それからの天結はとにかく忙しかった。
朝起きると朝食前に宿の三つ子ちゃんの様子を確認し、三つ子ちゃんに構ってばかりなのが気にいらないのかそっけない絵画生物あびぃちゃんのご機嫌伺をしながら新居予定地の手入れを行い。
と、いっても鳴かない食べない歩かないがチャームポイントのあびぃちゃんである。そもそもへそ曲げるとか拗ねるといった感情があるのか長い間一緒にいる天結すらよくわからないが、三つ子に構ってばかりであびぃちゃんに対しあまり一緒にいれないことに対するひけめからそう思ってしまうだけかもしれない。
とにかく少しずつ家を整えつつ、午後は三日に一回は藤右衛門のご自宅にお邪魔することになった。
先日藤右衛門の家族肖像画を描くということになったものの。そもそもご家族の了承を得ているのかとか、デッサンをかきに行くスケジュールを開けてもらえるのかとか。確認事項があったためなかなか話が進まなかったのが一つの要因である。
そんなわけで三日に一度訪ねていけば誰かしらがいるので対応するとのことだった。そして午後からスケッチに行く日は朝から藤右衛門がやってきて改装のための力仕事をやってくれるので非常に助かっている。そんな日は決まって藤右衛門があちこち連れ出して昼を食べに行くのである。
「それにしても驚きました。藤さんのご自宅が意外と近くにあったなんて。」
「あぁ。天結が宿泊している宿は騎士団への行き帰りに巡回がしやすい。女将夫婦の人柄がよいことも進めた一因だが、何かあったときに気づいてやりやすいというのも一つある。」
「そんなことまで考えて教えてくださったんですね。」
「紹介だけしておしまいというわけにいかないからな。」
高いところにあるシベリアンハスキー種の美丈夫がふわりと微笑んで、天結の心臓がはねた……ものの、当の本人は『こんな近いところで美形のほほえみとか不意打ちが過ぎる』と眉間にしわを寄せた。
「今日は初日ですから皆さんいらっしゃるんですよね。緊張します。」
「はは。そんなに緊張しなくてもいい。みんな他國から来た画家に興味津々だからいろいろとうるさいかもしれないが、よその國の上流階級にあるような選民意識もなければ権力のような何かはない。安心してほしい。」
外の國には明確な身分制度がある國が多い。はっきりとした階級があるため上流階級にいるものは選民意識を持っているものも少なくない。
(本当はそういうことじゃないのに。)
これまでの旅の中でいつも気になっていた部分だ。神々が決めた役割の区分はいつの間にか人を隔てる身分という壁になってしまったのだ。
しかし、殺魔の人々はそうではない。確かに社会的役割で三つに分けたピラミッド構造となってはいるがそこに権力という物はない。どの役割にいるから誰が偉いという身分がないのである。
殺魔という國の頂点に神からのお告げを聞き政治に生かすための祭祀王とお告げを受けてそれを生かしながら人々の暮らしを豊かにするための統治王。その王たちと協議し手足となって国民の橋渡しとなる氏族の長たち。そしてそれらを支えながら國を豊かにする国民。誰かひとつでも欠けてしまえば立ち行かぬ大事な役目なのだ。
だからこそそれぞれの立場を尊重し慮り協力する。ただそれだけだというのが殺魔の人々の認識なので【身分】など気にせずそれそれ個の距離が近いのだという。
「故郷では両親と妹しかいなかったので大家族と聞いてるのでお会いできるのが楽しみです。」
犬族にしては珍しく人数の少ない家族である。とはいっても妹と時折しゃべる機会があるだけで両親なんて気が付けばしゃべることもなかった。同じ箱の中で生活していたというのにほぼ他人のような状況だった。
「大家族といっても殺魔の犬族では割と平均的な人数だがな。男ばかりの五人兄弟とあって両親は女の子も欲しかったのに叶わなかったせいかやたらと女性を構いたがるんだ。申し訳ないがつきあってやってもらえたら助かる。」
家族との関係が良好なのだろう。それを語る藤右衛門の表情は穏やかだ。
狛犬家は天結が新居と定めた家から三回角を曲がればたどり着く本当に近所だった。直線距離はそこそこあるものの時間的距離も近くあっという間だった。
玄関ホールからすぐ左の開けた空間に応接間があって、藤右衛門はそこに天結を案内するとすでに家族全員がそろっていた。
「集合するのが早くないですか?」
呆れたような藤右衛門の呟きに笑いながら寄ってきたのは彼よりも一回り小柄でちょっと老けさせたような銀と白のハスキー種から兄なのだろうと予測する。
「なんのなんの。お客様を待たせるわけにいかないからな。……お客人、お初にお目にかかる。藤右衛門の長兄で桃吉郎だ。」
「お初にお目にかかります。この度肖像画のご依頼をいただきました、小柴天結と申します。まだまだ未熟物ですのでご迷惑をおかけすることもあろうかと思いますが寛容なお心でご容赦願えればと思います。よろしくお願いいたします。ご当主様。」
「丁寧な挨拶をありがとう。そう硬くならないでくれ。と言いたいがなかなか難しいだろうから徐々に慣れてもらえたら嬉しい。早速だが家族を紹介させてほしい。」
当主が視線を向けると気品漂うホワイトシェパードの女性とその後ろを男の子二人と女の子一人がおすましをしてついてくる。
「こっちは妻の雪。それから長男の風雅、長女の弥生、次男の雪翔。」
紹介に合わせてそれぞれが会釈をしてゆく。
「もっとゆっくりと紹介をして親睦を深めたいところだが今回は人数が多いからまた個別に会う時に改めて紹介させてほしい。」
「わかりました。お気遣い感謝します。」
なぜか正面に桃吉郎、後ろには藤右衛門という双璧に挟まれて自分は小人だったのかと錯覚しそうになる天結である。そんなちょっと肉球に汗かきそうな状況を悟られないよう口角を上げる。
「それから私の両親、父の秋之丞と母の桃香。」
一人一人呼ぶよりも自分たちが動いた方が早いと思ったのか、さりげなく桃吉郎が誘導して中年夫婦の前に立って紹介する。中年といっても老いた感じではなくしゃっきり伸びた背筋に藤右衛門と変わらぬ厚みのある体躯の秋之丞と穏やかな桃香はとても五人の孫がいるようには見えない。
二人は柔らかく微笑むと軽い会釈をした。一方の天結は右手を軽く握り胸に当て頭を下げることなく膝を曲げた。
「そちらが長弟の穣一郎。奥方の鈴花殿、長女の琴葉、奥方に抱かれているのが長男の海李。」
「よろしく。」
家族を代表して穣一郎が声をかけてくれたが桃吉郎がすでに次に行こうとしているので膝だけ曲げ目礼をすると慌てて案内役を追いかける。その後ろからぴったりと離れることなく藤右衛門がついていく。
「それから三番目の弟で晴四郎。それから番の詩殿だ。二人は詩殿の成人を待って結婚する予定だ。」
まさかの紹介にちょっと天結は驚きつつも顔には出さないように膝を曲げると、若い二人は照れつつも互いに見つめ合う。
「末弟の柳右衛門は遠方にいるが春分の日前後に帰ってくる予定なのでその時に紹介させてくれ。」
「かしこまりました。」
家族全員を紹介されると流石にここでは狭いということで、場所を移すべくぞろぞろと移動を始めるのであった。