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第64話 悪魔クィン=フォルトゥーナ

 ゴゴゴゴゴゴゴ……。


 浮遊魔法で海から浮上したわたしは、宙に浮いたまま移動し、ゆっくりと橋に着地した。

 頭から足先までぐっしょぐしょ。

 流れ落ちる水で、足元の石床があっという間に水たまりと化す。

 右手の杖を振る。


「……カリドゥマエレム(温風)」  

「くっくっくっく……」


 若干じゃっかん顔をそむけながらだが、笑い声はまだ続いている。

 欄干らんかんに座りながら笑っている人物を睨みつけつつ乾燥の魔法を唱えたわたしを、温風が包み込む。

 びっしょびしょの黒いゴスロリ服はあっという間に乾いたが、なにせ浸かったのは海だ。ペトペトして気持ち悪くてしかたがない。


「あー、さっきの飛び降りの人はボクが代わりに助けておいた。とりあえずあっちに寝かしてあるから心配しなくっていいよ、エリン……」

「……そう。ありがと、アル」


 わたしの怒りの視線が怖いのか、恐る恐るといった口調で話しかけてくる白猫アルに返事だけ返しつつ、だが視線は欄干に座った人物からそらさない。

 ソイツは肩をすくめると、やれやれといった表情で口を開いた。


「そう怖い目で見ないでおくれよ、お嬢さん。いや、お妃さまって呼んだ方が良かったかい? エリン姫?」

「まだお妃じゃないわ。……それ、実体じゃないわね。抜け目のないこと。で? あんた悪魔よね。なんでわたしを知っているの? アルの知り合い?」

「いやいや、ヴァル=アールさまは悪魔王よ? あたしら悪魔は全員、立場的には部下になる。王さまが嫁をめとったのならそれは王妃さまだろ? まぁでも、まだってんなら姫と呼ぶことにするけどさ」


 手入れがしっかりしているのか、ウェーブがかかった金髪が夜間にもかかわらず光って見える。

 実に見事。だがほめる部分はそこだけだ。


 わたしの倍以上あるんじゃないかってくらい大きく丸い顔を、ファンデーションで真っ白く厚塗りし、赤い口紅をこれでもかってくらい濃く引いている。

 見た目は四十代くらいの、太った……、いや、太りすぎ! 胴回りが三メートルくらいありそう。 

 着ている服なんてただの布じゃん! 黒い布を羽織はおっただけじゃん!! っていうか、巨大な黒のハイヒールがすそから覗ているが、コイツが男なのか女なのかさっぱり分からない。


「アル、説明して」

「あぁ、コイツはクィン=フォルトゥーナ。序列はあまり上じゃないが、妙な特殊能力を持っている。さっきエリンが海に落ちたのもコイツの仕業しわざだ」

「……わたし、何をされた?」


 アルとクィンが一瞬、顔を見合わせた。

 やれやれという表情をしたクィンが口を開く。


「分からないのも無理はない。お姫さま、あたしは不運を撒き散らかすんだ。でも言っとくけどあたしは何もしちゃいないよ? アンタが勝手に、偶然そこにあったバナナの皮を踏んずけたんだ。こいつは統制不可アンコントローラブルな能力なんだよ。悪いね」

「不運を撒き散らす? それって貧乏神じゃない!! そんなのってアリ!?」


 クィンの解説を聞いたわたしは、血相を変えてアルを睨みつけた。

 アルが本気で慌てる。


「いや、クィンの言うことは本当だ。コイツはただいるだけで周囲に不運を招くんだ。単純な能力だがそのぶん強力だ。逃れる手段はただ一つ、距離を取ること。それだけ」

「そういうこと。まぁでも王さまたちはただこの街に立ち寄っただけで、明日には出て行くんだろ? ならこれ以上たいした影響もないさ。じゃ、あたしは行くよ。元気でね」

「……ちょーっと待ちなさいよ」


 素っ気なく挨拶をし、街の方に歩いて去っていく巨漢の悪魔の背中に向かって声をかけた。

 実体じゃないのだから歩いて去るなんて回りくどい消え方をする必要はない。


 クィンがゆっくりと振り返った。

 その顔が笑っている。口角の上がり具合、それはもはや歓喜の表情だ。

 やっぱりコイツはわたしが待ったをかけるであろうことが分かっていたのだ。

 そうよ。わたしはコイツの望み通り、喧嘩を売ろうとしている!


