには見えない。
そしてマントを脱ぎ顔を露にした男性がそのテーブルを挟むようにして立ち、こちらへ視線を向けていた。
彼の耳は、細長い。
「驚かないんだな」
「えぇ。聖女が持っていた薬を調べた時に知ったから」
彼の質問に答えると、エルフこそ驚かずそのまま私から視線を動かす。
そんな彼の視線は、今は誰も座っていないひとつの椅子へと向かっていた。
「彼女は、人間だった」
「え……」
「私とは寿命が違う。いつか彼女を看取る日がくることはお互いにわかっていた。だがこんなに、こんなに早い別れじゃないはずだったんだ」
「そう、なの」
ぽつりぽつりと紡がれた言葉に上手く声がでない。最期の瞬間まで側にいると誓った相手を突然失うその恐怖と絶望はどれほどのものだろう。
「あの草の名前を知っているか」
ポツリと投げられた質問に、「ブライト」と答える。ただ聞かれたまま花の名前を告げただけ。それなのに、何故かこの質問が重要なものの気がした。
「ブライト。そうだな。だが、我々の間では『モーンブルーム』と呼ばれている」
「モーン、ブルーム?」
その聞きなれない別名を繰り返す。我々の、というのは、エルフの中で使われている別名ということなのだろう。
「モーンブルーム。喪に咲く花、という意味だが、それと同時に生者には癒しを与えるという意味もある」
「生者に癒しを……」
彼の説明は、まさしく毒草でありながら薬でもあるブライトにぴったりの別名だった。そうやって、エルフたちの間では伝わって来ていた花だったのだと改めて実感させられる。
(そんな花を、私たちは……)
花粉に毒を含み、風でそれをまき散らす。だからこそ、野に咲くものは駆除すべきだという考えは、今も変わらない。
けれど──すべてを排除せず、もし誰かがその性質を見極め、正しく扱っていたなら。そうすれば彼の大切な人は、助かったのかもしれない。
そう思った瞬間、喉の奥に言葉にならない悔しさがせり上がった。
「お前たちが……、お前たちが! あの材料を焼き払わなければ! 彼女はまだ私のそばで笑っていたはずだったのに!」
「エヴァ様!」
そう怒鳴ったエルフが苛立ちをぶつけるように机の上のものを一気に薙ぎ払う。
机に置かれていたカップと瓶が床に落ち、ガチャンと鋭い音を部屋に響かせながら割れる。割れた破片から庇うように外で待機していたオスキャルが部屋へと飛び込み、私を庇うように前へ出た。
「来ないように!」
一拍遅れて聖女も部屋へと入ろうとしたのを制止する。何故だか嫌な予感がしたからだった。