そして、彼らが向かったのはスマイル百貨店という、スマイル・ハン・カンパニーのグループが経営する五階建ての店舗だった。
「こちらで?」
店舗の前の駐車場に車を停め、ラウルが訊いた。
「ハン会長主催のパーティーに参加するんだったら、ここで水着を調達するのが筋かと思ったの。どうせ、それなりのところはスマイル・ハン・グループ傘下ばかりだし。必然的にここになるわ」
「……そう……ですね」
「そんなわけだから、買い物に付き合って。そうね、あなたの水着も一緒に選びましょう?」
「え……私も……ですか?」
ラウルが自身を指差し、尋ねた。
「だって……もしも、わたしが海で溺れたらどうするの? 陸からぼーっと見てるわけ?」
「え? いや、もちろん一番にお助けに向かいますが……」
と、言いながら内心では気が気じゃない。
――水着なんて、道具を隠し持つのに向かない衣類だ……。
現在の服装、執事衣装のありとあらゆるところに武器を含む小物系のアイテムが隠されていた。
着心地のよさはともかく、ラウルは内外限らずポケットや何かを引っかけることが出来るような衣服を重ね着することがスタンダードであるため、極端な軽装――というか、裸同然の姿になるのは落ち着かない。
職業病のようなものだろうが……鎧と剣を取り上げられた騎士のような気分、というのだろうか……。
――なぜ、あんなものを着用しなければならない? 俺のアイデンティティすら揺るがしてしまうほどの、
「どうしたの?」
拳を握りしめてぷるぷる震えているラウルに、ナディアは怪訝そうな表情で訊いた。
「あ……いえ……確かに海へ行くのですから、水着を用意しておくのは当然だと思います。ですが……私のような従者が……あのような……布地の少ない衣類を身にまとうには、少々抵抗がありまして……」
「……回りくどい言い方してるけど、要するに恥ずかしいってこと?」
「……はあ」
苦笑しながら、ラウルは俯いた。
その様子に、ナディアがハッとしたような表情をする。
「ラウル」
「はい?」
「……変なこと訊くようだけど、たとえばなにか……昔の傷跡とか火傷の跡とか、そういうのがあって……肌を晒すのがいやだとか。そういうこと?」
どことなく同情的な様子で、ナディアが顔を覗き込んできた。
「え……」
なるほど、そういうことにして乗り切るのも手か……と思ったラウルは微かに頷いた。
とはいえ、傷跡があったからといって別にそれを見られるのが恥ずかしいとは思わない気はするが……自分ならば。
「そうだったのね。だったら、傷跡を隠せるような布地の多いものもあるはずよ。一緒に見てみましょう?」
「あ……だから……その……」
――そういう問題じゃないんだが……。
強引にナディアに引っ張られながら、ラウルは水着売り場へと向かった。
★
「これなんてどう? かなり露出は抑えられてるわ!」
ナディアが手に取ったのはワンピースタイプの赤と白のボーダー柄。
丈はひざ上くらいまで、露出が少な目といえばそうだが……。
――こんなものを着用していては、センスが疑われるな。まあ、ある意味、怪盗らしいと言われたらそうなのかもしれないが……。
とある創作物の有名な怪盗が、そのような水着を身に着けているのを目にしたことがある……。
あれはあれで怪盗のキャラクターのおかげで
「どうしたの?」
「あ……いえ。少々派手といいますか、目立ってしまうような気がして……」
「そう? 溺れたときにいち早く見つけてもらいやすいように、こういう目立つデザインなんだと思ってたわ」
「……機能的……なんですね」
別段。ナディアがこの水着をイカしてるとかカッコイイとか思って薦めてくれたわけではないと悟り、少しばかり安堵しつつももラウルが醒めた様子でそう呟いた。
「気に入らない?」
「ええっと……私の水着などより、お嬢様のお召しものを選びましょう。主役はナディアさまなのですから」
