冠婚葬祭……それこそ、春節の時期にしかにぎわうことはなく、普段はぽつぽつとしか人が訪れることはない。
街中の中心に位置し、広さは約二〇万平方メートルというところで、標準的な大きさの競技場がいくつか収容できそうな広さがある。
外観に関しては、本来は朱と金の瓦屋根の上に雪が降り積もり、荘厳なたたずまいを白く柔和な色合いに染めていた。
「すごい列ですね……」
敷地から大きくはみ出す勢いで、列ができている。
参拝に訪れた人の数の多さに
「ホント。もっと早く出ればよかったわ」
「この分だと、参拝まで二時間以上はかかりそうですね」
腕時計を見遣り、リー刑事が白い息を吐いた。
「ところでリー刑事、随分と斬新な髪型をされているようですが……」
いずれは相手の経歴や特技などを調べるつもりで初歩として質問したラウルに対し、リー刑事がキッと睨んだ。
「なんだよ、うるさいな! 事故でこうなってるんだよ! 芸人でもあるまいし、好き好んでこんな頭にするわけがないだろう! 事故の前はこの精悍な顔立ちにマッチした、イカした髪型だったんだ!」
くっ、と歯を食いしばり、リー刑事は拳を握りしめた。
「え? 事故……? それはお気の毒ですが……いったい何が……?」
ラウルがおそるおそる尋ねると、怒りを抑えるようにリー刑事が語り始めた。
「そう。『アルテミス』のヅラのお陰で……! ヤツのヅラが爆発した
――爆発……そうか。証拠
アルテミスに扮するとき、
だが、とんでもないレベルの嗅覚を持った者が相手なら、それも通用しないだろう。
「ちなみにその、怪盗アルテミスとはどんな匂いがするのですか?」
どの程度の嗅覚の持ち主だったのか気になり、ラウルが尋ねた。
「……現れるごとに毎度違ってたね。年配の男が使うオーデコロンのときもあれば、さわやかな柑橘系。そうだな。ミントの香りがすることもある……いまの君みたいに。微かだけど……似た香りを嗅いだことがあってね」
リー刑事の表情が一瞬、鋭くなった気がしてラウルは思わず顔を背けた。
「――ってことは特定なんてできないってことよね。匂いがコロコロ変わる相手じゃ。あなたに元々の嗅覚が備わってたとしても、アテにはなんないじゃない」
ナディアが肩をすくめた。
「でも、でもですよ、ヤツの好物と苦手なものは突き止めたんですよ! 鋭い嗅覚を失う前――ほんの微量ですが、本来の香りに気が付いた! それがなによりのヒントで――」
と、言いかけたところで、「誰か、助けてえ!」という、女性の悲鳴が辺りに響き渡った。
大廟の列から少し離れた通路で、美しい妙齢の女性が走ってくるのが見えた。
あとにはゴロツキっぽい男が数人、彼女を追い回している。
「なにか事件みたいですよ、リー刑事」
「しかし、きょうは非番だ。警官だって、春節の人出を見込んでそこらじゅうに待機してるはず。ボクがでしゃばることもないだろう」
あくまで関わる気はないらしく、リー刑事は様子が身体の向きを変えた。
「それでも刑事ですか? 市民が困ってるのに……」
「うううう、うるさいな! これでもボクはきょうの休暇を獲得するために、死に物狂いで働いたんだ! 一週間休みナシで頑張ったんだよぉお! ルオ家の使用人が一斉に休暇を取るって噂を聞いて、きょうに賭けてたんだ! なのに新参執事、何故おまえが居るんだよ⁉」
顔を真っ赤にして目に涙を溜め、リー刑事がラウルを指さした。
「一斉といっても……休暇期間、通常ふたりは待機するという話ですから……使用人がゼロになるわけではありませんが」
今朝ナディアに聞かされたことをさも当たり前に呟き、ラウルは呆れたような表情を作った。
「――しかし、カッコよく事件解決の様子を見せて頂けたら、刑事の株も上がるかと思いましてね」
ちらりと令嬢の方に視線を
それはすなわち――『悪漢に追われる女性を救うことが出来たら、ナディアがリー刑事のことを見直す』ということを示していた。
ラウルの台詞に反応したのか、ナディアがこちらを見ている。
――普段は照れて素直になれないナディアさんも、ボクの勇姿には見惚れるに違いない。この人出を考えればギャラリーも豊富。……となると、や、やはりここは――
ぐっと拳を握りしめたリー刑事は列を飛び出し、事件の現場へ向かって駆け出した。