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第29話 一番近くに

 東郷狛犬藤衛門視点


 『なにそれ。』


 天結からの聞きなれない言葉にを受けて、俺と牙瑠風の重なった声に天結は箸を止めて、口にしていた麺をちゅるんと口に納めた。


 なにやら鑑定と呼ばれる個人の能力を識別する方法があるらしい。


 しかしながら殺魔では百人分の働きができるものを百姓と呼び、それを誇りにしているので他國のような専門意識がない。なのであまり活用されそうではないが……。


 だが話を聞くにその鑑定は生まれながらにして決められた能力と人生で習得した能力やらがかかれているという。ならば、本能で番を選ぶ犬族は生まれながらにして番が決まっている可能性はないだろうか?


 もしそうなら俺の番が天結かどうか確認できるのでは。


 まだ天結が反応が見られないのでそれについて詳しく言及しない方がいいだろうと思いそこではその話はあえて流し、どうにかそれをする方法はないかと思考をめぐらし始めた。


 当初の予定通り天結が住むと決めた場所へ検査をするという名目で(本当はそんなこと必要ない)向かいながら話をしていると、天結が鑑定ができるということで目的地にたどり着くまでにスライムの捕獲と引き換えに鑑定をしてもらうことになった。


 秘匿性があるということなので目的の建物に入り約束を反故にしないよう貸借帳を交わす。鑑定してもらうのは俺だというのになぜか天結の方がワクワクしているが、それもまた可愛いので良しとする。


 てっきり神通力で紙か何かに書き出すのかと思ったが以外にも一枚の絵が出てきた。そこには青銅と思われる鏡と玉璽、さらに鉾が描かれている。


 笑顔でそう言われてしまうと天結としてもうなずくしかない。貸借帳を交わして、先程の絵に神通力を流すと絵に描かれた道具が出てくる。


 天結に言われるままに行動すれば鏡の表面に光で丸や三角四角に線が足されたようなものがずらずらと浮かんでいく。おそらく文字だとは思うが何と書いてあるのか俺には読むこともできないどころかどこの文字なのかも見当ができない。


 「職業が騎士、天職は芸能人……凄いですね。いくつの武術をされているんですか?」


 「げいのうじん……。」


 ゲイノウジン……鯨脳人?いや、そんなはずあるまい。


 芸能人……?あの鼻持ちならなくて油断ならない吟遊詩人とか、ひらひらシャラシャラした飾りやら布切れやらをつけた衣装を身に着けてくねくねする踊り子とかああいうやつか?


 違う。なんかそれじゃない。


 たしかに甥姪に絵本の読み聞かせは上手いって言われたことはあるがそれぐらいのもので、ほかに何か褒められたようなことはない。


 絵に至っては描いたこともないのでよくわからん。


 そこはかとないそれじゃない感を隠すこともなく首をひねって天結を見ると、その足元から神通力の揺れるような気配がしてとっさに彼女の腕を引いて抱き込む。


 「天結!」


 足元に置いていた絵の抜けた白紙の額が火を纏い燃え上がる。紙を踏みつける頃には灰になってしまっていた。天結に怪我がないかどうかを確認する頃には天結の手から鏡もなくなっていた。


 「大丈夫です。絵に受け止めきれない負担がかかるとこうして紙ごと燃えちゃうんです。」


 どうやらいつものことなのか天結は慣れた様子で驚きもしていない。


 顎の下にある小さな頭から水蜜桃の甘い香りがして脇腹に疼きが走る。それを気取られないようにそっと手の力を緩めて開放する。


 「修練能力に10以上の武道の名前がありました。凄いですね!」


 「そなのか?」


 「以前聞いたことがありますが武術で五つ以上ある人は数えるほどしか見つかっていないって聞きました。」


 そう言われて「ふむ。」と考える。


 兄が二人もいるせいか環境的に三つのときには玩具代わりに棒切れを見よう見まねで振り回していたと聞いたことがある。


 基本殺魔での教育としては変な型や癖がつかないようにだったり、体の作りがまだしっかりしていないので基本は12歳までは武術は習わない。


 しかし12歳からいきなり鍛錬というのは難しいので6歳から家庭内でのみ父や祖父から段階的に指南をもらう。


 また、殺魔の教育機関には先生がいない。他國では学校と呼ばれる大きな場所で子供たちがいっぺんに集まり年齢ごとに先生という大人に教育を受けるという物があるという知識は知っている。


 では子供の教育はどうしているかというと基本は6歳までは家庭で父母に文字を習う。基本の文字をかけるようになると郷中という寄り合いに参加することができる。


 郷中は同じ地域に住む住人なら誰でも参加できるもので小稚児、長稚児、二才、長老と年齢で分けられる。下級生は上級生のもとに行きその日に習いたいことの教えを請う。ねだられた上級生は基本断ることはできない。


 下級生は自分に合った教え方をする上級生を見極める目を養い、また上手くコミュニケーションするための術を自然と身に着けていく。また、上級生は教えることで自分の復習になると同時に下の面倒を見つつ上手く立ち回り自己も磨かねば慕われる人間になれないため、陰日向になく努力するようになる。


