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第8話 時の流れと再会

 十年の歳月が流れた。安史の乱は七年の長きにわたって続いたが、ようやく鎮圧された。しかし、唐王朝の威光は大きく損なわれ、各地の節度使が実質的な独立勢力となっていた。


 寿王――今は村では単に李として知られている――は翠と結婚し、二人の子供にも恵まれていた。長男の明と長女の雲。二人とも賢く成長し、村での生活は平和で充実していた。


 寿王は村の長老的存在となり、時に村人たちに読み書きを教え、時に争い事の仲裁をしていた。彼の知恵と公正さは村人たちから尊敬されていた。老道士から贈られた『老子道徳経』は、今では寿王の人生哲学となっていた。


 ある夏の日、村に一人の旅人がやってきた。それは寿王の弟、李琦だった。


「兄上! やっと見つけました」


 李琦は寿王を見つけると、駆け寄ってきた。


「李琦! どうしてここに?」


「兄上を探して、各地を回っていたんです。噂で西方に姿を消したと聞いて、手がかりを追っていました」


 李琦は寿王に唐王朝の現状を伝えた。安史の乱は収まったものの、玄宗は既に亡くなり、息子の粛宗が即位していた。楊貴妃も馬嵬駅という場所で殺されたという。


「父上は自分の愚かさを悔いて亡くなりました。最期まであなたの名を呼んでいたそうです」


 寿王は静かに聞いていた。かつての怒りは既になく、ただ過去の出来事として受け止めていた。


「李琦、私はもうあの世界には戻らない。ここで平和に暮らしているんだ」


「でも兄上、朝廷では兄上を探しています。帰れば、きっと高い地位が……」


「いらない。私にはこの村があり、家族がいる。それで十分だ」


 李琦は兄の決意を知り、数日滞在した後、都へ戻っていった。


「兄上の無事を伝えるだけで、私の務めは果たせます。どうか幸せに」


 寿王は弟を見送りながら、自分の選んだ道に間違いはなかったと再確認した。


 一方、蒼天と張隆も各地を旅しながら、独自の人生を歩んでいた。張隆の詩名は高まり、蒼天もまた「剣舞の女」として名を馳せていた。二人は正式に夫婦となり、一人の息子をもうけていた。名前は星と言った。


 安史の乱が終わった後、張隆は一度都に招かれたが、すぐに政治的な陰謀に巻き込まれ、流刑になった。蒼天は夫を救うために奔走し、ようやく恩赦を勝ち取った。その後、二人は政治から距離を置き、山水の間で自由に生きることを選んだ。


 ある日、張隆は蒼天に言った。


「西の方へ行ってみないか? そこには美しい山々があると聞く」


「西……」蒼天は少し考え込んだ。「そうね、行ってみましょう」


 二人は西への旅を始めた。息子の星も既に十歳になり、旅に慣れていた。張隆は道中で詩を詠み、蒼天は時に武芸を披露して旅費を稼いだ。


 西へ西へと進み、ついに彼らは美しい盆地に出た。そこには小さな村があった。


「この村で一晩泊まりましょう」と蒼天が言った。


 村に入ると、ちょうど収穫祭が行われていた。村人たちは音楽を奏で、踊りを踊っていた。張隆はすぐにその場の雰囲気に溶け込み、即興の詩を披露した。村人たちは見知らぬ詩人の才能に驚き、喝采を送った。


 その様子を見ていたのは、村の長老となっていた寿王だった。彼は張隆の詩に感銘を受け、近づいていった。


「見事な詩です。あなたはどこから来られたのですか?」


「東から来ました。私は張隆と申します」


「張隆……噂に聞く詩竜ですか」


 二人は言葉を交わし、寿王は張隆と蒼天を自宅に招いた。寿王の家に着くと、翠が温かく迎えてくれた。


 食事の席で、蒼天と寿王は初めて顔を合わせた。最初、二人は互いに見覚えがないような素振りをしていた。長い年月が二人の風貌を変えていたのだ。しかし、寿王が茶を注ぐ仕草を見た瞬間、蒼天は気づいた。


「李さん……もしかして……」


 寿王も蒼天の声の調子から、彼女が誰であるか悟った。二人は驚きの表情を交換したが、すぐに微笑みに変わった。


「まさか、こんなところで会うとは」


「本当に……不思議な縁ですね」


 その夜、子供たちが寝静まった後、寿王と蒼天は昔話に花を咲かせた。張隆と翠も加わり、四人は夜遅くまで語り合った。


「十年前、別れた時の約束を覚えていますか?」と蒼天が尋ねた。


「ああ、『お前の困った顔を見に行ってやる』と言ったな」


「でも今日、私の顔は困っていませんよ」


「それは何よりだ」


 二人は笑い合った。別々の道を選んだ二人が、ここで再び出会うとは。運命の不思議さを感じずにはいられなかった。


「李さん……いや、寿王様。あなたは幸せそうですね」


「もう寿王ではない。ただの李だ。そうだな、幸せだよ。蒼天も幸せそうだ」


「はい。私も自分の道を見つけました」


 翌日、張隆は村人たちに詩を教え、蒼天は子供たちに簡単な護身術を教えた。村は活気にあふれ、新しい風が吹き込んだようだった。


 数日後、張隆と蒼天は旅を続ける準備を始めた。


「このまま村に残るというのは?」と寿王が提案した。


 蒼天と張隆は顔を見合わせ、少し考えた後、張隆が答えた。


「ありがとう。でも私たちはまだ旅を続けたい。いつかまた戻ってくるかもしれないがね」


「いつでも歓迎する」


 出発の朝、村全体が彼らを見送った。寿王と蒼天は最後に静かに言葉を交わした。


「お互い、良い人生を見つけましたね」


「ああ。あの時の決断は間違っていなかった」


「またいつか会えますか?」


「きっとね。この世界はそれほど大きくないさ」


 二組の家族は別れを告げた。しかし、これは最後の別れではなかった。それぞれの人生を歩みながらも、彼らの絆は続いていくのだ。

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