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第125話 修行⑧

 暗がりで目を凝らすと、シカが一頭木の間から見えた。

 シカはこっちの存在には気づいていないようだ。

「どうやって捕まえるんですか?」

 俺は声を殺して訊いた。

「まぁ、見てな」

 そう言うと、リュウヘイは足音を立てないように気をつけながら、少しだけ前に出た。しかし、シカまでは十メートルはあるので、近づいたうちには入らないぐらいだ。

 俺はシカを捕まえたことなど当然ないので、黙ってリュウヘイのすることを見ているしかなかった。

 それにしてもこんなのはさすがに銃が必要じゃないだろうか。

 そう思っていると、リュウヘイは地面に落ちているこぶし大の石を拾った。

 まさか石を投げて倒すのと思ったら、リュウヘイは本当にそれをシュッと素早く投げた。

 投げられた石はシュルシュルと空気を割く音をさせながらシカに向かって飛んでいった。そして、そのままシカの頭部へと突き刺さるように当たった。

 当たった瞬間、シカはその場にバタリと倒れた。

 あっと言う間だった。

「倒せたんですか?」

「まぁな。あれぐらいは簡単だ。もっと近かったら殴るか蹴るかして倒すんだけど、距離があったからな」

 とリュウヘイは平然と言った。

 俺は驚いた。野生の動物を石を投げて倒したということが信じられなかった。

「さあ、行くぞ」

 リュウヘイは木が茂る間を分けるように歩いてシカへと向かった。

 俺もそれに続いた。

 シカの頭は銃で撃たれたみたいになっていた。もっとも俺は銃で撃たれたシカの頭なんて見たことはないけど。

 それにしても、これではイチコロだろう。

「じゃあ、それを担いでくれ」

 リュウヘイに言われて、俺は倒れているシカを担いだ。

 シカは結構重たかった。丸太のことを思えば軽いものだが、それでも大人の男ぐらいはありそうだ。

「これを食べるんですか?」

「そうだ。他になにもないからな」

 俺は当たり前のことを訊いてしまった。

 いままで生きていたシカを食べるというのに、正気抵抗感があったのだ。

 それにこんな形じゃなくても、シカ肉を食べたこともないのだ。

「結構うまいぞ」

 リュウヘイはそう言って涎を垂らしそうな顔した。

 俺も昨日の晩からないも食べていないので腹は減っているが、いま自分が担いでいるシカを食べる気にはあまりならなかった。

 それからシカを担いで、また山道を歩き寺へと戻った。

 リュウヘイはテレに戻るとすぐにシカを捌き始めた。

 慣れた手つきで皮を剥ぎ、部位ごとにバラバラにしていく。

 俺はそれを見ていて胸が悪くなった。正視に堪えないとはこのことだ。

 しかし、ある程度捌き終わって肉の塊のようになると、今度は逆においしそうに見えてきた。

「それにしても、こんなことをする必要があるんですかね?」

 俺はリュウヘイの作業を見ながら言った。

「そんなこと知らん。だけど、ジジイがそうしろってんだから、なにか意味があるんだろうよ」

 リュウヘイはなんだかんだ言いながらも、珍宝院の言うとおりするのだ。口では悪く言いながらも、内心は信じているのだろう。

「あんたはいいよ。俺がいるからな。俺の時は誰もいなかったんだぜ。こういうことをやってくれる人が」

「え? 珍宝院様は教えてくれなかったんですか?」

「教えてくれるかよ。あのジジイ、山で好きなものを取って食えって言うだけだった」

「そんな無茶な」

「ああ、無茶だよ。俺はどうしようかと思ったぜ。で、どうしようもないから山から下りてコンビニでも行こうかとしたら、あんたも見たあの蛇やらイノシシやらがいて山を降ろしてもらえないんだよ」

「ええっ、じゃあ、どうしたんですか?」

「仕方ねぇから山に入って獲物を探したんだよ」

「それで捕れたんですか?」

「無理に決まってんだろ。やったことねぇんだから。だけどこのままじゃ死ぬってなると、人間は知恵とかパワーが出るもんだな。なんとか獲物を捕まえてそれを食ったよ。だけど三日はなにも食えなかったな」

「そ、そうなんですね」

 なんともたくましい話だ。

 俺には真似ができそうにない。でも、リュウヘイが言うように命がかかったらできるのだろうか?

「さぁ、できた。これをまた焼いて食うぞ。準備してくれ」

 リュウヘイに言われて、俺は七輪を用意し肉を焼いた。

 シカ肉はうまかった。脂分は少なくヘルシーな感じだ。それよりなにより空腹であることが一番うまさの原因だ。

 珍宝院には昨日と同じで、内臓を焼いて出した。

 しかし、昨日の鶏と違って量がかなり多い。こんなに食えるのかと思った。

 だが珍宝院はまったく心配なかった。

 バクバクとシカのホルモンを口に放り込んでいった。

 そしてすぐに食べ終わった。

「じゃあ、また明日じゃ」

 珍宝院はそう言うと本堂を出て行った。

「ホント、どこに帰るんでしょうね?」

「さあな、どこでもいいよ」

 リュウヘイはまったく興味がないようだった。

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