 集まる年齢も6歳から妻帯者、ひいては老人もいたりするので地域で見知らぬ者がいなくなり結束と防犯にもつながる。


 この郷中は強制ではない。だが親兄弟が参加すれば必然と通うようになる。まぁ、通ったところで何もしない。という選択ももちろんあるのだが、この郷中のうまいところは正午の一時間前になると同じ歳の者で集まり、その日は誰に何をどう教えてもらった。という報告会がある。


 例えば小稚児が長稚児の誰それに形の良い文字の書き方を習った。こうしたらいいと細かくアドバイスをもらった。とか、逆に何某はすぐ怒鳴って手をたたく。など習ったことと上級生の教え方を報告し、ほかの子供はそれに関しての質問をする。そうするとあの上級生は算術の教え方が上手いが文字は汚いから別のだれがいい。などそれぞれの知見を話す。そうしてるうちに段々師弟関係のようなものができて師匠自慢弟子自慢が楽しげに始まる。


 この時間は必ず皆しなければならないので、その日何もしない者は「何もしていない」しか発言できないと会話に混ざれずひどく「明日は自分も」と負けん気を起こして励むようになる。


 しかし、それでも馴染めぬ者はいるもので、そういう者には長老や二才が声をかけて世話を焼く。そうすると自然とその長老や二才を慕う下級生と習うことになりいつの間にかそのコミュニティに収まるというものだ。


 これのいいところは自分のやる気さえあれば誰にでも学べる。


 おかげで自分は好きな武術ばかりを片っ端から学び同じ地域の者から学ぶことがなくなると今度は長老に強請って別の地域の郷中に武術ばかり習いに行ったものだ。ま、その反動で文字や算術楽器は恥をかかない程度ってだけで誰かに教えるほどにはならなかった。


 そんなわけでいつの間にか自分はいくつもの流派を修めることとなったわけで、天結が驚くのは無理もないと思う。


 そんなことよりも、なぜ絵が燃えたかの方が気になったわけだが……。


 「いえ、絵はまぁ、よくあることなので。」


 「よく燃えるのか?」


 聞けば普段は少しずつ何度も使うものなので燃える前に絵自体が摩耗して薄くなり消えるという。しかし今回のように急に絵の持つ許容量を超えて神通力を流すと燃えるので普段から燃やしまくっているわけではないらしい。


 「怪我だけは気をつけてくれ。」


 本当に頼むから。と言いたいがそれは余計なお世話というものだろう。喉元まで出た言葉を飲み込んで、代わりにその低い小さな頭を撫でる。


 検査という名目でやってきた以上、建物内部を見て回る。


 一階は生活スペース、二階は作業場兼寝床、三階は空き部屋が四つ(天結的には今のとこ物置)に屋上に小屋が一つ。柱や壁床に問題はなく水回りもしっかり生きているようで問題はなさそうだ。屋上の吹きさらしの小屋は少し手入れが必要だがそれほど手間もかからないので菜園も問題なくできそうだ。


 自分としては三階に空き部屋がるのでもし彼女に番と認定してもらえたら転がり込む余地があるというのも確認できたから満足である。


 建物の確認は思ったよりも早く済んでしまった。


 このまま別れてしまうのももったいなくて、スライムの捕獲に行こうと提案すれば二つ返事でうなずいてくれたので早速捕獲しているとなぜか天結は何かを書き始めた。


 「これは案外可愛いかもしれない。」


 風に乗って聞こえた楽しそうなアルトの呟きに何事だろうと、二匹のスライムをかごに捕獲して戻るとその手元にあるスケッチブックを覗き込む。


 いくつも描かれた犬獣人のデッサンの周りには犬頭の棒人間がたくさん描かれている。そういえば近所の子供が郷中で上級生の話に飽きて本にそんな落書きをしていて怒られているのを見たな。と遠い記憶で思い出す。


 「もしかしてその棒人間も私か?」


 「なんだか遠くから見てたらつい。」


 「まぁ、虫子供の取りとスライム取りには既視感があるな。」


 自分をかいてもらうというのは存外に嬉しいもので、ついついふはっと笑えばにつられたのか天結もクスクス笑っている。あぁ、可愛い。


 話の流れで家族のことを話し、末の弟が氏族の本拠地の郷中に行きたいという意思を聞き入れた父はそちらにはタケルの肝いりで氏族の若者や達人を集めた特別な郷中……学び舎がちょうどよくできたから行ってみろということでそちらにいる。


 もうしばらく会っていないのですっかり成長していまっているんだろうと、最後に見たたどたどしくも「あにうえ~」と後ろをついてくる姿を思い浮かべた。


 今でもあの頃の弟の姿が階段踊り場の家族肖像画で笑っている。


 そういえばあれからついぞ更新してないと思い出す。


 残念なことに我が家は芸術などという物には縁がなくずっとそのままであるが、これを機に新しくするのもいいかもしれないと思った。両親は老けたし甥姪も育った。前に自分が載ってない騒いだやつもいたなと空を見上げる。


 そうなれば会う機会が増えて距離が縮むかもとか、我が家に出入りする機会が増えて身内に馴染むとか邪な思いはない。……はずだ。


 肖像画の制作を持ちかけてみれば、大きな絵は描いたことがないから自信がないと言われたので何とか折衷案を探す。


 ここで諦めるわけにはいかないのである。



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