宿に戻れば眉に皴を寄せる店員と、作業着の男がいた。
こいつは昨日不法侵入してきた、自称分裂の恋人。
男はカウンターに身を乗り出して、
「頼む! 一晩だけでいい!!」
何かをお願いしている。
怪しそうな表情で男を睨むだけで何も言わない。
『痴話げんかでしょうか?』
また余計なことを言いやがって、スマホを軽く叩いて黙らせる。
「あ、おかえりなさーい」
気付いた店員は男をほったらかして、顔を入口に向けて出迎えてくれる。
「話聞いてくれよ! ホント、頼む!!」
手を合わせて拝んでいる男。
「えっと、一体、なにがどうなって?」
「お客さんとは無関係だから大丈夫。気にしないで」
店員は全く相手にしていない様子。
「な、なぁアンタ頼む! 少しだけ匿ってくれ!」
「え、えぇなんで急に」
「もういい加減にしてよ、匿ったら私達まで監査入っちゃうんだから、出て行って!」
強めに注意された男は悲しい表情で懲りずに再びカウンターにかじりつく。
監査ってことは、さっき屋台で話してたのと関係あるんだよな。
『誰かが密告したのですか?』
「し、しーちゃん、そうなんだよ! 同業者が、警察にチクったんだ! 仲間も捕まっちまう。けど俺は今捕まったら、彼女に会えなくなる、せっかく手に入れた仕事もできなくなる!」
『でしたら罪を償って、新しい人生を歩むべきです』
柔らかい声だけど、新しい人生なんてない。生まれた瞬間、地位が決まって、運よく仕事に就けても、前科がつけば、永遠に最底辺に成り下がる。
「し、しーちゃん……君はやっぱり別人だ。俺のしーちゃんはそんなこと言わない」
同一人物だけどな。
「町から出られないの?」
「無理に決まってんだろ、ゲートのカメラ認識で引っ掛かる。すぐに特定されちまうし、警備員に止められるんだ。どうあがいても逃げられない」
ただの旅人には何も手助けなんてできない。できることは、
「捕まる前に彼女さんと話をしたら?」
そんな助言くらい。
「できるなら話したいさ、けどもうブラックリスト入りだ! 企業が先手打ってSCに行ったって捕まるだけ! くそっ」
店員は呆れた表情で、何も言わず宿の奥へと行ってしまう。
髪をくしゃくしゃに掻き回して青ざめる男には同情してしまうが、会いたいなら、リスクを背負ってでも行くべきだ。
「あのさ、だったら――」
『ノアさんがサービスセンターの方に話をすれば会えるかもしれません。試す価値はあります』
「しーちゃぁぁん。このスマホならずっと一緒にいられる。なぁ、譲ってくれ!」
「はぁ? お前パソコンの子が恋人なんだろ」
「スマホの方が持ち運べるし、中身がしーちゃんならなんだっていい!」
「こ、こいつ……」
なんでこんな奴を好きになったんだ? あの分裂は……。