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第66話 ホテルマグノリア

 ホテルマグノリア――。 


 わたしが昨夜泊まろうとしたこのホテルは、なんと五十階建ての平たい建物が四棟、端と端とで繋がっているという、妙な形をしていた。


 上空から見ると四棟がロの字のように繋がっているから、廊下を前方に向かって歩いていくと、端で曲がり、端で曲がりを繰り返し、やがてまた自分の部屋の前に辿り着く。


 五十階ぶち抜きの広い吹き抜けを囲むように建てられたこのホテルは、部屋の扉が全て内側に、窓が外側に向かって配置されているのだが、実は建屋内にエレベーターが存在しない。


 一応、非常用に設置された階段はあるものの、基本、上下移動に関しては敷地の中央――吹き抜けのど真ん中に独立して存在しているエレベーター棟一つでまかなわれている。


 当然のことながらエレベーター棟とホテルの建物とは繋がっていないわけで、ではどうやって部屋に行くのかというと、各階のエレベーターを降りたすぐ目の前に転送ポートが設置されており、それに乗った客を瞬時に自分の部屋の前に運んでくれるという仕かけだ。


 ちなみにフロントは、山小屋風の小さな平屋ひらやの建物で、エレベーター棟のすぐ隣に建っている。

 つまり、宿泊しにきた客は東面にある入り口から敷地に入り、吹き抜けになっている庭園を延々と歩いて中央のフロントまで来てやっとチェックインできるという、実に面倒くさい構造をしているわけだ。


 確かに庭園は色々細工がほどこされ、ため息が出るほど見事なものではあるのだが、それを堪能させるためにわざわざ歩かせるなよ、と思う。


「この指でございますか? お客さまの荷物を運んでいる最中にドアに挟んだのです。ただの打ち身かと思って医者に見せたら骨折だそうで。まったくとんだ災難です」


 わたしがなぜ次のターゲットをこのホテルとしたかというと、美術商ロジエがこの街で船を降りたというのなら、知り合いがこの街にいるのでない限りどこかに宿を取ると思ったのだ。


 そして、他でもないこのホテルに狙いを定めた理由は、昨夜応対した執事のようなフロントマンが指に包帯を巻いていたからだ。

 ただの偶然かもしれないが、念のためと思って来たわたしの想像は、どうやら当たっていたようだ。


 改めて観察してみると、怪我をしているのはフロントマンだけではなかった。

 コンシェルジュの背後には松葉杖が置いてあるし、ドアマンなんか腕を包帯で吊っている。

 これで無関係というほうがおかしい。


 まだ勤務時間だったのを幸いに、わたしは情報を得るべく執事フロントマンに尋ねてみた。


「その客って、ロジエって名前の古美術商?」

「お客さまの情報は何も言えないことになっております」

「まだその客、泊まってる?」

「お客さまの情報は何も言えないことになっております」

「何号室?」

「お客さまの情報は何も言えないことになっております」

「呼び出せる?」

「お客さまの情報は何も言えないことになっております」

「いい加減にしなさいよ、あんた! 人が死んでからじゃ遅いのよ!?」


 イラっときたわたしが、カウンター越しにフロントマンの襟首をつかんだそのときだ。


 ドカァァァァァァァァァンン!!!!

 ガッシャーーーーーーーーン!!


 突如、 はるか頭上で大きな爆発音と、ガラスが割れる音とが連続して起こった。

 フロントの建屋内にいた人たちが慌てて外に飛び出し、空を見上げる。

 内庭を散策していた人たちも、なにごとかと空を見る。

 その顔が恐怖に固まる。 


 ガラス張りの浮遊昇降機の昇降路エレベーターシャフトが割れ、ガラスの破片が大量に降ってきている! 地上百メートルの高さから!!


「きゃぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」

「うわぁぁぁぁぁあああああ!!」


 皆、悲鳴をあげて逃げ出した。


 懐から愛用の短杖ワンドを抜き取ったわたしの視界に、自動発動した遠視魔法によって落下物の情報が次々と映し出される。


 広範囲に散らばった細かなガラスの破片に、破壊された建材の数々。重さ二百キロの浮遊板が一枚。そしてスタッフらしき人間が二名。


「アル! 何が起こったの!?」

「魔法を使用した形跡はない。かわりに重力制御の精霊グラビトンがそこかしこにあふれていやがる。おそらく何らかの不具合で浮遊板の制御装置が壊れて精霊が暴発したんだ」


 アルの分析にうなづいたわたしは、杖に意識を集中させた。

 吹き抜けになっているため、破片を捕らえそこねたら一階を直撃する。

 薄く、広範囲に覆わなくては。


「風精召喚! コナブラヴェンティ(風のゆりかご)!」


 ホテル内部を暴風が吹き抜け、落下物の直下に一瞬で空気のクッションを作った。


 センサーを総動員しつつ、宙に舞った大量のガラスの欠片かけらを一片たりとも逃さぬよう、空気のクッションの広さと厚みと柔らかさを細かく調整する。


「よし、つかんだ! あとはゆっくり……」


 と、そのとき。

 ひゅるるるるるるぅ……。

 ガポっ。

「だわぁぁあ!!!!」


 頭頂部への軽い衝撃と大量の水がわたしの視界を奪った。

 いきなり目の前が真っ暗になる。


 水はわたしの頭をぐしょ濡れにしつつ一瞬で流れ落ちたが、視界は相変わらず暗いままだ。


「わわわわわ! なになに、なにこれ!? どこから攻撃を受けたの!?」

 ポロン。


 不意に視界がさえぎられたからか、ビックリして短杖が右手からこぼれ落ちた。


 ドガガガガガガガガガガガァァァァアアンン!!

「「「うわぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!」」」

「エリン!!」

「アル? アル! どこ!?」


 どこかで悲鳴が上がっているようだが、視界をふさがれた上に音が変に反響しているので、全く確認が取れない。


 だが、何が起こったかはだいたい分かる。

 杖を落としたことで魔法のコントロールが不安定になり、地上五十メートルに展開された空気のクッションが大きく揺れているのだ。


 クッションを広げすぎたのがわざわいしたか、動揺して振られた風のゆりかごがホテルの内壁に激しく激突して壁を損傷させるという、新たな被害をも発生させてしまっている。


「落ち着け、エリン! そら!」


 アルの声とともに、視界が一気に開けるも、手にしているものを見て思わず絶句した。


「ば、バケツ!?」


 それは、どこからどう見てもブリキのバケツだった。


「そ。エレベーターシャフト清掃用のバケツだ。爆発で吹っ飛んできたんだろう」

「うっげぇ! 入ってた水、ちょっと飲んじゃったわよ。最低! お風呂入りたい!」


 癇癪かんしゃくを起こしたわたしは、バケツと空とを二度見した。


「ちょっと待って? 爆発で吹っ飛んできたってことは、百メートルの高さから落ちてきたのよね、このバケツ。中に汚水が入ったままで? わたしの頭にすっぽりかぶさる形で落ちてきて? そんな馬鹿げた話ってあるかぁ!!」


 こんなの絶対、クィンの引き起こした不運によるものに決まってる!!

 同じことを考えていたらしいアルが、苦笑いしながら首を横に振った。


「怒るのは後にしとけ。見ろ! 途中でコントロールを放棄したから集められた大気の精霊が暴れている。もう一度精霊にコンタクトして、支配下に置くんだ!」

「分かった!」


 愛用の短杖を拾って再度コントロールすること三分。

 落下した人たちやガラス片を無事地面に下ろすことができたわたしは、思わぬ体力と精神力を消費したことで疲れ果て、その場にへたり込んだのだった。

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