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第55話 名もなき男の語り

 私は大犬氏族長の側近をしている。と、いってもそれは自分だけではなくて大犬氏族長の側近は自分を含めても六人いる。先輩が四人に側付きになってニ年を過ぎた後輩が一人。


 最近では先輩方につまらない注意を受けることもなくなったし、年中行事は指示を出される前に動けるくらいには慣れたし、大分できる獣人になってきたと自負している。


 そろそろ春分も近づいてきて討伐戦の話も出始めたころだった。霧島には妙見に熊襲の穴と呼ばれる場所がある。その穴から年に四回春分、夏至、秋分、冬至になると魔物が沸きだす。


 魔物を倒せるのは最も神に近い氏族の龍族。でもその数は年々減ってきて霧島には小龍氏族が30人程度と大龍氏族が20人ほどと圧倒的に少なく、その中で戦えるのもなど数えるほどだ。だがここはまだマシだ。殺魔本城は戦える龍氏族は5人だと聞いているからだ。


 それに加え犬氏族の犬鳴。最近は猿叫と呼ばれる犬鳴を真似た猿氏族と犬族と同族である一部の狐氏族や狸氏族くらいしか戦えない。


 まぁ、犬氏族の本拠地は霧島なのでその数はどの地域よりも圧倒的に多い。それに加えて霧島で起きる魔物津波は殺魔本城に比べれば規模が小さいのだ。だから毎回大した被害は出さずに済んでいる。


 だが近年その討伐においてちょっとした問題が起きている。


 熊襲山は熊氏族が多く住む地域なのである。本来ならその程度のことは大した問題でもなく熊氏族と連携を取りつつがなく終えるのであるが、代替わりの影響で大熊氏族と小熊氏族の氏族長が交代したのだ。


 これまでは温和な男たちが長を務めていたのだが今代はどうも若いからか血の気が多いらしく、前回の討伐では熊氏族だけで退治できると息まいていて山を封鎖し他氏族が入れないように規制したものの、犬鳴のない熊氏族では何の効果もなく無駄に刺激をして個々を強くさせてしまったばかりか巣穴から魔物が溢れて騎士団や冒険者だけでなく周辺の一般住民にまで犠牲者が出た挙句に散らばった魔物探索で終結までに二週間を要した。


 その失敗を踏まえて今回は犠牲が出ないように策を講じなければならない。


 だというのに、討伐自体はやらせてやるが指揮権は熊氏族によこせという。はっきり言って迷惑だ。これまでなら犬氏族が数で多いため他の氏族と連携して討伐すれば手間も少なくうまくいっていた。


 それに最近は討伐だけではなく普段の素行も荒くなってきた。腕力だけはある氏族なのでどうしても小型氏族は勝てるわけもなく略奪に近い行為が何度と繰り返されそのたびに抗議を入れるが馬に念仏、糠に釘。全く持ってなんの効果も果たさなかった。


 そんなわけでどうしたものかと側近一同頭を巡らせていたわけだが、そんな時に氏族長様に薩摩本城に詰める狛犬家から早荷の書状が届いたのだ。


 なんでも駿河から小犬氏族長の保護する少女がいる。300年前の密命を受けた一族かとも思ったが家門が違うというのに否定するにも受け入れるにも根拠がたらず判断できない。として直接の沙汰を求めてきたのである。


 確かにこれが本当に300年前に流出した一族の末裔ならぞんざいに扱ってはまずい。


 300年という途方もない時間をかけた悲願なのだ。うかつなことがあっては一大事だ。だからこそ判断を求められたのだろう。


 これは犬氏族と巫女、統治王だけに伝わる事案なだけに早急に対処したほうがいいということになり、同行者は長たちのほかに側近が三人ずつの八名で移動。少数精鋭で急ぎ殺魔本城に向かった。


 殺魔本城につくと統治王様への謁見。


 統治王の後ろに控える長身で厚みのあるハスキー種の男に目がいく。若者を脱した端正な顔立ちに艶のある薄花色の毛並み、後ろになでつけた紅緑の髪と伏し目がちながちなまつ毛が影を落とす紺碧の瞳は同性から見ても大人の色香が漂っている。


