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第七十一話 ひとつしかない、その薬

「……ごほっ」

 何故か突然咳き込んでしまう。

(?)

 喉がヒリリと痛み、体が熱くて呼吸が苦しかった。くらりと目眩までする。


 視界の端に映るのは割れた瓶だ。

(まさか、あれが病原菌の入った瓶だった?)

 感染する可能性を考えなかったわけではない。だが、こんなに即効性があるものだなんて思わず愕然とした。

 もしかしたら今回の事件を起こし重大性を示すためにエルフによって改良されたものなのかもしれない。


 そして同じ結論に辿り着いただろうオスキャルが、聖女から預かり私が持っていた薬の入っている小瓶を奪う。

 彼の行動を止めるより早くその小瓶の蓋を開けたオスキャルは、そのまま私の口に小瓶の中身を流し込んだ。思わずごくりも飲んでしまう。

(馬鹿!)


 後頭部を押さえられ無理やり飲まそうとしてくるオスキャルの胸をドンドンと叩くが、鍛えた彼はびくともしない。

 小瓶の中身を全てを私が嚥下するまで手を離さないつもりなのか、固定されたまま微動だにしないオスキャルの足を思い切り踏みつける。その衝撃でやっとオスキャルが私を解放するが、小瓶はもう空になっていた。


(私に薬を飲ませるなんて!)

 私を優先し、私を助けるために薬を飲ませたことは護衛騎士として正解だったのかもしれない。


 王族の代わりはいないが、護衛の代わりはいくらでもいるからだ。

 でも、オスキャルはひとりしかいないのに!


 私は腹の底から涌き出る言葉に言い表せない怒りのままオスキャルの襟首を掴む。

 そして自らの方へ思い切り引き寄せた。突然の私の行動に流石のソードマスターでも対処できなかったのか、それとも彼にも病の症状が出ているからか、倒れこんだオスキャルに馬乗りになる。


「──んっ」

 そして無理やりオスキャルの唇と自身の唇を合わせ、僅かに開いた隙間から口内に残っていた薬を流し込む。

 単純な力比べでは敵わないが、護衛という立場上私を押し退けることはできないと知っているからこその行動だ。


 残っていた薬を流し込んだ後も重ねた唇は離さなかった。薬を返されたら困るからだ。

 暫くし、やっとオスキャルの喉がこくりと動いたのを見て彼を解放する。


「何を考えてるのよ!」

「そっ、それはエヴァ様の方では!?」

「はぁ!? どう考えてもオスキャルでしょ! 万が一ここでオスキャルが倒れれば、その後私たちだけでどうすればいいっての!?」

「うっ」

 エルフが悪意を持って攻撃をしてくるとは思わないが、逆上したり不可抗力なんてこともある。

 先ほど瓶が落ちて割れたように。


「あ、あ……」

 驚き、戸惑いながら呻き声をあげるのはエルフだ。

 きっとこんなことをするつもりではなかったのだろう。しゃがみこんだまま動かない。


 結局小瓶の半分ずつの薬を分け合った私たちだが、半分でどこまで効果があるのかはわからない。

 だが目眩が治まったので、多少なりとも効果はあるのだろう。再び悪化する前に、と私は動揺するエルフの前へと歩きだした。

 そして呻きながら頭を抱えているエルフへと手を差し出した。


「私にも悼ませて欲しいの。〝彼女〟の話を聞かせてくれないかしら」

「悼ませて……?」

「だって私、まだ貴方の大切な人のこと、何も知らないもの」

 私の言葉が響くかはわからない。むしろお前らのせいで、と罵られるかもしれない。

(でも、これが私の正直な気持ちだもの)


 そしてその言葉がどうやら少しは伝わったのだろうか。


「彼女と出会ったのはたまたまだったんだ。森の入り口から小さな少女が覗き込んでいて」

「えぇ」

「孤児院の子だったようだ。私は無視していたのに、どうしてか懐かれてしまって」

 まるで思い出を辿るように紡がれる言葉に耳を傾ける。

(きっとその孤児院が聖女のいた孤児院だったのね。だからきっと薬を譲ったんだわ)


「いつの間にか家の中にも入って来て、図々しいと……そう思う反面彼女が来るのを楽しみにしてしまっている自分がいたんだ」

 エルフはあまり種族の仲間意識が高くなく、群れたりはしないと聞く。決して単独を好んでいるわけではないが、退屈しがちで興味が出たものを個々が追うのであまりエルフ同士で集落をつくるということもないとされている。他にも繁殖に対する認識や欲求が低いという言い伝えもあり、それらは全て彼らが長寿だからだ。


 だからこそ、そんな長い時間を生きる彼らにとって人間の命とは寿命を全うしたとしても短かっただろう。

(看取る覚悟をしてたと言っていたけど、それはどれほどの覚悟だったのかしら)


「どれくらい、一緒にお過ごしだったんですか?」

「たった四十年だ。それだけしか……一緒に……」


 四十年。人間同士であればそこまで短いと感じないが、それが何千年も生きるとされるエルフであればあまりにも短い時間だった。

 そしてその時間が、突然短くなってしまったら。後悔、なんて言葉では済まないほどの絶望を感じたはずだ。

 そう思い、私も俯きそうになってしまう。


「彼女はとても子供が好きで。でも私たちは子宝に恵まれなかったから」

「とても温かい人だったんですね」

「あぁ。彼女はこんな私にも……」

「似た者夫婦だったんだなって思ったわ」

「は?」

「だってそうでしょう。お互いに大事に思って尊重して暮らし、そして苦しんでいる子供たちのために薬を譲れるんだもの。貴方たちはとても温かく、そして似た者夫婦だわ」


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