その頃――
都心から離れた半島の屋敷に暮らすルオ家の令嬢ナディア・ピオーネ・ルオは苛立っていた。
「なんで、戻ってこないのよ……! 遅くとも、二日前って言ったじゃない! 二日前って、きょうのことよ⁉」
何度も廊下と自室の間を往復しながら、この場に居ない執事に対して毒づいている。
実はこんなふうに落ち着かない様子は――今にはじまったことではなく、二、三日前からだった。
そわそわと彼の帰還を待ちわびていた。
「もう、いっそのことお茶会は欠席されればよろしいじゃないですか」
洗濯物を運ぶマリーに声を掛けられ、ナディアは
「そんなの許されるわけないじゃない! あの女から挑戦状を受け取ったのよ? それを……ここで欠席なんてしたら、負けを認めたってことになるでしょ? そんなの絶対にダメよ! なんとしてでもラウルには快勝してもらわなきゃ困るの!」
「――ですから、ラウルさんも勝つ算段が立たないので、戻りづらいのでしょう。いっそ棄権した方がお嬢様に恥をかかせずに済む、そういう判断なのではないですか?」
「はあ? なによそれ! ラウルは絶対に戻ってくる! そう約束したの! あの女の鼻を明かしてやるんだから!」
――まるで駄々っ子のようですわね。『彼』と出会う前は、もう少し冷静沈着というか……さほど、従者に興味はなさそうでしたのに。
「逃げたら承知しないんだから!」
と言ったところで、電話のベルが鳴った。
「――はい」
受話器を取ったのはマリーだが、気になったナディアは彼女のそばに駆け寄ってきた。
「……ええ。……まあ、ラウルさん、いったいどうなさっ――」
マリーがそう言ったところで、ナディアが受話器を奪い取って自身の耳に当てた。
「ちょっと、ラウル? いったいどこにいるの? きょう中に戻ってくるんでしょうね⁉ いままで連絡もなしに、何やって――」
一気にまくしたてたところで、ツーツーツー……という断続音が聞こえる。
え? と、驚いた表情でマリーを見ると「間違い電話のようで、すぐ切れました」と応えた。
「ちょっ……なんのつもりであんな嘘吐いたのよ?」
「お嬢様は少々冷静さを欠いていらっしゃいますから。頭の中はラウルさんのことでいっぱい……当たり散らされるこちらの身になっていただきたいと思いまして」
「当たり散らしてなんか……」
それに、彼のことで頭がいっぱいだなんて心外だ。
決して彼に囚われているわけではない――あの女を打ち負かすことだけを考えている――そう言おうと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。
「それに、ラウルさんから連絡があってもあんな調子では、前任のデンギルのように、辞表を出されてしまうかもしれませんし」
「あ……」
ナディアは急所を突かれたかのように息を呑み、鳩尾を押さえた。
――苛立っているからって、急に怒鳴りつけちゃダメよね……れ、冷静に、冷静に……。
次にリンゴーン、と来客を報せるベルが鳴り、マリーを押しのけてナディアは外へ飛び出したが、荷物の配達だった。
「あら、お嬢様自ら雑務を担っていただきまして。恐縮ですわ」
「……なによ、その言い方」
戻ってきたナディアは届いた箱を玄関脇に置き、むっとしたように言った。
そうして再び電話のベルが鳴り、意味深な視線を感じたナディアが「マリー、出て」とだけ言って、2階へ続く階段をゆっくりと上り始めた。
その間、しっかりと、意識はマリーの方へ向けられている。
「お嬢様」
「なによ」
「ラウルさんです」
「!」
ナディアはすぐさま方向転換して、階段を駆け下りるとマリーから受話器を受け取った。