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第13話

 悪夢のような夕食を採らされたあの日の深夜――

 床に就くまでなんともなかったが、横になったとたんに急激に気分が悪くなり、耐えきれなくなったラウルは、トイレに駆け込み胃の中のものをすべて吐き戻していた。


――う……やっぱり、喉を通過したあとも油断できないな……やはり、酢豚のパイナップルは強烈だ。


 暗闇の中、手洗いから戻ってきたラウルは、ヨロヨロと廊下を歩いていた。


「わっ……」


 どんっ、という衝撃を受けた。

 調子が整わないままの気のゆるみで、誰かにぶつかってしまったようだ。


「も、もうしわけな――」

「……もう、どこ見てんのよ?」


 てっきり従者の誰かかと思ったが、令嬢の声――


「ナディアお嬢様? ど、どうされました?」


 ラウルが手を差し伸べるよりも前に、ナディアが落とした懐中電灯と紙袋を拾い、飛び跳ねるように立ち上がっていた。


「どうされましたって……あなたこそ、どうしたの? 具合でも悪い?」

「あ……いえ、もう、諸悪の根源は除去しましたので……なんとか……」


 無意識に胃の辺りを撫でながら、ラウルが苦笑した。


「諸悪の根源……ね。何か苦手なものでも食べさせられた?」


 現状を言い当てられ、ラウルは息を呑む。


「……なぜ、それを……?」


 ラウルの反応が面白かったようで、ナディアが苦笑した。


「よくやる手なのよ、マリーが。まあ、失態に対する仕置きっていうか……前の執事もよく、ピータンを丸ごと食べさせられてたわね」

「……は?」

「嫌いな食べ物を正直に答えたのは失敗だったわね。無難なものでも答えていればよかったのに」

「だから……それを避けるように提供してもらえると思うじゃないですか。まさかこんなことのための情報だとは――」

「まあ、ネガティブな理由だけじゃなく、もちろん、平常時なら避けるつもりだとは思うわよ」

「平常時……今後はそう願いたいですね……」

「では」とひと声かけ、踵を返すラウルの腕をナディアが握った。

「……悪かったわ」

「? どうなさいました?」

「時計塔に出掛けた件よ。あれはわたしが強引に脱走させたわけだから。あなたが責任を取ることになるのはおかしな話だと思う」


――だと思うなら、侍女長にそう申し出ればいいだろうに……俺に対して謝ったところで……。


 と、思ったがラウルはどう返したものかと逡巡しながら、気づかれないよう、小さく嘆息した。


「ちょっと、いい?」

「お嬢様……?」

「少し、付き合って」


 ナディアがラウルの腕を引っ張って階段を上がり、二階の突き当りに向かって歩いていく。


「あの……?」


 怪訝に思いながらも彼女に抗うことはせず、言われるままに従った。

 突き当りを進んだ先はバルコニーになっていて、ちょっとしたテーブルとイスが置いてあり、お茶が出来るようなスペースがある。


「口に合うかどうか分からないけど……パイナップルは入っていないわ」


 紙袋を開けると、形の崩れたクッキーが入っていた。

 落とした衝撃で割れたようだ。


「こちらは……?」

「なによ、その顔。わたしが焼いたんじゃないから、安心してよ。キッチンの棚からくすねてきたの。不格好なのはさっき落としたから」


 警戒心を抱かせないように……なのか、中から一枚取り出し、ナディアはそれを口に入れた。

 咀嚼して嚥下したあと、もう一枚紙袋から取り出し、「ほら」とラウルに差し出す。


「別に変なものも入ってないし、結構いけるわよ」

「はあ……では」


 クッキーを受け取ると、ラウルはそれを口に入れた。

 サクサクとした食感。

 口いっぱいに、ソフトな甘さが広がっていく。


「………」

「どう?」

「おいしいです……」

「よかった」


 安堵したようなナディアの笑みに、なぜかどきりとした。


「………」


 さほど甘い菓子類は好きではないが、間が持たずに次々と口へ運ぶ。


「……辞めないでね?」

「――っ?」


 ラウルはごほ、っとむせて、彼女を見つめる。


「今、あなたに辞められたら困るの」

「……何故、困るのですか?」


 一瞬言葉に詰まったように沈黙が流れ、ナディアがゆっくりと口を開いた。


「――だから、この間言ったとおりよ。あなたはわたしの求める人材だから。それにあなたに辞められて父に代わりの者を寄越されたら、やりづらくなるの。だから、辞めないで、絶対」

「……前向きに善処致します」


 ラウルは視線を反らして応えていた。


「~~~~つまんない回答するわね」

「面白い回答とは?」

「あ~~、もういいわ。とりあえず、伝えたいことは伝えたから。じゃあ」


 ラウルに取り入ることを諦めたように、ナディアは席を立った。


「あの……」


 何故だか、ひとこと言いたい気になったラウルが声を掛けた。


「なに?」

「私の苦手なものはパイナップルそのものではなく――酢豚に入ったパイナップルです。今後、二度と私の前に出さないよう、命じてくださると助かります」


 一瞬、唖然とした表情になるが、ナディアは微かな笑みを浮かべた。


「OK……前向きに善処するわ」

「前向き、ですか?」

「お返し」


 すっと冷めたような表情を浮かべると、コツコツと足音を立て、ナディアはその場を去った。

『酢豚のパイナップル』に聞き覚えがあるような気がしたが、どこで耳にしたのかまでは思い出せないままで――


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