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第18話 騎士団に行ってみよう

  殺魔移住してその生活様式に驚きつつも穏やかに過ごせているのはひとえに宿の存在が大きい。

入國初日に女将と大将の人柄に絆された。というのは自覚があるものの初めて触れた喜びは大きく、自然と懐いてしまうのは犬の性か。


 これで女将と大将が悪い人間なら宿を変えるなどの方向もあっただろうが、この夫婦もまた天結に絆されていた。


 宿に宿泊して初日、年若い娘が1人で旅をしてきたと聞けば子育て真っ最中の狸夫婦はこの子がもし我が子だったらどうだろうと考えた矢先、焼酎片手にホロホロと涙を流した。


 初めは旅の疲れや不安から来たものと思っていたがどうも話を聞けばそれだけじゃない。実家にいたときは両親からもこんな温かな言葉はもらったことがないという。


 「よくかえってきたね、おつかれさま。」


 それは家族なら誰だって言われたことのある一般的な言葉だ。それなのにそんな言葉両親からかけられたことがないというのはどういうことか。基本的にイヌ科はパートナーに対する愛情が深く、一生をその個体のみと連れ添う。ネコ科はシーズンで相手が変わるし、偶蹄目はハーレムが多いことを考えるとイヌ科の家族への愛情のかけ方は半端ない。


 それなのにそのイヌ科の娘が両親から「おかえり」の一言すらかけてもらえなかったなど、狸とはいえ同じイヌ科の夫婦には信じられない所業だった。夫婦にはすでに巣立った双子の息子が似たような年だったのでなおさらに許しがたかった。


 遥か遠くの実の親よりすぐ近くの他人のほうがいいと言われるくらいかわいがってやる。と密かに決意していた2人である。双子が男の子で三つ子が男の子なのも拍車をかけたかもしれない。女将いわく。


 「女の子も育てたかったのに。」


 そんな思いもあったからかもしれない。


 とにかく2人は天結を気にかけた。出かけるときのいってらっしゃいとおかえりは欠かさずに声をかけた。最初は自分に言われてるとわからなかったようで、名前をつけてから声掛けするようにするとニコニコとはにかんでちょっと視線を下げてから上目遣いに「ただいま」を言われたときのことときたら。


 感動だった。娘からただいまが聞けた!可愛すぎじゃないうちの子!何あのハニカミ可愛すぎでしょ!と壁を叩きたくなる衝動を抑えていたことなぞ天結は気づくよしもなかった。


 天結も天結で三つ子ちゃんの子守をしたり食堂が混んでいるときは皿運びを密かに手伝ったり(客がいなくなったあとの皿を夫婦が見てない時にカウンターに置いておくだけ)をしていたがその小さな気遣いが夫婦を喜ばせていた。


 だから天結が住む場所の決め手として宿から通り1本横でいつでもご飯を食べに通える場所になったのは仕方のないことだった。


 住む場所を決め夫婦に相談したらそれはそれは喜ばれたし、同時期に宿に留まっていたツネヨシとネネ親子には次に来たときもわかりやすい。といいネネは次に殺魔に来たら遊びに行くと言ったし、ツネヨシは次回秋にまたやってくるからその時までに大小絵を30枚ほど頼みたいと残して去っていった。


 抜け目のない親子である。


 そんなこんなで場所も決まったので着工前に書類提出せねばなるまい。と狸夫婦に相談したらそれなら騎士団に午前中行って申請ついでに一回目の入國手数料の労働を済ませてしまえばいい。とアドバイスをもらったので今日は朝食後に関所に向けて歩いていた。


 テルクニ前の蓮の花に癒やされて温泉の中をじゃぶじゃぶ進むとゴロウモンと呼ばれる大きな門が見えてきた。


 労働のことを門番に行ってもしょうがないけど、すんなり通れるものかと緊張して通過したが案外あっさり入れたのでそのまま関所ではなく騎士団本部と思しき大きな建物に入っていく。


 中は広く天井の高いロビーがあって騎士の制服を着た人たちが行き交っている。


 前回手続きをしたのは犬の騎士だったので同じ人に尋ねたほうが話がすんなり通るかもしれないな、と考え入り口から入った掲示板に騎士団詰め所と書かれた場所に向かって歩き出した。


 今日は騎士団に来るとあってあびぃちゃんは家に置いてきた。うっかり魔物と判断されて討伐されてはたまらないからだ。


 なれない場所と物々しい雰囲気に加えてなんか見られてる気がする。


 そう。見られている。


 すれ違う人々がなぜか天結をしげしげ見る。


 なんで?こわっ!


 そんな不安に狩られつつも薄暗い通路を通って温泉の流れ落ちる角を曲がろうとして足を止めた。角の向こうから急いでる人の気配がしたからだ。


 「あぁ、いらっしゃい。今日はどんなご用件かな?」


 頭の上から声が降ってきた。耳に優しいバリトンは穏やかで一番会いたかった人物の登場に天結の緊張も少しマシになった。


 「おはようございます。住居が決まったのでその申請と入國のときに約束した労働の一回目をと思ったんですが。」


 薄花色の毛並みに紺碧の瞳、ハスキー種の獣人。狛犬東郷藤右衛門。天結が探していた人物である。


 「おはよう。では先に手続きをしてしまおうか。こちらに。」


 そう言って踵を返す大きな背中を追いかける。角の先は真っ直ぐな通路沿いに左右いくつもの空間に鳴っていて色違いの制服を着た獣人たちが何故かこちらを見ているので、天結は顔面を引きつらせながら背中を見るしかなかった。うっかり誰かと視線でも合えば怒られるんじゃないかとすら思えるこの緊張感は何なのか。


 「ではここに座って。」


 「え、ここですか?」


 「何か問題があったかな?」


 「いや、問題は⸺⸺。」


 あると言いたいがはたしてそれを言ってもいいものだろうか。普通こういった手続きってカウンターで向かい合ってするものじゃないのだろうか。


 机同士が向かい合った席が並べられた一番奥に2個の机側面を正面として置かれた、いわゆる誕生日席と言われるポジション。


 (これは偉い人が座る席なのでは!?勝手に使っていいの!?)


 とまどう天結をよそにバリトンは続けて紡がれる。


 「カウンターを設置してないからすまないがここを使って欲しい。ここは私の席だから問題ない。」


 そんなこと言われても……。と思って藤を見上げれば立っているはずのお耳の先がキューンと垂れ下がっている。あ、ご不満っぽい?


 「わかりました。」


 意を決して備え付けの椅子に座るとふわりと伽羅の香りがした。


 が、それに何かを感じる余裕は天結にはなかった。



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