準備が出来たというタイミングで、舞台の幕が開いた。
『大変お待たせいたしました。本大会のトリを飾って頂きます。ルオ家執事、ラウル氏の登場です』
司会者の『トリ』という言葉に促されるよう、大きな拍手が鳴り響いた。
茶壷を持ち、ステージに上がったラウルが、恭しく頭を下げる。
「! あ、あのお衣装! 伝説のデザイナー『マドレーヌ・ブ』による、ヴィンテージスーツ! うそよ、信じられない。まさか……まさか、こんなところで――‼」
彼の着用した、借り物の黒いレトロスーツを見るなり、マダム・タンが口元を覆い、身体を震わせた。
「ナッツイート式闘茶では、ヴィンテージスーツを
マダム・タンの隣の審査員、元闘茶の師範であるソ
「しかもあの体躯バランス……。やや優雅さには欠ける動きだけど、身体を鍛えていることがうかがえるわ。体操かなにかを習得しているようね」
ラウルの歩く姿を鋭く見据え、マダム・タンが眼鏡のつるを持ち上げ、不敵な笑みを浮かべた。
ステージ中央まで歩みを進めたラウルは、再び審査員たちそれぞれに向かってお辞儀をする。
「――では」
道具を使ってはいけないというルールはない。
ラウルが床を蹴って跳躍したところで、何が始まるのかと、客席がざわめく。
ステージの天井ギリギリの高さまで上がり、右足首に仕込まれていた鍵付きのロープを
「なによ……あれ⁉」
思わず、ステージ傍のグランナが声を上げた。
逆さ吊りの状態になったラウルが茶壷の
――あんな高さから、素人がうまくいくわけないじゃない。何を考えているの? 気でも違ったのかしら? せいぜい、恥をかくがいいわ‼
グランナがそう思った瞬間――
『おおおお、なんと! なんというパフォーマンスだ、これは⁉』
ラウルが振り子のように揺れ、茶壷から流れる茶が茶碗に注がれていく。
『すごい! すごい高さです! こんなギリギリの高位から挑んだ演技を見たことがない。しかも大きく揺れ動いているというのに、まったく零れていないぞ。それどころか、均等に茶碗に注がれています‼』
一列に並んだ茶碗に、緑茶の緑が嵩を増していった。
振り子の動きだけには飽き足らず、くるくると回転しながら左右に揺れるという動きに転じ、流れ落ちる茶の動きすら確認するのが困難になっていた。
にも関わらず、茶のしずくは確実に茶碗に落とされていく――
「そうか。なるほど! こうして少しずつ順に注いでいけば審査員に渡る茶には濃淡などの差がなく、均等に提供することができる! もてなしの精神が如実に表れているというわけか!」
「とんでもない逸材が現れた……そして、見ろ! 照明に照らされた茶のしずくが……」
「光り輝き、まるで宝石の粒が落とされているようだ!」
「見事だわ。現段階では確かに見事な演技だと言っていい。でも、最後まで……茶の味を見ないことには……なんともいえないわね」
茶壷から茶を注ぎ切ったところで、反動をつけたラウルが持っていたナイフで足に絡みついていたロープを切り、弧を描きながら、茶の並ぶ台から離れた舞台は端に軽やかな着地を決めていた。
バランスよく着地したラウルは、審査員方々へ向けてのお辞儀、そして、観客に向けてのお辞儀をした。
「これはまた、すごい技だ!」
「しかも……俊敏でありながら、雅さも備えている」
『――ああっと、思わず見とれてしまって言葉を失いました。ルオ家の執事ラウル氏……トリを飾るに素晴らしい演技を披露していただきました! とてつもない高さから、アクロバティックに煌びやかな茶を注ぐ姿は麗しく、そして、間違いがなかった! まったく茶が零れていません。まさに神業でしょう。――さあ、いま審査員の先生方すべてにお茶がいきわたりました』
司会者の声が、これ以上ないくらい高揚している様子が分かった。
会場に緊張が走る。
ラウルも硬い表情で審査員たちのほうを眺めていた。
「……結構なお点前ね」
マダム・タンが感服した、といった様子でひとこと発した。
その一言でラウルの表情が和らいだ。
『おおおお! タン先生が……まさか、このようなお言葉を……! どうなさったのですか? 鬼のマダム・タンとまで噂されるほどの、厳格な審査員でいらっしゃるのに⁉』
「――鬼とは随分ね。わたくしは正直なだけ」
司会者の失礼なものいいに顔をしかめ、マダム・タンは空の茶碗を置いた。
「私も……このようなダイナミックで旨い茶をいただいたのは、初めてかもしれません……」
『闘茶協会前副会長をお勤めになられたギ先生も絶賛されています!』
――どういうことなの、あの執事? ひと月の間にあれだけ? だけど、ウイキョウほどの優雅さはないし、動きにぎこちなさがあった! まだまだ勝負は分からない……! うちのウイキョウがあんな素人同然のぽっと出なんかに負けるわけないのよ!
身体を震わせながら、自信の従者を信じてグランナは拳を握りしめていた。
――すごいわ、ラウル! あれなら、優勝狙えるんじゃないかしら⁉
思わず立ち上がるナディアに腰かけるように促すマリーが、
――しかし……そうはいっても付け焼刃です。審査員の方々の目を欺けるほどの力を身に着けていつのかどうかは……。
そう囁いて、うつむいた。
――なによ、その言い方。マリー、あなた闘茶について詳しいわけじゃないでしょ?
――だから、素人の見立てで判定した気になると、痛い目を見ると申しているのです。確かに
凄い演技を披露してくれました。ですがこれは、あくまで、闘茶に造詣の浅い人間の感想です。
――どうしてそんなに不安をあおるようなことを言うのよ……? 審査員だってあんなに褒めてるじゃない。
――ああやってほめそやすのことが演出だという可能性もあります。それに……不安をあおっているわけではございませんわ。ぬか喜びは危険です。期待していた分、精神的ダメージが大きいという話をしているのです。
「―――」
何かを反論しようとしたナディアは、言葉を詰まらせた。
結局、素人目線であれこれ言っても始まらない。
審査員のジャッジに委ねるしかないのだ。
『それでは――気になる点数をどうぞ――』
司会者の掛け声を合図に、ドラムロールが鳴り響いた。