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わたしのうちは某国の何代も続く名家でね……でも、父が他界してからは転落していく一方だった――
でも、せめて全寮制の名門女学院を卒業するまで、これまでの生活をさせて欲しい、そう願っていたのだけど……
「ロジエ、あなた退学して結婚しなさい」
学長室で待っていた母の言葉に、わたしは愕然としたわ。
「お母さま、なにをおっしゃっているの?」
「思っていた以上に、厳しい状況なのよ、そこは理解して。ある殿方と結婚さえすれば、わたしくしたちの生活は安泰。貧乏はいやなの……あなたもそうでしょう?」
わたしと同様、お嬢様育ちの母が貧乏暮らしに耐えられる筈がなく……。
その場で一方的に退学を決められたわたしは、人身御供同様に成り上がりの男に嫁ぐことになってしまった。
母が強引に見合いを進めてきた成金の男性――シャルルはとうに三十路を超えていた。
そのくせ、わたしのような若くて美しい娘(当時一七歳)を娶ろうなんて、図々しいとも思ったわ。
だけど……
没落した家の娘には選ぶ権利なんてなかったの。
いくら血統がよくても、血筋だけで食べてはいかれない。
それに――わたしだけじゃなく、母の生活も守らなくてはならなかったから、犠牲になるしかなかったのよね。
幌馬車に揺られるわたしは、まるで護送される囚人のようだった。
まるで逃げ場がないの。
窮屈な空間で、母のご機嫌を伺いながら、ただひたすら彼のつまらない話に相槌を打っていたわ。
「どうしたんだい? 浮かない顔をして」
馬車で向かい側の席に退っていた身なりのいい男性――シャルルが、問いかけてきた。
愚問だと思ったわ。
こんな男に嫁ぐと聞かされて、どうして浮かれられるというのかしら。
「なんでもないわ。少し酔ったのかも……」
「それはいけない。この先に、ちょっとした街がある。我々に相応しい格式高い都市とはいえない風情だが……近隣にほどよい集落などもないからね。そこでしばらく休もう」
「……ええ」
その街に立ち寄りたいかどうかは別として、一刻も早くこの閉鎖的な空間から解放されたかった。
「わあ……」
馬車を降り、ハンハイムという街を訪れたわたしは急に気分が高揚するのを感じた。
確かにシャルルの言う通り、建物の様子が古臭く、近代的とはいえないけど、どこか芸術的な香りの漂う面白みのある風景をしていた。
歩いている人々の装いも華やかさはなかったものの、わたしたちのような装飾過多な衣装とは違い、シンプルで機能的に思え、好感が持てた。
なにより、通行人の表情が明るい。
きっと、自由を尊重する土地柄なのだろう。
「あれ、なにかしら?」
子どもたちが食べているきつね色の二本の棒をらせん状に巻きつけたようなお菓子を見て、わたしはそれに興味を持った。
「ああ、あれは『ネジネジ』といって、庶民的な揚げ菓子だよ。我々が食すようなものじゃ――」
「ねえ、ぼうやたち。そのお菓子はどこで売られているのかしら?」
シャルルの台詞を遮って、わたしは菓子を持った少年のひとりに訊いた。
「ん? あっちだよ」
少年の指さす方向には『ドゥースン菓子店』という木製の板に芸術的な貴婦人の描かれた看板があった。
その立派すぎる看板の下にはこぢんまりとした建物が見える。
あれが『ネジネジ』の売られている菓子店のようだ。
「ちょっとわたし、行ってくるわ」
「ロジエ!」
母が制止の声を掛けてきたが、わたしはどうしてもあの素敵な看板のある菓子店に行きたくなって、駆け出していた。
「もう、はしたない!」
「いいじゃありませんか。まだ旅は長いですから、ここでのんびりするのも悪くない」
後方から聞こえてくる――この、シャルルのどこか余裕のある台詞がなんだか気に障ったわ。
だけど、余裕のある態度がいずれ崩れ落ちていくことを、このときはまだ知らなかった。
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