「はぁ……馬鹿野郎」
「え! なに? なんなのさ阿久津くん!?
なんでいきなりボクがバカ呼ばわりされないといけないのかな!?」
蓮斗の呟きに思わず冷や汗と唾を飛ばしながら必死に去勢を張る柚月。
その表情には、
『結構傷つくので阿久津くんにだけはあまりマウントを取られたくありません』
と、雄弁に語られており、しかし、蓮斗は構わず続ける。
「つまり、そのバカどもは年中魔族を潰して世界の主導権握ろうとしてんだよ。
だが他の国が力つけ始めて、魔族も人間も、他はしらねぇが——俺らの感覚で簡単に言やぁ白人も黒人も黄色人も関係ねぇって国が増え始めた。
バカどももこうなると迂闊に動けねぇが、宗教の性質と国のデカさ的に〝神殿〟っつぅ拠点を人間の関係する国々に張り巡らせて影響力を維持、囲い込んだ技術?か魔道具?か知らねぇが《スキル》やら《魔法適性》やらを見るための道具も独占して管理しつつ〝次の巫女〟が現れるタイミングを虎視眈々と待ってやがった。
そんな時に偶然にもバカどもにとっては絶好のポジションで〝巫女〟が現れた。それが」
「わたくし……というわけです。
実際のところグラントール王国も魔国ディストの
といっても、人種的な争いではなく、魔国と我が国を隔てる山脈の〝鉱山と採掘権〟を得るための争いでしたが、現魔王に変わってからは、和平——とまでは行きませんが一先ず山脈と鉱山に対する両国不可侵を締結し、今は一応停戦状態です。
その証拠と言ってはなんですが、グレントールの首都にも関連国にも〝魔族〟は住んでおりますし、魔族であろうと獣族やエルフであっても、我が国に籍を置く以上はこの国の民です。
同じように魔国ディストにも人間は住んでいます……」
段々と語調を荒げながら、唇を噛み締めるベルに蓮斗はスッとその場を立ち見下げるように言い放った。
「はっ、んで? 戦争の火種を生み出す《スキル》を王族が得て、そこをバカどもに食いつかれ、無理くり召喚させられたのが今の勇者で、てめぇはそんな自分に負い目を感じてるってか?」
「ちょ、阿久津くん……」
「——っ。 仰る、通りです。
この国に生きる民を守る立場でありながら、争いを生み出す原因を王族であるわたくしが」
普段の様子からは想像もつかないほど弱々しく肩を震わせるベルの姿をクロマルが心配そうに見上げ、柚月も同じく心配な気持ちではあるがかける言葉が見つからないといった様子で、そんな中蓮斗だけは横柄な態度で静かにベルを見下ろしている。
「法国の影響力はこの国でも根強く……
ですから、当初はあくまでも示威行為の一環にすぎないというスタンスで法国も合意し、二国立ち合いのもと召喚が行われ、勇者
蓮斗にとって初めて聞く情報。
その隣でベルが口にした〝名前〟に明らかな反応を示した者がいた。
焦点がブレる瞳、浅い呼吸、首筋からの発汗。
無意識か握りしめられた左手首は右手の爪が食い込み、薄皮が向けている。
柚月の精神は間違いなくパニックを起こしているように見えた。
大抵の場合この後の行動は、
「——すいません、僕、気分が……っ!」
受け止めきれない心理的圧迫からの逃避。
即ちこの場所からの一時的離脱。
一先ず話題から、この空気から逃れたいという衝動は、しかし、展開を予想して柚月の椅子にグッと体重をかけた蓮斗の圧力によって阻まれる。
ますます挙動不審になり、縋り付くような視線を蓮斗へと向けた柚月の頭に蓮斗は軽く手を置きそっと耳打ちした。
「ベルが向き合ってんだ。おまえだけ逃げるな」
「……ぅ」
一瞬で泣きそうに表情を歪めながらも、大人しく俯いた柚月は恐る恐る顔をあげてベルを見る。
——同時に視線を向けた蓮斗たちのやり取りに気が付く余裕もない程に、ため込んだ涙を堪え、奥歯を噛みながら自責の念に囚われているベルの姿があった。
「勇者様の鑑定結果を見て、わたくしは初めて〝人〟という生き物に恐怖しました……アレは〝勇者〟と呼ぶに相応しい力でしょう。ですが同時に、化物でした」
ついに決壊したベルの双眸からは、それまで振る舞っていた高潔さや力強さなど微塵も感じる事ができず、むしろソコにいたのは蓮斗や柚月と変わらない一人の少女だった。
「女王制のないこの国で王位継承権を有していないわたくしは、ソレでも、兄様のように大好きな自国のため、できる事がしたかった……そのために冒険者として、陰ながら国の支えになりたいと、強さを求めてきました。
——ですが、ソレすらも仇になったっ! 召喚される勇者の強さ、力は、召喚を行う巫女に影響されます……こんな、召喚のスキルが発現すると分かっていれば、わたくしはっ!」
両手を組み合わせて祈るかのように額に当てたベルは、フッと脱力して俯き口を開く。
「国を思う王女が、国にとっての危機を生み出してしまった……このまま勇者の蛮行を放置していれば、いずれ魔国にも影響を及ぼします。