 それだとゆうのにその佇まいには一分の隙もなく姿と腰に下げた刀が彼が武人であることを物語っていた。


 その圧倒されるような存在感。


 「そちらの御仁はずいぶんと東郷が気になる様子だな。」


 しまった。と思った時には時すでに遅く、本人も統治王もこちらを見ているし本人にはちょっと困ったような顔をされてしまった。


 というか今、東郷と言っただろうか。


 「東郷殿?それはご本名でしょうか?」


 「いえ、狛犬東郷藤右衛門と申します。」


 下がった眉すら品があるとはこれ如何に。よほど育ちが良いのだろうか。

 いや、それより。


 「ご丁寧にありがとうございます。私は大犬氏族長付きで犬古木 白露ともうします。東郷が付くということは殺魔随一の剣士と名高い狛犬殿ですか。その御高名は霧島にも届いております。たしか柳右衛門君の兄気味だったと記憶しておりますが。」


 「愚弟をご存知でしたか。失礼いたしました。」


 「いえ、こちらも無遠慮に申しわけない。彼とは学び舎で同門でした。よく自慢の兄と話を聞かせてもらったものです。」


 「あの弟がそんな話を?こちら煮た時はそんな素振りは全くなかったので幼い日の失敗談でなければいいのですが。お世話になったようで感謝いたします。」


 【東郷】とは殺魔での主流剣術である示現流の免許皆伝者にのみ名乗ることを許された字で早々お目にかかれるものではない。少なくとも自分はその字を名乗る人に会ったことがない。本名の人は何人かあるが。


 名は体を表すとはよく言ってもので。


 その名に違わぬ男だと感心し再び見つめるほかなかった。


 統治王への挨拶もそこそこにまずは冒険者の伝手を頼って氏族長を護衛を頼める信用の置ける人物を探す。


 そうして集まったのは数人の冒険者。その中に蓮犬大介という男がいた。黒柴の獣人特有の丸まった尻尾。ウェスタンハットに隠された瞳は見えなくてなにを考えているかわからなったし特に何か発言をするでもない男の存在がどうしてか気になった。


 冒険者にいくつかの説明をしているとその人がさりげなく寄ってきた。


 一体何だろう。


 「おめぇさん、どっかで会ったことないかい?」


 「いえ、初対面だと思います。……ですが、私も先ほどからどこかでお会いしたかとがあったような気がして困っておりました。」


 「ははっ!そうかいそうかい。」


 またもや不躾に見つめすぎたかとアウトローな気配にひやひやして、正直に伝えれば一瞬思ってもいなかったと言わんばかりにハットの奥の目を見開いてからニヒルな笑みをにやりと向けられた。てっきり一匹狼のようなタイプかと思ったが、意外にそうでもないらしい。


 ひとまず難癖付けられたわけではないのだと安心する。


 数日は大犬氏族長が統治王や小犬氏族長、狛犬家の当主や前当主と会談をしている合間に例の少女についての資料を集めたりとせわしなく動き回る。


 霧島と違って足元が悪いので非常に動きにくい。おまけに湿度が高くて毛量の多い自分には大変な環境だなとげんなりする。


 同時に急いでやってきたため身の回りの物も最低限しか持ってきていない。存外長居するはめになってしまっているので足りないものを用意するのも自分たちの役目だ。


 そんなさなかにちらちら目についた一人の男。建物や人の影を縫うように動いてる様子は一見するとなんてことないが自分からするとちょっと変な違和感がある。なにが、とは言えないが。


 結局春分の討伐も殺魔にいることになり霧島の様子が気になるがこればかりはどうしようもないので半ば諦めの境地である。討伐当日も一人長から離れて別行動をしているとふと、通行人に混ざって不自然な男を見つける。けっして殺気を出してるとかではない。だがなんか気になる。


