電動バイクをサービスセンターの近くに寄せて、重い気分で降りた。
『ユカリさん、でしたね』
あの冷たい目つきと硬い表情筋が浮かび上がる。
『悪い人ではない気がします。気にかけてくれる方だったような……気がします』
曖昧な記憶の中で思い浮かぶユカリさんの情報を、スマホの中にいる彼女は呟いた。
「そうであってほしい」
スマホを手に持ち、渋々とサービスセンターの入り口で待つユカリさんのもとへ。
「こんにちは、ノア・タチバナさん。分裂の回収は順調でしょうか?」
微笑むわけでもなく棘のある口調で訊ねてくる。
「こ、こんにちは、回収は、順調です」
『こんにちわ、ユカリさん』
「しーちゃんも元気そうで、ドクターFが貴方の連絡を待っています」
入れ、と言わんばかりに誘導するユカリさんに、恐る恐るついていく。
客が利用する端末コーナーではなく、スタッフしか入れない部屋へ案内された。
管理室と書かれた部屋には、巨大なモニターが置かれている。
『おぉータチバナ君、元気そうで安心安心、しーちゃんの進行状況もどうかな?』
モニター画面にはイスに腰掛けるドクターFが表示されている。
ハリネズミのような髪型で俺よりも背が低いドクターFはニコニコと笑う。
「ども、なんとか回収できてます」
『こんにちはドクターF。ノアさんのおかげで順調です』
『うんうん、いいことだ。それでしーちゃん、何か思い出せたかい?』
彼女は、分裂の回収により自分が人間だということ、親がいて何不自由なく暮らしてきたことを思い出した、と説明した。
ドクターFは腕を組み、何度か軽く頷くと、
『思っていたより分裂の回収は早く済みそうだの。かるーく、2人に伝えておこう』
真面目な顔つきで画面を見つめる。
『しーちゃんの言う通り、体は今シルバーシティの病院で眠っておる。いわゆる昏睡状態といったところか。事故でな、すぐに病院へ搬送されたまではよかったが、医療物資が足りず、オペをしようにも動けない。しかも届くのは2、3日後、そんなの待っていたら死んでしまうだろう?』
そりゃそうだ、黙って頷く。
『そこでこの私が呼ばれたのだ。まだ実験中だった意識をネットに繋げて隔離するという、麻酔なくオペが可能なものを、ご両親が藁でもすがる思いで頼んだ』
「意識をネットに飛ばすって、なにその未来的な技術」
俯くドクターFはどこか悲し気に眉を下げた。
『まだ世界にも発表しておらん極秘技術さ。ネットに意識を移し、オペも問題なくできたが、戻す時にエラーが起きたのだ。今もご両親は毎日病院に通い、いつか目覚めることを願っておる。それもあと少し』
「い、いやでも、はっきりどこにあるか分からないのに、今までは運よく見つけられただけで、次はもっとかかるかもしれないし」
ドクターFは、安心しなさい、と頷く。
『その点は安心してくれい。ささ、スマホをパソコンに繋げておくれ。君達が分裂回収をしている間に便利なアプリを開発したんでね』
俺はコードをパソコンに繋げ、スマホにも差し込んだ。
すると、スマホの画面は真っ暗になる。インストールをしている表示もなく、この感じは分裂に繋げた時とそっくりで、少し不安になってしまう。
『あーあーしーちゃん、しーちゃん!』
ドクターFはマイクテストの要領で声をかけた。
インストール中だからか、返事はない。
『よし、しーちゃんには聞こえてないな。タチバナ君』
「はい?」
優しそうな眼差しを送るドクターF。
『実はね、分裂回収とは別のこともお願いしたくて……もっちろん報酬は弾もう!』
変なことじゃなければいいが……。
「えーと、どんな内容、です?」
『しーちゃんの思い出作りを手伝ってあげてほしい』
は? 皮膚が少しだけ歪んだ。片眉だけ上に引っ張られる。
『実は、しーちゃんの意識が肉体に戻ると、これまでの記憶を失う可能性が出てきたのだ』
まるで自分のことのように愕然としてしまう。
「そ、それじゃあ……思い出を作る意味なんて」
『ある。記憶と思い出は別のものとして捉えてほしい。タチバナ君と旅をして、話をして過ごすことに、すごーく意味がある。以前のまま肉体に戻ったところで同じことを繰り返すだろう。下手をすれば本当にしーちゃんは死んでしまう』
また繰り返す? 事故だったのに?
『君との思い出が、しーちゃんの支えとなる。例え君のことを忘れてもね、あぁそれと、しーちゃんには内緒にしといておくれ』
「ちょっと待って、あの、事故って、同じことになるってどういう意味ですか?」
ドクターFは画面から目を逸らして、苦く顔を歪めて唸る。
『……直接見たわけじゃないのでな、ハッキリ言えんが……報告書によると、自ら飛び降りたとか。精神的孤独からの視野狭窄が原因では、と』
スマホは眩しい真っ白な光を放ちだす。
『新しいアプリは、しーちゃんの分裂の記憶をもとにネット構築した物で、近くなると分裂の存在を知らせてくれる便利な物。それを活用して回収を頼んだよタチバナ君。それではグッドラック!』
ドクターFが映っていたモニターは一面灰色の壁紙だけとなり、通信が終わったことを知らせる。
『アプリがインストールされたみたいです。ノアさん、これで順調に他の分裂を探せますね』
明るい彼女の声が聞こえ、俺はホッとしている。虚しさもある。
「……あぁ」
どう声をかけたらいいのか分からず、スマホの画面に微笑んでみせた。
『ノアさん、どうされました? なんだか寂しそうですよ』
スマホの中に浮かび上がる線で作った落書きみたいな眉と目、口。
俺が不安になったらダメだろうに、しっかりしろ。
「んなわけないだろ。ほら、終わったんだからさっさと行くぞ」
『はい。次はどこの町に行きましょう、色んな人に会えるのがとても楽しみです!』
「はいはい、喋りすぎるなよ」
俺はスマホを手に取り、彼女の話に相槌を打った……。