「分裂の回収、無事に終わりましたか?」
鋭く光るメガネの奥から凍えるような目つきをしたユカリさんは、口調も冷たい。
肩を縮めて早めに何度か頷いた。
「は、はい」
「しーちゃん」
手に持っている中古スマホに向かって、ユカリさんが呼びかける。
『はい……』
少し苦しそうに返事をした。
「記憶の方はどうですか?」
『まだ、曖昧ですが、今……分かること、私は生きている。それだけです』
「上々。タチバナさん、引き続き回収をお願いします。ドクターFの名誉に関わることなので、漏れのないように。例え分裂が何を言おうとも」
ギロリ、そんな感じに睨まれ、すぐに頷いた。ドクターFの名誉に関わることって、一体何をしたんだ……。
ユカリさんは俺を置いて、足早に誰かと通話をしながら企業ビルの中へと入っていく。
丸みのある単眼ライトとメーター、小ぶりな電動バイクに跨り、ハンドルブレースに取り付けたホルダーにスマホを固定。
「とりあえず、宿に戻るか」
『彼に、伝えないんですか?』
さっきの分裂が影響したせいか、かなり複雑な声色だ。
「お前、アイツの態度分かっただろ。どうせもう捕まってる、アイツのことなんか忘れろ」
『……はい』
電源のスイッチを押せばモーターが動き出す。極薄液晶パネルに映る電気残量は、まだまだ問題なし。
右ハンドルを捻ればあっという間に加速して、俺は気持ち悪いぐらい均等に並んだNゲートから離れることにした――。
中庭の狭いスペースにバイクを寄せれば、仲良く骨組みのバイクと並んだ。プランターにはよく分からない植物。
宿の扉を開ければ、カウンターで退屈そうに頬杖をつく店員がいた。
「おかえりなさいませー。アイツに絡まれてたけど大丈夫だった?」
「あーはい、なんとか」
「そっ、でも逆に良かったかもね。さっきこの地区で一斉捜査があってさ、ジャンク売りの奴ら全員捕まったんだよ」
胸がざわつくような、別にこの町で悪いことなんてしてないのに、故郷を飛び出した真っ暗な景色が脳裏に浮かび上がる。
「そう、なんだ」
「こわーい監査員の指示だって噂だよ、匿った人達も捕まってる。アイツを入れなくて良かったよー、お客さん明日までいるんでしょ? またお風呂で背中流そうか?」
カウンターから身を乗り出して、ニコニコ、と俺に微笑んだ。
「い、いいです。もう用事も済んだし、今日中には出ようかと」
「えぇー暇だしいいじゃない」
「暇って……いやいや」
『ノアさんは疲れているんです。横になって休みたいので、放っておいてください』
思わずポケットに入れたスマホを叩いた。
目を丸くさせた店員は、
「あれ、お客さん、誰かと一緒だった?」
辺りを見回し、首を傾げている。
「ひ、1人ですよ。空耳じゃないですかねぇ、ど、どーも!」
急いで2階の角部屋に戻った。
部屋の鍵をしっかり閉めて、スマホを睨む。
「えっ」
スマホの液晶画面は白い背景に、黒で目と口を簡単に描いた絵が……何故か映っている。
「なんだよこれ! お前スマホに何を――」
『あの子みたいに記憶を映像化できませんが、スマホ機能を使って描くことができました。どうでしょう、これで私もノアさんと同じです』
「ウソだろ……スマホ、なんともないよな」
『失礼ですね、大丈夫ですよ。あくまで私の感情をアニメーションにしただけです。操作に支障ありません』
にっこり、といった感じの落書きが映る。
ため息交じりに肩を落とし、畳に寝転んだ。心が休まるニオイがする。
「はぁーなんかドッと疲れた……」
『ありがとうございます。ノアさんのおかげで、私は少しずつ戻っています』
「何か思い出せた?」
『そう、ですね、なんとなく』
「ふぅん」
『回収した瞬間……張り裂けるぐらいの感情が、襲ってきました』
「張り裂ける?」
目は点になり、悲し気に口の部分が下がった。
『他にも、なんだかモヤモヤしています』
「モヤモヤ」
『あの、ノアさん、画面を触ってもらえませんか』
画面を触る? そんなのいつもしてるけどな。
とりあえず液晶画面を指先で何度か撫でてみた。
『うーん……』
口角を下げた顔になって、唸っている。一体何がしたいんだ?
「これが、どうかした?」
『いえ分かりません。もっと分裂が必要なのかもしれません。彼女の記憶だけでは、難しいです』
もっと集めるしかない、か。
みんな自我があるんだよな。同じ奴らで、分裂した感情や記憶で今を生きている。
その『今』を奪うことになってでも……――。
俺は電動バイクを道路に出して、出発の準備を始めた。
リアボックスに食料品を詰めて、リュックに色んなコードやボトルを入れる。
キャンプ一式道具のうち、最も必要なテントがない。
どうすればいいのやら、やっぱり野宿できる空き家を使うしかないのか……。
「お客さん、待って待って!」
宿から慌てて飛び出してきた店員に、一瞬肩を震わした。
「え、な、なに?」
両手になにやら雨で濡れても大丈夫そうな薄暗い緑色の袋を抱えている。
「倉庫を物色してたら、おじいちゃんが使ってたテントが出てきてさ、良かったら持ってきなよ。泊ってくれたお礼にね」
「え、い、いいんですか?」
快く頷いた店員から、使い古されたテントを受け取る。
長いこと使われていないのに、頑丈っぽい。実際に使わないと分からないけど、無いより断然いい!
「ありがとうございます!」
お礼を言うと、店員は、
「いいのいいの。そだ、宣伝もよろしくねぇ」
笑顔で手を振ってくれた。
「は、はい」
ホルダーにスマホを固定させて、女性に見送られながらSゲートから出発する。
マップを表示している画面、次の行先は……、
『ここから下った先、約50キロ先に町があります。そこに行きましょう』
「了解」
『……宿の人、親切な方でしたね』
「まぁ、物騒って言われてたけど、結構良い人ばかりだったよ」
『昨日、あの方に背中を流してもらったんですか?』
棘のある言い方で訊いてくる。
こんな貧相な体を誰かに見られるなんて、もう一生、忘れないだろう。
「勝手に押し入ってきたんだ」
『断って逃げれば良かったのでは? 実は満更ではなかったとか、嬉しかったとか』
「はいはい、もうこの話は終わり」
黒ペンで落書きした目と口で、怒り顔を浮かべていた……――。