 ああ。そうか。あの男には生き物として備わっているはずの気配がない。ゴールデン種ということは大犬氏族……このあたりだと狛犬家の山潜りってところだろう。


 秘色の毛色に金春色の髪が風にそよいでる。くりくりとした碧の目に犬種特有の愛嬌がある表情や動きに反して気配がないのがちぐはぐで気持ち悪いから不気味さすら感じる。


 「まぁ、ああいうのは触らない方がお互いの為だろう。うん。」


 要件を済ませて急いで戻る。時間的にもう昼が近いので腹ごなしも済ませておくのを忘れない。合間合間で食べておかないと長の側近は務まらないのだ。


 騎士団の詰め所がある建物まで戻ると、そろそろ聖女たちを追いかけて山を登ろうというところだった。


 何事もなかった顔で集団の輪に加わり移動をしながら長たちの会話に聞き耳を立てつつ側近同士でこれまでの行動を小声で報告しあう。


 巫女たちの動向を見守りつつも彼女たちがなぜか全幅の信頼を寄せるという少女が実は例の少女だという。聞けばその子は18歳らしく、自分と4歳しか変わらない。


 山頂に近づくほど鼻がもげそうなほど魔物の血と瘴気が濃くなる。


 忙しなく動き回る騎士団員の合間を抜けてちょっとこの人数で動くのは迷惑ではなかろうか。と思わなくもないが、統治王と大牛氏族長、大兎氏族長以外はみな戦える布陣なので問題ないといえばまぁ、問題はないが。


 魔物の血が多く流れているので瘴気が濃い。それだけで寄ってしまいそうな感覚になるが役目を果たすためにも目をかっぴらいいて前線を見る。


 あ、かゆくて涙がでそう。


 そんな視線の先でひらりと躍り出た人影が矛を薙いだとき一陣の風と共に瘴気が打ち払われて空気が澄んだのがわかる。


 「二人とも大振りすぎだよ~。」


 緊張感のない声が影とともに躍り出てひと薙ぎでそれらを撃ち払う。


 手にするのは長大な蒼鋼(そうこう)の矛と、黒曜の大盾。流れる二つのおさげ髪と、燃えるような蒼き瞳が、まるで戦場の守護者のように輝いている。 


 自分より幾分も小さい背中から目が離せない。


 「まさかの巫女様と引けを取りませんね。」


 それを言ったのは誰だったか。どこか遠くで聞こえるような会話を右から左に聞き流して、すぐにでもその横に侍りたくなる衝動を拳を握ることで何とか抑えこもうとするが力か入りすぎて、肉球に爪が食い込みそうだ。


 「犬鳴なくして戦えるのは巫女のみだからな。」


 その戦いぶりが、桁外れの力がその存在を証明していた。木々の間を駆けまわって魔物を屠るそれはさながら花の間を飛び回る蝶のようで……。


 悲しいほどに美しい光景だった。



 「あれは何者なんだ?」


 どうしてあの人が戦っているんだろう。どうしてこんなところで矛を手にしなければならないのか。どうして私はすぐにあの人のそばにいってその背を守ることすら許されない。



 青白い顔、驚愕を隠せずにいるのは長毛種の日本スピッツの小犬氏族長。


 「小柴なんて我々は知らない。」


 飛び出していきたいほどの衝動がこの胸に確かにある。それなのに理性が許してくれない。今自分は大犬氏族長の側近。離れるわけにいかない。


 『はぁ!?』


 まさかの小犬氏族長の言葉に周囲の視線が集まる。だが自分はそれどころじゃない。


 それに今いっても邪魔をして迷惑をかけてしまうかもしれない。そんなことは許せない。それなのに。


 「だが、彼女は入國の際に小犬氏族長を身元引受人に下と聞いたが?」


 「確かに我らの中に豆柴の一族はいる。だが小柴という家名はない。」


 「じゃぁ、彼女は一体だれなんだ?なぜ巫女の秘密を知っている?」


 困惑を隠せないお偉方の中、一人我関せずで木にもたれかかっていた黒柴が迷うことなく言い切った。


 「何者だって関係ねぇ。今わかってるのはアイツが敵じゃねぇってことだ。」


 その言葉に何人かがはっとして少女を見た。ここにいる大半の男たちよりも歳は若く、ここにいる大半の男たちより体が小さく、ただ神通力が人より大きい器を持っている。言ってしまえばそれだけのことだ。


 それだけのことで魔物討伐の前線で傷つきながら命を懸けて戦っている。


 彼女の背を追いかけるように風が駆ける。その流れに乗って香る水蜜桃の甘い香りに叫び出してしまいそうな慟哭を抑え込んで、それでも目を話すことはできなくて心と体がバラバラになりそうで、震える唇にただ力を籠めるしかできなくて。何かのバランスをとるように盛り上がった目の膜がひと時も目を離したくないのに許してくれない。


 その時あの男と目が合った。ハットの奥で見開かれた目が見開かれて揺れていた。


 木にもたれて組んでいた両手が震えているのが分かる。そのときその男の唇がかすかに、だが確かに動いたのを見て唐突にすべてを理解した。


 「おめぇさんもか。」


 ああ、そうだ私もキミもあの方もあいつも。



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