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第52話

 そして――


――あれから、どれくらいの時間が経った……?


 かなりの長い時間を眠っては起き、起きては眠り……浅い眠りと深い眠りを何度も往復しているうちに、時間の感覚がマヒしてしまったらしい。

 何日経過したのか分からなくなっていた。


「や~っと起きた~? 昨日も一度目をましとったが、会話らしい会話もできんでま~た眠ってしもうてのぉ~」


 目の前の椅子に腰かけていたのは、陶芸家のトージンだった。

 ということは、トージンの自宅?

 いや……景色は先日のままであることを考えると、相変わらず、イングスの邸宅のベッドに寝かされているようだ。


「……あの……?」


 恐る恐る声を発したところで、痛みがないことに驚きつつ、ゆっくり深呼吸をした。


――なんともない……?


 前回(?)眠りに就く前に息を吸うだけで激痛が走ったのが、ウソのようだ。


「ど~お? わしの老酒ラオチュウは。なかなかのもんじゃろ~?」


 トージンが胸を張った。


「え、ええ……本当に……なんの痛みもない……」


 身体を起こし、胸部から腹部を撫で、ラウルはキツネにつままれたような気分になる。


「思い切って飲んで正解じゃった~、そう思っとるんじゃろ~?」

「え……まあ。あの、それで……肝心の茶器が手元にある……そう伺ったので、思い切って頂いたお酒を飲んだのですが……それは、どうして?」

「実はね、10個の茶碗付きカラクリ茶器を寄贈した先を思い出したんじゃよね~」

「え……」

「随分前にちょいと名の知れた資産家と知り合いでのう。使用目的ではなく、コレクションにと贈ったんじゃ。保存状態については賭けではあったがのう。よくない場合は、茶器の成分を撹拌かくはんして分離、そしてアポイタイトを抽出するちゅうことも視野に入れておった。おまえさんが持ち帰れんかったことを想定しての」

「それで? これはつまり寄贈先から返還してもらったということですか?」

「返還――う~む、返還というとちくと語弊があるかのう」


 トージンはやや気まずそうに顎を撫でた。


「もしかして……?」


 ラウルは、息を呑んだ。

 まさか……。


「おまえさんら、『その筋』のプロじゃろ~?」


 声を落として発言するトージンがにんまりと笑う。


「その……筋」


 なんとなく見透かされている感じが、ゾッとしなくもなかったが――冷静に考えると、その茶器の入手にひと役買ったのはジオットかルカだろう。


「目を見りゃ分かる。カタギのモンかそうではないかはの~。じゃけ~ど、そうじゃからといって悪人と決めつけるのも早計じゃん? 世間的にはどうであれ、わしにとってはわしの茶器を必要とする御仁。わしの可愛い作品らを必要とする者こそが正義なわけ」

「しかし、持ち主の方は、大事にされているのでは?」

「わしが確かに送った人間は、すでにこの世を去っておる。価値の分からぬせがれが倉庫にしまい込んでおるだけじゃった。ならば、使ってもらうほうが有意義じゃ、そう思わんか?」


――……茶器があるのなら、どうしてあのとき――


「え? だったら、どうして……?」

「まあ、ああいって焚きつけたのは、おまえさんの本気度を知りたかったから……っちゅうことで、納得してもらえな~い?」

「本気度? 試したってことですか?」


 ラウルの表情が険しくなる。

 ありもので造れるというのなら、なぜあんな無駄なやり取りを……?


――こちらは命を落としかけたというのに……。


「まあ、そんな怖い顔せんと~。お望みの茶器は手に入るんじゃ~。結果オーライじゃろ? 肝心のモノが『イカサマアイテム』じゃということを考えると、慎重にならざるを得んっちゅうことも理解してもらわんとの~?」


 確かに彼の茶器なしでは、どうにもならない。

 老人の掌の上で踊らされていた(?)と思うと腹立たしい気もするが、それでも無償で提供してくれるというのだ……。


――そう考えれば安いものか……。


 おまけに魔法のような効能の老酒ラオチュウまで……。


「それで、肝心の茶器は?」

「無論、あるぞい」


 トージンはそばにあったテーブルの中央にある、箱を指した。


「あれ……が?」

「とりあえず、使い方の説明と……ある程度、こなれるところまでやっておかねばの~。どういったパフォーマンスで勝負するのか、練習も必要じゃろ」

「ああ……そうです。ぶっつけ本番はさすがに――」


 箱の方に駆け寄ったラウルは、箱を開け、中身を確認した。

 そして、見事な茶器セットが置かれているのに安堵した直後、はっとしたように振り返った。


「あの……あれから……何日……?」

「何日……?」

「可能な限り早く……できれば10日以内にアポイタイトを持ってくるよう言われてから、どれくらい時間が経ったんですか?」

「あ~っとそうじゃの――かれこれ、さん……いや、四週間近くは経ってるかもの~」

「よんっ⁉ きょうは……何日、なんですか?」

「清明末3日じゃ」


 清明末3日とはナッツイート王国の月名――一般の日付の名称では4月の16日に当たる。


「しょっ……」


 茶会は確か……清明末5日。

 つまり、明後日。

 ナディアには2日前に戻るという約束をしたにも関わらず、こういった状況だ。

 約束を果たさなかった場合、クビになることも考えられる。

 そうなってしまえば、『華麗なる忠誠ミッション』の崩壊も免れない。


――まずいな。今日中に戻らなくてはならないが……しかし……。


 茶会に向けての準備が整わないまま、帰還するわけにはいかない。


「あっ! あの! そうだ。電話」


 一度ナディアと連絡を取らなくては……今後、どうするかの相談もある。


「目覚めたとたんに慌ただしいのぅ~。……イングス!」


 トージンが扉の向こうへ呼びかけた。

 一度の呼びかけでは聞こえづらかったらしく、三度目でようやくイングスが姿を現した。


「なんじゃ? ……おお、目覚めたか!」


 随分心配していたようで、イングスはラウルの姿を見るなり、歓喜の表情を見せた。


「あ、あの……随分、お世話になってしまったようで。さらに図々しく申し訳ないのですが……」

「うん?」

「電話を貸していただけませんか? どうしても早急に連絡を取る必要があって」

「なんか必死じゃのう。こういう場合、まずは自分の置かれた状況を確認するもんじゃと思ったんじゃが」


 イングスが苦笑した。


「いの一番に『お嬢』、じゃからの~」

「いや、だから……」


 イングスの発したジオットの言いそうな台詞に「ヤツは……?」と尋ねようとしたが、それに気づいたイングスが先に口を開いた。


「おぬしが老酒ラオチュウを呑んだその日、容体が落ち着いたところで『ボス』に叱られると、戻っていったわい」


『人手不足』であることを考えれば当然だが、置き手紙も言付けもなしに姿を消していたということに、ラウルは少々不満を覚えた。


――まったく……勝手なもんだな。


「電話なら、こっちじゃ」


 イングスに案内された居間の端の棚の上に、ダイヤル式のシンメトリーデザインの電話機が置いてあった。


「あ、お借りします」

「ん。使い方は分かるかの? ――終わったら声を掛けてくれ」


 一応、気を利かせてくれているつもりなのか、そう言ってイングスがその場から立ち去った。

 大きく深呼吸すると、緊張を胸に受話器を取った。

 そして、ダイヤルを回そうと指を置いたところで……


「……番号……忘れた……」


 彼が電話に触れてから最初に発した言葉は、悲壮感漂う呟きだった。

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