繁華街を進むふたりはひどく鈍足だった。
人の流れに身を任せ、ゆるりゆるりと進むこと三時間――
「ようやく時計塔が見えてきましたね……」
文字通り見えてきた、というだけで、該当の場所までは随分先だ。
街を象徴する巨大な時計塔の展望台から景色を眺めようという人々の列ができていた。
「頂上に達するまでいったいどれくらいかかるか分かりませんが、まだ並びますか?」
「もちろんよ。せっかくここまで来たんだし」
「わざわざこんな混み合ったタイミングを選ばなくても……」
「混み合ってるからこそ……人が群がるものに価値があるの。そうでしょ?」
「………」
どれだけ並べば気が済むというのか。
「……私はやや閑散とした風景の方が魅力的だと思いますが」
苛立ちを隠すことができず、ラウルはため息混じりにそう呟いた。
「どっちも魅力的よ。時計塔から見る景色はどの季節も、どんな天候も。いろんな街の表情を魅せてくれるの」
「……きょうはどんな景色、なんでしょうね」
「それは行ってのお楽しみ――でしょ?」
「………」
どうやら、この令嬢にとって長時間並ぶことへのストレスは少ないのか、なんとしてでも春節の時計台からの風景を楽しむつもりらしい。
いっそ、ここは屋根を跳んで移動し、ワイヤーアンカーで一気に昇ってやろうかとも考えた。
そんなことをすれば、正体がバレること間違いないのだが……。
――まあ、仕方ないか。
時計塔のてっぺんでは臨時のスタッフが「おひとり様、三分でお願いしまーす!」と声を張って入れ替えを促しているため、思った以上に早く順番が回ってきた。
それでもふたりが目指す建造物の姿を拝んでから、頂上に辿り着くまで二時間はかかってしまったが。
「綺麗ね」
すっかり夕暮れの時間となり、人工的な明かりがぽつぽつと街に灯っていた。
「そうですね。まあ、あれだけ長いこと待たされれば感慨もひとしおです」
やはり、高い場所は風が強くて寒い。
ラウルは微かに身を震わせた。
「~~~結構皮肉屋よね、あなたって。――でもほら見て! 人がゴミのようだわ!」
邪悪っぽい笑みを浮かべ、ナディアは手すりに身を乗り出して大地を見下ろした。
日暮れを迎えてピーク時よりは減っていたが、それでも普段よりは多くの人々が行き来している。
「え? 人がゴミ?」
ブラックジョークなのか何なのか、唐突な悪役のような台詞に驚き、ラウルはナディアを見た。
予想していた反応と違っていたらしく、彼女が少しばかり恥ずかしそうに頬を染める。
「
「常套句、なのですか?」
真顔で返答するラウルに「さらっと流すところよ、それ」と、ナディアは嘆息した。
「流す……?」
「あなた、映画とかお芝居には興味がないの?」
「はあ……その、不勉強で……。すると先ほどのあれは、映画のワンシーンかなにかなのですか?」
本当に何のことやら分からないようで、ラウルは困惑していた。
「……万国共通のネタくらいに思っていたことの説明を求められるほどバカバカしいってことはないわ。――あ、もう時間みたいだから、行きましょ」
「え、ええ……」
裏の世界を生きてきたラウルは『(表の)世の常識には鈍感である』という自覚は少しばかりあったが、誰にも通じるような共通な話題にすらついていけていないというのは問題かもしれない。
――今度、ボスに元ネタが何なのかくらいは聞いておくか……。
懐からメモ帳を取り出すと、さっとペンでさっきの台詞を書き込んだ。
「何してるの? さっさと行くわよ」
「はい……」
列の移動に倣って階段を下ろうとするナディアに続き、ラウルは時計塔の展望台をあとにした。