その日の夜、そのまま本堂で寝ることになったが、布団などの寝具が見当たらない。
「あの、どうやって寝るんですか?」
俺は疑問に思って訊いた。
「ああ、俺はいつもこの辺りで寝転がってるんだけどな。あんたもそこら辺で寝ればいいよ」
とリュウヘイは答えた。
「布団とか寝袋とかそういうのはないんですか?」
「ない。そんな気の利いたものはここでは使えねぇんだよ」
「なんでなんですか?」
「それはあのジジイの方針だろうな」
そう言いながらリュウヘイはスーツ姿のまま床に寝転がった。
どうやら服も着替えることはないようだ。
「方針?」
「そうだ。あのジジイとしては野生の勘というか、野生の本能というか、そういうものを取り戻すという考えみたいだ。だからとにかく修行というのはそういうことの繰り返しになる」
つまり生きた鶏を捌いて食べたり、布団もなしで寝たりというのはそういうことなんだろう。
「そうだとすると、リュウヘイさんはもう十五年ぐらい布団で寝てないんですか?」
「まぁ、そういうことになるな。だから慣れちまったよ」
「でも、風邪を引いたりしないんですか?」
「初めはするけど、そのうちまったくそういうことはなくなったかな。まぁ、そういうのもあのジジイの狙いってことなのかもな」
「は、はぁ」
風邪を引かないのならその方がもちろんいいわけだが、そのために修業っていうのもなんだか変な感じだ。
そもそも珍宝院は修行といってもいったい俺をどういう風にしたいのかも聞かされていない。
俺は勝手に格闘技の訓練でもするもんだと思っていたが、どうやらそういうことでもないようだ。
「ハッキリ言って俺もあのジジイがなにを考えてるのかわからん。しかし、あのジジイといることで、いろいろと変化したのは事実だ。もっともそれが良かったって言いたいんじゃないぜ」
リュウヘイは寝転がって目を閉じていた。
「じゃあ、俺もそういう変化が今後あるってことですかね?」
「そりゃそうさ。ま、せいぜい楽しみにしとけよ。じゃあ、俺は寝るから」
とリュウヘイはそのまま黙った。
俺もリュウヘイの真似をして、リュウヘイから少し離れた場所に床に寝転がった。床は木で当然硬い。なんの柔軟性もない。こんな床で朝まで寝たら、体がカチコチになりそうだ。
いまは季節的にちょうどいい気温ではあるが、これから寒くなるととてもじゃないが耐えられるとは思えない。
そんなことを思いながら、目を瞑ってゴロゴロとしていると、慣れないことで疲れていたのか、わりとすぐにウトウトしてきた。
そして、次に気が付いたら夜が明けていた。
俺は体を起こした。やはり体のあちこちが痛かった。
体が固まったような感じだ。それに体が冷えている感じだ。
「お、起きたか。じゃあ、早く体を起こしてほぐしておいた方がいいぞ」
とリュウヘイが言った。
そういうリュウヘイも体を伸ばしたりしている。
「はぁ」
俺は生返事をしながら、まだ少しボーっとした頭で本堂を抜けてトイレに向かった。
そしてトイレから出ようとした時、
「オリャー!」
という声とともに、突然顔面を殴られた。
殴られた俺は強い衝撃にそのまま床に転がった。
「こらこら、油断はいかんな」
その声がした方を見ると、そこには珍宝院が立っていた。
「突然殴るなんて酷いじゃないですか!」
俺は文句を言った。
殴られた頬は痛んだ。
「ワハハハ、お前が油断しているからじゃ。今度から気を付けい」
珍宝院はそう言いながら本堂へと行った。
それにしても珍宝院のパンチはまるで見えなかった。油断をしていたこともあるが、それにしてもなんの反応もできなかったことが信じられなかった。
「ジジイにやられたか」
俺が本堂に戻るとリュウヘイが言った。
「はい、やられました」
俺は殴られていたむ頬を撫でていた。
「ま、いつなにがあるかわからんから油断はしないほうがいいぞ」
「は、はぁ」
こんなことがこれからも続くということなのだろうか?
こんなのじゃとてもじゃないが肉体的にも精神的にも持つ自信がない。
「心配するな。じきに慣れる」
珍宝院が言った。
もう心を読まれることはなんとも思わなくなっていた。
「それで慣れた頃は社会復帰は無理な状態になってるぜ」
リュウヘイが冗談半分のように言った。
「さて、じゃあ、始めるか」
珍宝院がそう言うと、本堂から外へと出た。