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第51話

 ラウルは愕然とした表情で、ゆらゆらと微かに波打つ湯飲みの白湯さゆを見つめた。


「あ~、なんだよ、お嬢のためを思って手を尽くしたわけだし、その怪我だって名誉の負傷っつってもいいくらいじゃねえか? あのお嬢が意外にも非情な娘じゃねえってのは、おまえも分かってんだろ? 別に非難なんてされねえよ」

「しかし……目標を達成……できなかった……これでは……」

「だから、オレは最初っから、ウイキョウって執事に的を絞って……つったんだよ。妙な見栄を張ろうとすっからこうなるんだ。だいたい『アルテミスの業務しごと』にだって支障をきたしてる。それ、分かってんのか?」

「分かっている。だが……これも華麗なる忠誠を手に入れるために尽力している――仕事――のうちだ」

「――そんなにお嬢が大事か?」

「……論点をズラすな……」


 傷が痛むような仕草をして、ラウルが苦しげな表情を作った。


「おまえこそ、目的を忘れんなよ」

「忘れてなどいない。――それより、ほかに誰かいなかったか?」

「誰かって?」

「島に着岸したとき、危険をしらせてくれた男がいて……その男がどうなったのか、気になったんだ」


 島に着いたとき、ガスの恐ろしさについて、教えてくれた男だ。

 あの爆発の中、無事だったのかどうか……


「そういえば……ワシらが島の方向へ向かっていくとき、ボート一隻、漕いでいく男の姿が見えたのう。おまえさんのことを尋ねようと思うたんじゃが、いかんせん、距離が遠くての」


 そのボートの男が『彼』であるという確信はないが、ラウルの乗ってきたボートに乗り込むことができ、そのまま無事で済んだ――そう、思うことにした。

 危険をしらせてくれた恩はあるが、ボートに乗ってひとり逃走したこと思うと、純粋な善人だったのかどうかは分からない。

 だが……無事ならそれに越したことはないだろう。


「お、そうじゃった。おぬしが目を醒ましたら、飲ませて欲しいものがあるとな、トージンのヤツから言付かっておった……少々、待っておれ」


――……? 飲ませて欲しいもの……?


 再び姿を消したイングスの台詞を頭の中で反芻はんすうしつつ、なんだかちょっと嫌な予感を覚えたラウルは、眉間に皺を寄せた。


「何が出てくるか、察しはついてんだろ?」


 その様子を見て察したようにジオットが訊いた。


「……新聞に載ったとかいう、人命救助の……アレだな」


 予想にたがわず、アヤしげな瓢箪を持ったイングスが現れた。


「おまえさんの容体を聞いて、目を醒ましたら、即飲ませろと……届けられたものじゃ」

「………」


 瓢箪を受け取り、蓋を取る。

 中身は見えないため、色合いは不明だが、何を漬け込んだか分からないような奇妙なアルコールの匂いが鼻を突いた。

 トージン手製の老酒ラオチュウらしい。


――これは、無理だ……無理なヤツだ……。


 青ざめたラウルは徳利を持った手を遠ざけ、険しい表情になった。


「医者に診てもらったところ、全治三週間。安静にするしかないとの話じゃ。これといった特効薬もない。――ということで、これはひとつの賭けじゃ」

「差し出されたからって飲む必要はねえって思うけどな。オレなら遠慮しとく。そんで堂々と負傷した状態で屋敷に戻って「頑張ったけど無理でした」ってお嬢に伝えるぜ」

「これ、余計なことを言うでない」


 イングスが口を挟んできたジオットを肘で突いた。


「イングスさんよ、あんたトージンのじいさんに対して肯定的なのか否定的なのか、わかんねえな……」

「じゃ~から、賭けじゃと言うとるんじゃ。闘茶が行われる茶会に間に合うか否か、その酒に掛かっとるんじゃからな」

「……間に合ったとしても……俺はアポイタイトを持ち帰れなかった。特殊な茶器が手元にない状態で……どうやって……」


 ラウルが苦しげに呟いたところで、「あとひとつ、重要な伝言じゃ。カラクリ茶器はいま、ヤツの手元にあるそうじゃ。問題なく10人分の茶碗付きでな」と、イングスが片目をつぶった。


「え――それは……いったいどういう……?」


 アポイタイトという鉱石がなければ、『闘茶で勝つ茶器』を造ることはできない――そう聞いた筈だ。

 なのに……何故?


「まあ、詳しい話はおまえさんが回復してからにするとして……どうする?」

「飲みます」


 ラウルはそう応えていた。


「おぃい、もうちっと考えてから――」


 ジオットの制止を遮って、ラウルは瓢箪の中身を一気に呷った。


「―――」

「あっ」


 反射的に叫ぶジオットの声と同タイミングで嚥下えんげした瞬間、喉に焼け付くような痛みが走り、その後、傷を負った場所にそれが伝染していく。


――キツいな……これは……。


 身体の隅々まで、じりじりと火に焙られているような鋭い痛みが神経を侵食していった。


「おい、大丈夫か……?」


 さすがに脂汗をたらしながら、身体を折るようにしてうずくまっている同僚の姿に、ジオットは慌てた様子で問いかけた。


「……だいじょ……うぶ……」


 なんてことはない、と続けようとしたところで、再びラウルの意識は飛んでいた。

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