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第28話

「随分遅いわね……リー刑事」


 大廟たいびょうの門をくぐったところで、ナディアが言った。

 うしろを振り返っても、人でごった返しているため、道路の様子が見えない。


「そうですね。解決にひと役買っていらっしゃるのでしょう」


 言いながら、おおよそ何が起きているのか悟っていたラウルは、穏やかな笑みを浮かべた。

 あれだけの騒ぎがありながら、野次馬が沸いている様子がないことから、映画の撮影かなにかだろうということは予想がついていた。

 一方、令嬢の割に『箱に入っている娘』とは言い難いものの、世の仕組みや動きに疎いところのあるナディアは本当に何かしらの事件だと思っているらしかった。


「やっぱり根っからの警官なのかしらね……」

「またお会いすることがあったら、ねぎらって差し上げてください」


――だいたいどんな人物なのか分かった。これ以上ヤツを共に行動するのは得策じゃないだろうからな。


 そんなわけで退場のいいきっかけだと、あの騒ぎに首を突っ込むように仕向けたのだ。


「そろそろですね」

「そうね」


 門をくぐると、三メートルはあろうかというほどの、モンド卿の石像が壇上で勇ましげに剣を掲げている様子が見えた。


「すごい迫力ですね……」


 参拝の順番が訪れ、石像の目の前に移動したところで、ラウルが感嘆の声を上げた。


「見るの初めて?」

「ええ……」

「へえ。本当にいろんなところを飛び回ってたのね」


 目を閉じ、石像に手を合わせたナディアは何かを念じるように、沈黙した。


――まあ、こうしてここに訪れるのも、最初で最後だろうが……。


 彼女にならって目を閉じたラウルは――願いごとをするとするなら、さっさとナディアの持つ『華麗なる忠誠』という秘宝を奪取し、この状況を変えることだろうかと、思いを巡らせていた。


「――えらく熱心ね。何を願っていたの?」


 そう声を掛けられてハッとしたラウルが周囲を見回すと、参拝の順番待ちの者たちの渋い表情が目に入った。


「あ、いえ……」


 早くしろ、と言われているようで落ち着かなくなったラウルは急いで出口へ向かう列の方へ移動した。


「……少々、決意のようなものを……」

「ふ~ん、決意……ねえ」

「ナディアさまは何を願われていたのですか?」

「――内緒」


 そう応え、ナディアは出口へ向かって歩いた。


「……左様でございますか」


 とりあえず、会話のネタがなく話を振っただけなので、彼女がどう答えようとどうでも良かったラウルは苦笑した。

 入口から本懐を遂げるまではかなりの時間を要したのに、ここから出るのは一瞬だった。


「随分、賑やかですね」


 大廟から少し離れたところでは、街は人で溢れ、出店がたくさんあった。

 祭りのような風情である。


「ね、たくさん屋台が出てる。朝食もまだだし、何か買って食べ歩きしましょう」

「食べ歩き?」


 令嬢らしからぬ台詞にきょとんとするラウル。

 ナディアが苦笑した。


「はしたないって言いたい? 別にわたし、そんな畏まっているばかりじゃないんだけど。堅苦しい感じって合わないし。パパのところから抜け出してきたのも、窮屈だったから。庶民的でガサツと言われようと自由が好きなの」

「はあ……」

「っていうか、マリーが堅すぎなのよ。優秀で勤勉でいい使用人なんだけど、面白みってものがないし、口うるさいし。彼女が不在のときくらい、羽を伸ばしても許されると思わない?」


――羽を伸ばす?


 そこに関しては彼女が居ようが居まいが、自由に振舞っているようにしか思えなかったが……。


「どうしたの? 変な顔して」


 ラウルのなんとも言い難い表情を見て、ナディアが訊いた。


「あ、いえ……ナディアさまの『例の活動』然り、比較的自由にされているようには思えましたが……」


 ナディアが「分かってないわね」と呟き、大きく嘆息した。


「ここに至るまで、わたし、結構苦労したのよ? 説得に説得を重ねたわけ。それで、行先さえハッキリしてくれるなら――ってことで、納得させたのよ。ある程度はね」


――ということは、何度も無断で屋敷を抜け出すようなことを繰り返し、「言っても無駄だ」と、諦めさせたということなのだろうな。侍女長あのメイドを根負けさせた……と。


 やはり、厄介な令嬢だと思う。


――さっさとミッションを完了しないとな……俺もどうなるか分からん。


 押し黙るラウルに対し、ナディアは眉間に皺を寄せた。


「なあに? さっきから考え事? 言いたいことがあるならハッキリ――」

「いえ、お嬢様が何を召し上がるかを考えていたもので」

「そうねぇ。やっぱり食べ歩きには万頭かしら。豚の角煮を具にしているものがおいしそうね」


 屋台の中で一番長い行列を指さし、ナディアが笑みを浮かべた。


――また並ぶのか……?


 大廟詣のために長々と並んだことでウンザリしているのに、まだまだ『並ぶ』というミッションからは解放されそうにはなかった。


 列に並んで人混みの中、移動は極めてゆっくり。

 午後になってさらに思うようにことが運ばず、ラウルはたった数百メートルの距離を移動しただけで、疲弊していた。


――屋根の上を飛び移って移動できれば、スピーディーに移動できるんだがな……。


 恨めしそうに建造物のてっぺんを見上げ、ラウルは嘆息する。


「だんだん気温も上がってきたし、屋根の雪も解けてきたわね。これなら行けるかも……」

「行ける……とは?」

「決まってるじゃない。あの場所」


 ナディアが澄んだ空を見上げる。

 ラウルが頭にクエスチョンマークを浮かべていた。

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