裏で糸を引いているのが法国だと分かっていても、召喚を行ったのはグレントールでありその責任はすべてわたくしにあります。
魔国にしろ法国にしろ、全面戦争となれば多くの犠牲が、民の血が流れる……わたくしには、もう、王族としての資格が——」
言わせない。
蓮斗はそこから続くベルの言葉を遮るように机に足をかけて乗り出し、ベルの襟元を乱雑に掴むと額と額がぶつかる寸前まで引き寄せ鋭い眼光を叩きつけた。
「——っ!」
「テメェはなに言ってんだ? 気にいらねぇ……ああ、もうまったく気にくわねぇっ‼︎」
突然の凶行、怒鳴り声を上げる蓮斗に周囲のメイド達が慌てふためく、しかし、王女としての矜恃か、瞳を潤ませながらも蓮斗から視線を外さないベルは片手でメイドを制した。
「れんと、さん?」
掴まれた胸ぐらにベルが息苦しさを表しつつも蓮斗の名を呼ぶ。
「テメェは文字通り〝命〟はったんだろぅがっ‼︎ そんなテメェを誰が責める、誰がそれ以上の責任を求めるっ?何処のどいつだ? あぁ? ここに引きずってきやがれ! オレが目の前でぶっ殺してやんよっ!」
「——ッ」
蓮斗の愚直で、乱暴で、しかし、ベルを全肯定する言葉は確かにその瞳を強く揺らした。
「テメェもテメェだベル! 命はったんなら、結果を誇れ!! オレらをもっとテメェの感情に巻き込みゃいいだろうがっ! オレらは、テメェが命がけで手に入れた〝可能性〟なんじゃねぇのか? ぁあっ!?」
蓮斗の絶叫が轟く。
一瞬の静寂を破ったのは嗚咽混じりに吐露されたベルの本音だった。
「ぅ、ふぇっぐっ——わたくしだってっ、そうしたいっ‼︎ 命がけで、〝裏のルール〟で、女神様から、寿命が対価といわれ恐ろしかったっ! 泣きそうなくらい怖かった!
本当は、一時の時間も、無駄にしたくないっ! 気が気じゃないっ!!
でも、それは、わたくしの、勝手な——」
恐らくこんなにも弱々しいマリィベルは従者の一人も見た事がないだろう。
メイド達は唖然として言葉を失っている。
涙でぐしゃぐしゃに歪んだその表情に、最早気高く凛とした王女の面影はなく、それでも蓮斗は更に追い込む。
「うるせぇ!! オレらはテメェがその命で呼び出した〝結果〟だろうがっ! もうその時点で後には引けねぇんだよ! だったら、言え! 強要しろっ! 責任持って、テメェの都合に、とことん巻こみやがれっ!」
ベルは背負いすぎていた。
国の未来も、自国の民も、父である国王の憂いも、全てを自分の責任として、まだ少女であるベルが背負うには重すぎる重積をまさしく命がけで、潰れながら背負っていた。
「べる、さん……っ」
柚月の震える声が聞こえる。
改めて、ただただ浮かれていた自分の言動を悔いるように、自分の事以外見る事が出来なくなっている事実が突き刺さっているかのように、短く呟かれたその言葉には言い表せない苦しげな思いが乗っていた。
悔しさに身を焦されるような表情で、しかし、今まで以上に燃え盛る意思を瞳に宿したベルは、唇が触れてしまいそうな距離にも関わらずグッと顎を上げ蓮斗を睨み返すように見据えながら強く言葉を発した。
「レントさん、いえ……レント、ユズキ! この国は、今、想像以上の危機に瀕しています!
正直なところ、二人の成長を待つ猶予もない程に! ですから、王女マリィベルの名の下に命じるっ‼︎ レント、ユズキ……
燦然たる決意をその顔に宿し、わざわざ自分の仮名まで入れ込んだ辺りがベルらしいとは思うが、納得できる結果に蓮斗はそっとベルから手を離し、獰猛な笑みを浮かべた。
「はっ、やりゃぁ、出来んじゃねぇか。覚悟ってのは自己満足じゃねぇんだよ……上等だ。
オレはテメェの命に間違いなく命を持って応えてやる」
「ぼ、ボクも……命かけるとか、まだよくわからないけど、二人に、置いていかれたくは、ない」
中指を盛大に立てながら言い放った蓮斗に続き、ポツポツと自分なりの言葉で決意を表す柚月。
その様子に少なからず前進をみた蓮斗は、口の端に微かな笑みを溢した。
「レント、ユズキ——っ。はい! わたくしも、もう二人を図るような真似はいたしません!
全身全霊で関わらせていただきますので! お覚悟を、お願いしますね? 特に、レント?」
「あ?」
「あ? じゃありません。
仮にも王女の胸元を掴み上げて、従者達の前で子供みたいな泣き顔を晒させるという恥辱を与えられました。
それはもう本当に、本当に情けない、王女にあるまじき失態です!
全てが終わった後には、
蓮斗は「うぐっ」と今更ながらにやり過ぎてしまった自覚を持ったが時は既に遅かった。
ベル自身もそうだが、なにより——。
「見事な啖呵であった、アクツ・レントよ。余もマリィベルには一言告げたいと思っていたが、先を越されたようだ」
パチパチパチと乾いた手を打つ音の響く方へ視線を向ければ、マリィベルの父にしてグレントール王国の国王ヴァルルスが、いつからか扉の近くに佇んでいた。
蓮斗の背中からはじっとりと冷たい汗が滲み出てきた。