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第十章 子供たちの絆

 吐蕃軍の脅威が去った後、張隆と蒼天の一家は寿王の村に滞在することになった。村人たちは喜んで彼らを受け入れ、村の東側に新しい家を建ててあげた。


 寿王の長男・明と、蒼天の息子・星はすぐに親しくなった。二人とも十五歳で、好奇心旺盛な年頃だった。明は父から読み書きを、星は母から武術を学んでいた。互いに教え合うことで、二人の絆は深まっていった。


 寿王の娘・雲は十三歳になっていた。彼女は星に密かな憧れを抱いていたが、それを口に出すことはなかった。


 ある日、明と星は村から少し離れた山に狩りに出かけた。


「星、君の母上は本当にすごいな。あんな剣さばきは見たことがない」


「母は厳しい師匠でもあるんだ。毎朝、日の出前から鍛錬させられるよ」


「いいなあ。僕の父は武術よりも読書を勧めるんだ」


「それもいいじゃないか。父は詩を教えてくれるけど、難しくてね」


 二人は山の斜面を登りながら話し続けた。突然、低い唸り声が聞こえてきた。振り返ると、巨大な野猪が彼らを睨みつけていた。


「動くな」と星が囁いた。しかし、野猪は突進してきた。


 明は咄嗟に弓を構えたが、矢は野猪の厚い皮をかすっただけだった。星は短剣を抜き、野猪に立ち向かった。母から教わった動きで身をかわし、野猪の急所を狙う。


 しかし、野猪の動きは予想以上に素早く、星は弾き飛ばされてしまった。明は倒れた星を見て、咄嗟に大声で叫びながら野猪の注意を引こうとした。野猪は明に向かって突進する。


 その時、一本の矢が空を切り、野猪の目に命中した。野猪は悲鳴を上げて倒れた。


 振り返ると、そこには弓を持った雲が立っていた。


「雲! なぜここに?」と明は驚いて尋ねた。


「二人を心配して、後をつけてきたの」


 雲は冷静に答えたが、その目は星を見ていた。


「見事な射撃だった。ありがとう、命を救われたよ」


 星の言葉に、雲は頬を赤らめた。


 この出来事を機に、三人は固い絆で結ばれるようになった。彼らは共に狩りに出かけたり、山を探検したりして過ごした。


 寿王と蒼天は子供たちの友情を喜んだ。


「我々が別々の道を歩んだのに、子供たちは共に歩んでいる」と寿王は感慨深げに言った。


「不思議な縁ね」と蒼天も微笑んだ。


 張隆はこの光景を手がかりに、美しい詩を詠んだ。その詩は村中で朗読され、やがて旅人によって各地に広まっていった。


 時は流れ、明と星は二十歳になった。二人は村の若者たちの領袖的存在になっていた。雲も十八歳になり、その美しさは村中の評判となっていた。


 ある日、東から一人の旅人がやってきた。彼は高級な衣服をまとい、馬に乗って村に入ってきた。


「この村に、かつての寿王殿下がいらっしゃると聞きました」


 村人たちはその言葉に驚いた。寿王の正体を知る者は少なかったからだ。


 旅人は寿王の家に案内された。寿王が出迎えると、旅人は深く頭を下げた。


「寿王殿下、私は現皇帝の密使です。重要な事をお伝えするために参りました」


 寿王は旅人を家に招き入れた。蒼天と張隆も呼ばれ、密使の話を聞いた。


「現在、帝国は大きな危機に瀕しています。吐蕃の侵攻は各地で続き、節度使たちは朝廷の命令に従わず、実質的に独立しています」


「それで、私に何を望むというのだ?」


「陛下は殿下に、朝廷に戻っていただきたいと仰っています。殿下の知恵と経験が必要なのです」


 寿王は沈黙した。かつての栄華の世界に戻るつもりはなかった。しかし、民の苦しみを放っておくこともできない。


「考えさせてくれ」


 その夜、寿王は家族と蒼天、張隆を交えて話し合った。


「私は行くべきではないと思う。ここでの平和な生活がある」


 翠が言った。「あなたの決断を私は支持します。でも、多くの人々が苦しんでいるのも事実です」


 明は父を見つめた。「父上、もし行くなら、私も共に参ります」


 蒼天は静かに言った。「私たちも協力できることがあれば」


 張隆も頷いた。「私の詩が力になるなら」


 寿王は翌朝、密使に答えを告げた。


「私は朝廷には戻らない。しかし、ここから助言はできる。また、私の息子・明を使者として送る。彼に私の考えを伝える」


 密使は少し失望したようだったが、寿王の提案を受け入れた。


 明は父から政治の知恵を集中的に学び、一ヶ月後に密使と共に都へ向かうことになった。


 出発の日、星は明に言った。


「私も行くよ。友として、そして守護として」


 雲も決意を表明した。


「私も行きます。二人だけでは心配です」


 寿王と蒼天、張隆はそれぞれの子供の決意を尊重した。三人の若者は旅立ちの準備を整えた。


 出発の朝、村人全員が彼らを見送った。寿王は息子に最後の言葉を贈った。


「明、権力に溺れるな。常に民の声に耳を傾けよ」


 蒼天は星に言った。


「星、強さだけでなく、心の優しさも忘れないで」


 張隆は三人に詩を詠んで贈った。それは旅の安全と成功を祈る言葉だった。


 三人の若者は馬に跨り、東へと旅立っていった。彼らの背中を見送りながら、寿王と蒼天は感慨深げに立っていた。


「彼らはきっとやり遂げる」


「ええ、二人の息子と、一人の娘が」


 かつて別々の道を選んだ二人の子供たちが、今は共に新しい道を歩み始めた。それは新しい時代の幕開けでもあった。

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