ラウルは反論する隙を与えず、さあさあ、などと言いながら女性水着売り場のほうへ歩いていった。
だが、それに気を悪くした様子はなく、「ラウルはどれがいいと思う?」などと尋ねてきた。
「そうですね……」
といいながら、ラウルは非常に困惑していた。
なぜなら、女性の水着売り場で彼女のような身分の者の従者は、女性ばかりのようで、男の自分がこの場に居ることがなんだか落ち着かなかったからだ。
いや、カップルで訪れている富裕層の者もいなくもないようだが……。
「私の意見などより、ナディアさまの好みのものを選ばれるのがよろしいかと思います」
ここに居づらいということを暗に示すように、ラウルが苦笑した。
「……そう。じゃあ、いくつか選んでくるわ」
ラウルの回答に対して少し不満そうに俯くと、ナディアは水着を見比べ始めた。
男性コーナーとは違い、種類が様々で選ぶのに時間を要しそうだ。
「では、私はあちらの方で待機しておりますので、御用の際にはお声がけください」
水着の店舗の入り口近くに、ちょっとしたスペースがあった。
女性向けの水着コーナーに男が立ち入りづらいというのもあり、ここで連れを待っているような男性の姿も数人。
――悪目立ちしないのは幸いだな……。
と、一息ついたところで――
「……ラウルさん」
と、声を掛けてくる女性があった。
「?」
振り返ると、頭にはスカーフを被って目にはサングラス、口元にはマスク、夏場にも関わらず黒のポンチョを羽織っているという――アヤしさ満点の女がやや、身をかがめるようなポーズで立っていた。
「ど、どうしたんですか? もしかして、マリーさん?」
「しー。お嬢様には気づかれないようにお願いします」
「いったいどうして……?」
「きちんとお嬢様に相応しい水着を購入なさるのか、見守る必要があると思いましたの。淑女らしいものを身に着けていただきませんと、旦那様に合わせる顔が――」
と言いかけたところで「ラウルー」と、ナディアの呼びかけが聞こえた。
「はい」
「ねえ。この二着で迷ってるんだけど、どっちがいい?」
ナディアが水着の掛かったハンガーを持ち、前身に当てた。
「ええっと……そうですね」
が、ラウルの背後に身を隠したマリーが
――いずれも露出が高く、淑女にはふさわしくありませんわね。
「……どっちも気に入らないってこと……?」
ナディアが表情を曇らせた。
二着の水着はいずれもビキニタイプで、茜と紺の色違い。
確かに布地が少ないようには感じられた。
「いや、少々刺激が……」
バツが悪そうにラウルが言うと、ナディアは苦笑した。
「なに心配してるのよ。当然、なにか羽織るなりパレオを巻くなりするから、そんなに肌を出さないわよ。さすがに陸地をこのままで歩き回るほど、恥じらいがないわけじゃないから」
「そう……ですか」
しゃがみこんで身を隠すマリーを見遣ると、納得はしていない様子ではあるものの、強固に反対しようという意志は見受けられなかった。
「それで、どっちの色がいいと思う?」
「ナディアさまは……どちらがお好みなのでしょうか?」
「わたしは、あなたに訊いてるんだけどな?」
「そうですね……でしたら、こちらの明るい色のほうを……」
暖色である茜色の方を指差した。
「こっちがラウルの好み?」
上目遣いに顔を覗き込まれ、ラウルは緊張したように唾を飲み込んだ。
「え、ええっと……海は青系の色に囲まれていますから、赤系の色合いのお召し物のほうが、目立つかと思いました。万が一ということもありますから」
「……なによそれ、さっきの仕返し?」
赤と白のシマシマ水着は、水難事故時に見つけてもらうように目立っている、と評したことでそれを根に持っているのだと思った。
「いえ……ナディアさまには暖色系統の水着のほうがお似合いになるかと……」
「……そう……?」
「ええ」
ラウルが力強く頷いたことで、気をよくしたナディア「これにするわ」と笑顔を作った。