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第41話こじらせ

 狛犬東郷藤右衛門視点


 いつもの見慣れた道場が、彼女がそこにいるだけで美しく輝くようにも、置いていかれるような寂しさを感じる知らない場所のように感じた。


 行かないで。置いていかないで。ここにいて。そばにいて。


 口にできない言葉を眉間にしわを寄せてぐっと堪える。


 嫌われたくない。怖がられたくない。笑っていてほしい。隣にいてほしい。


 「こりゃぁ重症だな。」


 「こじらせすぎてにっちもさっちもいかんとは。」


 「同じ雄として同情しますね。」


 「僕は早く詩を見つけられて心底安心しています。」


 「オマエラ。」


 他人事だと思って言いたい放題である。


 そんな会話で油断していた時、次兄の娘、ゴールデンレトリバーの琴葉がとうとう飽きてしまったようで敷布の上から飛び出して天結のところに駆けて行ってしまった。


 「ことちゃんだめよ。」


 「こと~戻ってらっしゃい。」


 普段なら名前を呼ばれてニコニコと振り返る姪っ子が、大人たちの呼び声も無視して一心不乱に彼女のもとに全力で走っていく。


 止めなければいけないし、迎えにいかないといけないと思うのに。


 小さな体で持てるすべての力を使ってまっすぐに駆けていく琴葉を羨ましい。なんなら子供相手に大人気もなく狡いとすら思ってしまうのはどうしてだろう。そもそも愛嬌もよく人懐っこい琴葉を羨望のまなざしで見つめるだけで動くことができない。


 そんな狭量な自分が醜くみっともない。なのに止めることができない。そんな自分の思いなど知らない彼女はやってきた琴葉をあったり抱き上げて膝の上にせ、聖母のような顔で微笑んでいる。


 「あ。」


 瞬間、白い光の向こうで彼女の膝に乗る薄花色のシベリアンハスキーの男の子。絵を描きながらも子供を乗せた足のかかとトントンとリズムよくあやしながらも絵を見せてやる。いつの間にか二人を囲むように様々な犬種の子供たちが集まってキャンバスを覗き込む。やがてその後ろに立つ男が……。


 「おいどうする?迎えに行くべきか?」


 「とはいえ勝手に動くわけにもいきませんし……。」


 それは本当に瞬きの間に見た夢のような光景だった。周囲のざわめきにぱちぱちとまばたきをすればその光景は消え去り、天結に集まる甥っ子姪っ子の姿が見える。


 「にしても天結殿は子供の扱いに慣れているな。」


 「ええ、人見知りする雪翔が膝に乗りたがるなんて珍しいです。」


 「あらあら、手を止めて二人とも抱えちゃったわ。小さい体で大丈夫かしら。」


 そんな大人たちをよそに天結は子供にもわかるように今何をしているのか、どうしてこちらで大人たちが動くことなくじっとしているのかを丁寧に話して理解できるまで言葉を砕いて説明している。


 「あぁ~あ、うぅあ?」


 まだまともにしゃべれない琴葉が納得するまで言葉を尽くそうとするその姿に素直に好感が持てる。それは家族も同じだったようで。


 「まぁ、あそこまで子供たちに分かるように根気強く説明できるなんて凄いわ。」


 「母上は考えるな感じろ。とりあえずやってから考えろ派ですからね。」


 「良いお母さんになりそうですね。」


 誰かのつぶやきに先ほど見えた幻が脳裏をよぎる。俺の子を抱いている彼女の姿を。思わずブンブン触れそうになる尻尾と甘え鳴きしてしまいそうな鼻先を手で押さえれば、素振り八千をした後のように体が滾りすべての熱が顔に集まる。ドッドッドッドッと心臓の音がやたらと耳にうるさい。自分の横に立っている次兄と親父殿の呆れた視線もうるさいが今はもうそれどころではない。


