そして――
――あれから、どれくらいの時間が経った……?
かなりの長い時間を眠っては起き、起きては眠り……浅い眠りと深い眠りを何度も往復しているうちに、時間の感覚がマヒしてしまったらしい。
何日経過したのか分からなくなっていた。
「や~っと起きた~? 昨日も一度目を
目の前の椅子に腰かけていたのは、陶芸家のトージンだった。
ということは、トージンの自宅?
いや……景色は先日のままであることを考えると、相変わらず、イングスの邸宅のベッドに寝かされているようだ。
「……あの……?」
恐る恐る声を発したところで、痛みがないことに驚きつつ、ゆっくり深呼吸をした。
――なんともない……?
前回(?)眠りに就く前に息を吸うだけで激痛が走ったのが、ウソのようだ。
「ど~お? わしの
トージンが胸を張った。
「え、ええ……本当に……なんの痛みもない……」
身体を起こし、胸部から腹部を撫で、ラウルはキツネにつままれたような気分になる。
「思い切って飲んで正解じゃった~、そう思っとるんじゃろ~?」
「え……まあ。あの、それで……肝心の茶器が手元にある……そう伺ったので、思い切って頂いたお酒を飲んだのですが……それは、どうして?」
「実はね、10個の茶碗付きカラクリ茶器を寄贈した先を思い出したんじゃよね~」
「え……」
「随分前にちょいと名の知れた資産家と知り合いでのう。使用目的ではなく、コレクションにと贈ったんじゃ。保存状態については賭けではあったがのう。よくない場合は、茶器の成分を
「それで? これはつまり寄贈先から返還してもらったということですか?」
「返還――う~む、返還というとちくと語弊があるかのう」
トージンはやや気まずそうに顎を撫でた。
「もしかして……?」
ラウルは、息を呑んだ。
まさか……。
「おまえさんら、『その筋』のプロじゃろ~?」
声を落として発言するトージンがにんまりと笑う。
「その……筋」
なんとなく見透かされている感じが、ゾッとしなくもなかったが――冷静に考えると、その茶器の入手にひと役買ったのはジオットかルカだろう。
「目を見りゃ分かる。カタギのモンかそうではないかはの~。じゃけ~ど、そうじゃからといって悪人と決めつけるのも早計じゃん? 世間的にはどうであれ、わしにとってはわしの茶器を必要とする御仁。わしの可愛い作品らを必要とする者こそが正義なわけ」
「しかし、持ち主の方は、大事にされているのでは?」
「わしが確かに送った人間は、すでにこの世を去っておる。価値の分からぬせがれが倉庫にしまい込んでおるだけじゃった。ならば、使ってもらうほうが有意義じゃ、そう思わんか?」
――……茶器があるのなら、どうしてあのとき――
「え? だったら、どうして……?」
「まあ、ああいって焚きつけたのは、おまえさんの本気度を知りたかったから……っちゅうことで、納得してもらえな~い?」
「本気度? 試したってことですか?」
ラウルの表情が険しくなる。
ありもので造れるというのなら、なぜあんな無駄なやり取りを……?
――こちらは命を落としかけたというのに……。
「まあ、そんな怖い顔せんと~。お望みの茶器は手に入るんじゃ~。結果オーライじゃろ? 肝心のモノが『イカサマアイテム』じゃということを考えると、慎重にならざるを得んっちゅうことも理解してもらわんとの~?」
確かに彼の茶器なしでは、どうにもならない。
老人の掌の上で踊らされていた(?)と思うと腹立たしい気もするが、それでも無償で提供してくれるというのだ……。
――そう考えれば安いものか……。
おまけに魔法のような効能の
「それで、肝心の茶器は?」
「無論、あるぞい」
トージンはそばにあったテーブルの中央にある、箱を指した。
「あれ……が?」
「とりあえず、使い方の説明と……ある程度、こなれるところまでやっておかねばの~。どういったパフォーマンスで勝負するのか、練習も必要じゃろ」
「ああ……そうです。ぶっつけ本番はさすがに――」
箱の方に駆け寄ったラウルは、箱を開け、中身を確認した。
そして、見事な茶器セットが置かれているのに安堵した直後、はっとしたように振り返った。
「あの……あれから……何日……?」
「何日……?」
「可能な限り早く……できれば10日以内にアポイタイトを持ってくるよう言われてから、どれくらい時間が経ったんですか?」
「あ~っとそうじゃの――かれこれ、さん……いや、四週間近くは経ってるかもの~」
「よんっ⁉ きょうは……何日、なんですか?」
「清明末3日じゃ」
清明末3日とはナッツイート王国の月名――一般の日付の名称では4月の16日に当たる。
「しょっ……」
茶会は確か……清明末5日。
つまり、明後日。
ナディアには2日前に戻るという約束をしたにも関わらず、こういった状況だ。
約束を果たさなかった場合、クビになることも考えられる。
そうなってしまえば、『華麗なる忠誠ミッション』の崩壊も免れない。
――まずいな。今日中に戻らなくてはならないが……しかし……。
茶会に向けての準備が整わないまま、帰還するわけにはいかない。
「あっ! あの! そうだ。電話」
一度ナディアと連絡を取らなくては……今後、どうするかの相談もある。
「目覚めたとたんに慌ただしいのぅ~。……イングス!」
トージンが扉の向こうへ呼びかけた。
一度の呼びかけでは聞こえづらかったらしく、三度目でようやくイングスが姿を現した。
「なんじゃ? ……おお、目覚めたか!」
随分心配していたようで、イングスはラウルの姿を見るなり、歓喜の表情を見せた。
「あ、あの……随分、お世話になってしまったようで。さらに図々しく申し訳ないのですが……」
「うん?」
「電話を貸していただけませんか? どうしても早急に連絡を取る必要があって」
「なんか必死じゃのう。こういう場合、まずは自分の置かれた状況を確認するもんじゃと思ったんじゃが」
イングスが苦笑した。
「いの一番に『お嬢』、じゃからの~」
「いや、だから……」
イングスの発したジオットの言いそうな台詞に「ヤツは……?」と尋ねようとしたが、それに気づいたイングスが先に口を開いた。
「おぬしが
『人手不足』であることを考えれば当然だが、置き手紙も言付けもなしに姿を消していたということに、ラウルは少々不満を覚えた。
――まったく……勝手なもんだな。
「電話なら、こっちじゃ」
イングスに案内された居間の端の棚の上に、ダイヤル式のシンメトリーデザインの電話機が置いてあった。
「あ、お借りします」
「ん。使い方は分かるかの? ――終わったら声を掛けてくれ」
一応、気を利かせてくれているつもりなのか、そう言ってイングスがその場から立ち去った。
大きく深呼吸すると、緊張を胸に受話器を取った。
そして、ダイヤルを回そうと指を置いたところで……
「……番号……忘れた……」
彼が電話に触れてから最初に発した言葉は、悲壮感漂う呟きだった。