「あぢぢぢぢぢっ!」
悲痛な叫び声が響き、茶碗に注がれたはずの茶は弾かれ、ステージの床を濡らしていた。
闘茶の参加者である執事が派手にやらかした――らしい。
『ああ、これは厳しい。オウ家の執事、ピエール氏。注がれたお茶も、せいぜい一口分というところでしょうか』
マイクを握る司会役の燕尾服の男性が、興奮気味に言葉を発した。
メイド服の女性スタッフたちが、舞台中央に置かれたテーブルにあった茶碗を回収し、それぞれ審査員に配っていく。
審査員がそのささやかな分量の茶を口運んだところで『点数をどうぞ!』の掛け声のあと、闘茶の専門家や学院のOGや元教師などが手元の札を上げた。
『1点、1点、2点、4点、1点、0点、3点、1点、1点、3点……合計は――』
司会者が順に点数を読み上げていくタイミングで、ステージの袖に待機していたパーカッショニストがドラムロールを鳴らした。
『17点~~!』
シンバルが鳴り響き、点数の発表の声と共に、執事が残念そうに崩れ落ちる。
『随分と辛い点数になってしまいましたが――0点をお付けになったタン先生、お厳しいですね……お話を伺いたいと思います』
『あんなもの、闘茶とは言えないわ。品もないし、最悪ね』
タン先生と呼ばれた眼鏡のマダムがマイクを向けられ、仏頂面で応えた。
『ははあ、さすが業界一お厳しい先生らしいお言葉です。それでは、ピエール氏に大きな拍手を~~~~』
会場に拍手が沸き起こり、出演していた執事がステージを去った。
――まあ……
トップバッターの執事の演技を見て、ナディアが胸を撫で下ろした。
――悪目立ち? ラウルさんは勝つために出場するのでしょう? ああいったみっともない姿を晒すはずはありませんわ。
――そ、そうだけど……。
――何を弱気な。信じて待つとおっしゃったのはナディアさまですのよ?
――う……ん……まあ……ね。
マリーの強気な様子にたじろいだナディアは、それでもラウルが現れないことには話にならず……不戦敗してしまうことになるかも――と、頭を抱える。
――周囲がへたくそだからって、楽観視はできないわね。
そんな調子で闘茶王座決定戦はスタッフの無駄ない動きのお陰でスムーズに進んでいった。
★
「な……なんでこんなに進まないんでしょうか?」
マカデミアのメインストリートは非常に混雑していて、歩行者に追い抜かれるんじゃないかというくらい、ラウルを乗せたイングスのタウンカーはゆっくり前進していた。
「普段からここの大通りは混雑気味ではある……じゃが、特にきょうの混み具合は……尋常ではないのう。事故でも起こったのかもしれん」
スピード狂のイングスが渋い表情で応えた。
「回り道をしても……厳しいんですよね?」
「これだけ混んでおれば、回り道をすること自体難しいのう。ほれ、右にも左にも……引き返すことも困難じゃ」
三車線の道が隙間なく渋滞している様子を見て、イングスが嘆息した。
「………」
腕時計を一瞥し、「開場どころか、開始時間も過ぎてる……」と、ラウルがつぶやく。
――ナディア嬢が激怒していなければいいんだが……。
何より、二日前までに戻るという約束も守れず、今回もたどり着けないとなると、信用失墜どころの騒ぎではない。
――クビかもしれんな……
行きつく先はクビ――つまり『華麗なる忠誠の奪取ミッションの失敗』を意味する。
「イングスさん、あの歩道橋の前に差し掛かったら、車を降りて会場に向かいます」
数十メートル先に迫った歩道橋を指し示しながら、ラウルが身を乗り出した。
「降りる? どうするつもりじゃ?」
「ドアを開けづらい状況であれば窓から」
「窓から……?」
さらにしばらく進んだところで「いまのタイミングがよさそうです。ありがとうございました」と窓を開け、そこから外に上半身を出しつつ、右手のワイヤーアンカーの先を歩道橋の欄干を目掛けて放った。
「お……⁉」
ほんの一瞬で、車のルームミラーからラウルの姿が消えていた。
――すごいのう。これは本格的な……ヤツか……。
「――っと」
歩道橋よりも高い位置まで自分の身を引っ張り上げたラウルは、欄干に降り立つと、ワイヤーを巻き戻しては放ち引っかけ、手ごろな建造物を目指して飛び移った。
――いまのところ、開始時間から10分程度の遅刻……出番に間に合うか……。
茶器ケースを大事そうに抱え、次から次へと低層のビルや民家などの建造物を飛び移っていく。
そうして街の中心地に訪れた頃――
「あれか……」
ビル群の中にひときわ目立つ、背の高い建造物があった。
それが目的地だと気づけたのは、エクセレント・シュベルラティブホテルという看板が掲げられていたからだった。
――目立つ場所でよかった……。
ホッと胸を撫で下ろし、ラウルはホテルの正面玄関へと降り立った。