「何だい? お姫さま」


 努めてゆっくり聞き返すクィンに対し、わたしはムスっとした表情のまま尋ねた。


「あんたはこの街にいているってことよね? それにしてはまだソレっぽい没落の気配がしない。つい最近きたってこと?」

「ご明察。この街にきてまだ一週間よ。でも着々と不幸の気は広がり、この街を覆いつくした結果、ようやく最初の自殺志願者が出た。ここから自殺者が加速度的に増えるわよぉぉ? そうして不運が日に日に高まり、最終的に街は丸ごと没落する。半年も経てばこの超高級リゾート地はぺんぺん草も生えない荒れ地と化すでしょうね。あたしに気に入られたばっかりに、可哀そう」


 可哀想と言うクィンのその表情は、どう見てもこれから起こることにわくわくしている。嬉しくてしょうがないみたいだ。


「それをわたしが見過ごすと思った?」

「だったらどうする? 止めてみるかい?」


 クィンが物理的に大きな顔――本当に、ちょっとしたお盆並みの大きさの顔よ――で、ニヤニヤ笑いながらわたしを見る。


「やめろ、エリン! 挑発に乗るな!!」


 だがわたしはアルの警告を無視し、クィンに向かって宣言した。


「わたしがあんたを止める。この街から叩き出してやるわ!」

「お、馬鹿、エリン! なんてことを……」

「もう遅いよ、王さま!! お姫さまはハッキリとあたしへの敵対の言葉を口にした! これで呪いは発動した!! ……いいかい、お姫さま。あたしのこの能力は敵意を向ける相手を勝手にターゲッティングする。つまり、アンタがあたしに近づけば近づくほど不運が怒涛どとうのように押し寄せる。王様の加護で多少は中和できたとしても、そんなもの微々たるもんだ。あんたに耐えられるかね」

「だからどうしたっての! この街の人たちをこれ以上不幸になんかさせないわ!」

「上等、上等。あたしの本体――悪魔の書はこの街のどこかに隠してある。それを見つけられればお姫さまの勝ち。お姫さまが降りかかる不幸に耐えきれず、尻尾を巻いてこの街から逃げ出せばあたしの勝ち。単純なルールさ。せいぜい頑張るんだね。あーっはっはっはっは!」


 言うだけ言ってクィンは姿を消した。

 この街のどこかにある本体に戻ったのだ。


「……アル、さっきの飛び降り、助けたって言ったわよね」

「え? あぁ。向こうに寝かせてあるよ」

「そう。ならいいわ。行くわよ」


 わたしは街の中心部に向かってスタスタ歩きはじめた。

 行さ先はホテルだ。

 服は乾いたものの、海の水でべとべとして気持ち悪いったらないもん。

 勝負は明日から。今夜はゆっくり休んで明日からの捜索に備えなくっちゃね。

 アルが渋い顔でついてくる。


「なんでわざわざ衝突するかね。あんな奴、放っておけばよかったのに」

「それでこの街が破滅するのを見過ごせって? 冗談じゃないわ。アイツがこの街に悪さをすると知って放置するわけにはいかないわ!」

「そうかもしれないけどさ」


 繁華街のホテルに着いたわたしに、黒スーツ姿のフロントマンが対応する。

 パっと見、五十代。

 綺麗に頭を撫でつけた感じは、どちらかというと執事バトラーだ。

 突き指でもしたのか右手の小指に包帯を巻いている。


「一泊三万リールになります。申し訳ございませんが、こちら前払いとなっております」

「三万ね。さすがに超高級リゾート地だけあってお高めね。まぁいいわ」


 つぶやきながら支払いをするべく懐を探ったわたしの身体が固まる。


「どうかなさいましたか? お客さま」

「な、なんでもないの。……ちょーっと忘れ物をしたの思い出したわ。またね。おほほほほ」

「はぁ……」


 フロント係のいぶかし気な視線を背中に感じつつそそくさとホテルから出たわたしは、建物の陰に寄ると、ポケットというポケットを必死に裏返した。


「ない! ない! お財布がない! カードもない!!」

「えぇ? ミーティアに積んだ荷物に入っている可能性は?」

「だって晩ご飯を食べたときはあったのよ? なんで? どうして??」

「落としたんだな、こりゃ。早速クィンのもたらす不運の影響を受けちゃっているじゃないか……」

「ちょっと待って。ってことはなに? 今日はこのまま野宿ってこと!? 嘘でしょぉぉぉぉおおおおおお!!」


 こうして夜の街に、わたしの悲鳴が木霊こだましたのであった。

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