 「重症だな。」


 「ムッツリめ。」


 二人のそんな小さなからかいも右から左だ。


 「私ももっと子供たちと向き合うべきかもしれないわ。」


 「キミは十分よくやっていると思うよ。いつもありがとう。」


 「まぁ。」


 なぜその流れでナチュラルに惚気られるのか。おかげで体の熱は引いて若干の苛立ちを感じつつもあえて黙っておく。ここで何か言っては負ける気がする何かに。


 やがて子供たちは納得したのか元の位置に戻ろうとするものの、一番小さい琴葉は作業自体が気になるようで、戻る事に抵抗を見せる。


 それを見て天結は 腰に下げたポーチから小さな絵を取り出して、琴葉の手に乗せるのが見えた。


 「あら、あれ最近郷中で話題になってるやつかしら。」


 「まぁ、あの絵は彼女が描いたものでしたのね。」


 「郷中では見せていただきましたが数があまり無いようでいつも取引しそびれてますの。」


 「今話題って何だい?」


 盛り上がる女性陣に男たちは何のことかと首をひねる。


 「神通力を込めると動き出す絵ですわ。」


 「まだ神通力を上手く扱えない子供の練習に使ったり、幼児をあやすのにとてもいいと評判なんですの。」


 「ただその作家さんがこちらに移住してきたばかりでまだ家を整えていないから満足に作品作りに打ち込めないということで。」


 「数も少ないし直接ご本人じゃなくてさつま路の女将さんが仲立ちしてることもあってタイミングが合わなかったりといろいろあって我が家はまだ一枚もありませんの。」


 「皆さんこぞって交換を申し出てらっしゃって。」


 「そんなに人気なのか。」


 「ここは娯楽も少ないですもの。それが育児に役立つなら皆さん喉から手が出るほど欲しいのですわ。」


 「その作者が彼女だと?」


 「おそらく。」


 子供たちはおろか大人たちもその動向を固唾をのんで見守る。


  すると、何か書かれていた絵は白紙になりその中から青と紫のスライムがポヨポヨと飛び出してきた。


 「まぁ何か跳ねてるわ。青色と紫色の球体?」


 「は?」


 覚えのあるワードに思わず二度見してまう。まさかあれは先日天結に捕まえて渡したスライムなのか?


 やがてその絵の中から半袖の白シャツに茶色いハーフ丈のトラウザーズを履き、麦わら帽子、虫取り網に 虫かごを装備した紺色犬顔の棒人間がかけて出てくると、子供たちはわっと声を上げて喜ぶ。


 既視感。


 あれは……まさか。俺か?


 「まぁ、ずいぶんコミカルに動きますのね。」


 「当たってもぶつかったりケガをしないんだな。」


 賑やかに戻ってきた子供たちの様子に、大人たちもその動く絵に興味津々。さすがに同じポーズを取っていることもそろそろ苦痛になってきたこともあり、子供たちの手元を全員が覗き込んだ。


 ただ自分だけは明後日の方向を見ていたたまれなくなるが、最後に自分の神通力を込めてほしいと甥姪に強請られて否はない。神通力を込めてから絵を返してやると、ふと離れたところにいる彼女の様子が目に入った。


 一通り家族の中で絵が一周したころ、大人たちははっと我に返ってゆっくりと天結の様子をうかがう。


 だが彼女は何を言うでもなくじっと真剣な表情でスケッチブックに向き合っていた。止まることのない鉛筆を持つ手が時折ページをめくる。


 あまりの真剣さに一家は互いに「しぃー」と指を一つ口元に当てると気配も音も消して器用に集団移動を始めた。


 夢中になっているせいか、これだけの人数がそばにいるというのに気づく気配はなく。瞼に焼き付けた光景を一瞬も逃さないと言わんばかりの気迫。


 次々と描きこまれていく家族の楽しそうな表情にこちらも呼吸を忘れてただただ見つめ続ける。


 どれくらいたったのか、ふと足元の琴葉で我に返った天結はようやく取り囲まれていることに気づいたらしい。思わぬ出来事に焦っている姿も可愛い。


 「こんなに表情豊かに描いてもらえるなんて。」


 スケッチブックの中身を見て好き好きにしゃべる女性陣に対し親父殿と兄弟達は別のことが気になったらしい。


 「絵も凄いですがそれを描いている間の集中力たるや。」


 「この人数が動いても全く気付く様子がありませんでしたからね。」


 「職人としては良いことだがこの質はちょっと心配だな。」


 女性陣が先導して応接間でお茶にしようと移動を始めた後ろ。男だけで集まってこそこそと話をする。


 「あの様子だと外で何か夢中になりだしたら危険じゃないか?」


 「彼女採取とかも行くんだろう?」


 「未来の義妹に何かあってからでは遅すぎる。」


 「余計なこととも思えるが彼女に何かあれば藤右衛門が狂う。」


 そう、それはイヌ科獣人だけにある番の危険性。オスは自分の本能が察知した番を失うと本能が暴れ出し狂人と化してしまうのだ。


 「藤の反応を見る限り十中八九番であろうが彼女の反応が気になる。」


 「なんにしても万が一を想定して影をつけよう。」


 「申し訳ありません。」


 「まだ確定していない段階で藤が張り付くのは不自然だからな。それで嫌われては本末転倒だ。慎重にいこう。」


 「お気遣いありがとうございます。」


 当主としての長兄の判断に感謝すると親父殿が顎に手を当てる。


 「そうなるとだれをつけるか……。」


 「そのお役目、自分がやりたいっすよ。」


 「和氣家か……歳も近いしいいかもしれないな。」


 「ではその任は和氣家に。」


 「了解っす。」




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