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第七十二話 残された宝物

 私の言葉を聞き、少しポカンとしたエルフと目が合う。

(体調はまだ大丈夫そうね)

 そして自分の体調を確認し、異変がないことを確認してから立ち上がる。


「だが、私は彼女の最期の瞬間には立ち会えなかった」

「私を、その場所に連れてってくれるかしら。もちろん無理にとは言わないけれど」

 断られる可能性も考えたが、それでも最期を過ごした部屋で彼女の手を合わせたいと思ったのだ。

 そんな私の気持ちが通じたのか、私が差し出した手を取ることなく立ち上がったエルフが無言で部屋の奥へと歩き出す。

(ついていっていいのかしら)


 少し疑問に思いつつ彼のあとを追うと、部屋の奥に扉がある。その扉の先は寝室だったようで、温かみのある木枠の窓の前には小さな丸テーブルとロッキングチェアが一脚置かれている。テーブルの上には針が刺さったままの刺繍枠が置かれていた。刺繍の図案集だろうか? 本も何冊か置かれている。

 きっとあの椅子に座り刺繍をしながら彼の帰りを待っているというのが夫婦の日常だったのだろう。


 まるで今も彼女がそこにいるような温度感が残されていた。


「材料が手に入らないことがわかり、すぐに材料を求めて国境を渡った。病に伏しながらも、いつもしていた刺繍を再開するのが楽しみだと笑いながら見送ってくれたんだ」

(そのまま、再開できるこのはなかったのね)


 持ち主のいなくなった刺繍枠も、持ち主が再開するのを待っているように見えて胸が締め付けられる。


 そっとその机の前で両手を合わせた時だった。

 積み重ねられた本の一番下、その本に何かが挟まっていることに気が付く。最初はしおりか何かだろうと思ったが、それにしては少し分厚い気がしてやたらと気になった。


 まるで何かに誘導されるかのように気付けばその本へと手を伸ばしてしまう。

 間に挟まっていたのは、四つ折りにされた手紙のようだった。

 流石に手紙にまで降れるわけにはいかず、本を広げたままエルフの方を振り返ると、驚きに目を見開いている。


「これ、貴方宛よ」

「だ、だが私は彼女の最期を看取れなかった。手紙なんて、読む、資格は」

「でも、きっと彼女は読んで欲しいと思うわ。その願いを叶えてはあげないの?」

「……ッ」


 私の言葉にハッとした顔をした彼が震える手で手紙を受け取る。

 カサリと開いたその手紙へ視線を落としていたと思ったら、彼の目からぽろぽろと涙が溢れ出した。

 その様子をただ見つめていると、二枚目へいくことなく私へ手渡され、戸惑ってしまう。


「えっと……」

「すまない、これ以上自分で読めそうにない。申し訳ないが読んではくれないか?」

「えぇ。わかったわ」

 切実な声色に思わず頷き、少し戸惑いながら彼から手紙を受け取った。

 手紙が三枚にも渡っていたが、一枚目が既に彼の涙で滲み一部読めなくなっている。


 きっと涙でこれ以上読めなくなることを懸念したのだろう。

 この手紙は、彼にとって何よりも大切な軌跡になるから。


 なるべく落ち着いた声色になるよう意識し、受け取った手紙を音読し始める。

 一番上に書かれていたのは、エルフの名前なのだろう。


「『……アルフォード、いつもありがとう。

 貴方をはじめて見つけた時、その美しさにこれが動く彫刻だ、なんて勘違いして驚きから石を投げたこと、ごめんなさい。

 あの時のことは今でもたまに思い出すけれど、私にとっては出会えた大切な思い出よ。貴方にとっては恐怖の思い出かもしれないけれどね。


 大好きをどれだけ伝えてもたりないくらいだわ。子供だった私も、レディになった私も貴方はずっと見守っていてくれた。

 そんな貴方におばあちゃんになった姿を見せてあげられないこと、ごめんなさい。

 まぁ、長生きな貴方にとっては私はいくつになっても赤ちゃんなのかもしれないけれど。


 貴方は優しいから、自分を責めていると思います。

 でも、忘れないで?

 私は貴方が誇らしいわ。かつて私の家だったあの孤児院を救ってくれてありがとう。

 貴方ならきっと、もっとたくさんの人々を救えるでしょう。


 きっとこれを貴方が読んでいるということは、薬は間に合わなかったのね。

 最期を看取ってくれたのかしら? もし間に合わなかったのだとしても自分を責めないで。

 私は、最期のその瞬間まで大切な人のことを考えながら逝けるんだから。


 必ず貴方を残して先に逝ってしまう私のこと、怒っているかしら。

 今貴方を占めている感情が、どうかいいものでありますように。


 たまに思い出して、というのは私のわがままかしら。でもきっと許してくれるわよね。


 いつか貴方は私を忘れるために部屋のものを片付けるでしょう。だからあえて、一番最後に片付けられるだろう本に挟んでおきます。

 これは呪いよ、私のことを思い出す呪い。


 思い出した貴方にはどうか、自分がどれだけ愛されていたのかも思い出して欲しいわ。

 もし他に好きな人ができたなら、その時はきっと新しい貴方のヒロインの口づけで呪いは解けるでしょう。

 だからその日まで、私を貴方のヒロインでいさせてね。


 ずっとずっと愛しい人。

 どうか貴方が、幸せに時を過ごせますように。──メイル』」


 手紙を音読し終わった私は、再び四つ折りにしてエルフへと返す。

 彼はその手紙を胸に抱え、その場で泣き続けていた。


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