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十本目:東宮帝国

「クソがッ! やってられっかよッ!」


 竹刀の元となる竹が刺さっている小さなドラム缶をひっくり返す。缶はしばらく暴れていたが、すぐに収まって俺の荒い息だけが部室に木霊する。


「おかしい。剣道部に入ったはずなのに、一回も防具を着けてねぇ、稽古できてねぇ! 何のために剣道部入ったんだよ、奴隷か!」


 誰も返事などしてくれるはずはない。今俺は部室に一人で細々と竹刀の整備をしていた。


 あれから五日。経験者であるはずの俺は延々と雑用をやらされ続けていた。


 しかも、俺だけ。他の一年生たちは今も稽古に混じっている。


 どうやら、入学式で高木をノしたことでこのような罰を食らわされているらしい。三年生に逆らって恥をかかせたことによる見せしめとのことだ。


 入学式の時に同期がやられたというのに、随分と大人しいと思ったらこういうことだったのだ。


 しかもあの場面で下手に事を荒立てても面倒なことになると判断して、一回俺を泳がせる周到ぶり。ずる賢いというか、いやらしいほどに強かというか。


 別に雑用をやるのはよかった。問題は、雑用が終わってもまた雑用をやらされる点だ。


 部室の掃除の方はこまめにやっていたら初日ほど時間が掛かることはなく、三日目あたりでは部活の時間内に掃除を終えることができていた。さぁいざ稽古だ、と意気込んで稽古に参加しようとしていたその瞬間、東宮がこう言った。


『部室の掃除終わった? お疲れ。んじゃ、竹刀の整備しといて。それ終わったら防具磨き。それも終わったら磨いた防具をまた磨いといて。俺の指示以外のことするなよ。以上』


 まさかの無限ループ。たとえ竹刀の整備と防具磨きが終わったとしても、俺が防具を着けて稽古をすることは許されなかった。


 明らかにおかしい。こんな横暴がまかり通ってたまるかよと思ったが、どうやら他の部活でも大なり小なりこういった独裁体制が敷かれているようだ。


 中でも剣道部は相当ヤバい部類らしい。噂では聞いていたが、ここまでとは思わなかった。今更後悔しても遅いのだが。


「剣誠くん」


 俺の声と音が部室の外まで響いていたのか、香織が心配そうな顔で覗き込んできた。


「おお、香織か。おまえ他の部活には入ってないのか?」

「うん、まだ入ってない」


「え、いいのかよ。仮入部期間でだいたい友達とか固まっちまうんじゃないか?」

「そうかもだけど、ウチは君のことが放っておけないの。あんな部長の下で、剣誠くん大丈夫かなって。喧嘩でもしてないかなって。君、昔からすぐに手が出るんだもん」


「ハッ、ごらんのとおり部活動を満喫させてもらってるぜ」


 しかし、俺のジョークは少しも笑いを取れず、むしろ香織の顔を曇らせる結果になった。


「あの人、東宮さんだっけ。なんかショックだった。優しい人だと思ってたのに、裏切られた気分。あんな王様みたいなことって許されるの?」


「確かアイツが去年団体戦でベスト8までいった時の大将なんだよ。まぁ強いんだろうな。武道の部活ってのは、こんな風に強いヤツが幅を利かせるのはよくあることだ」


「ええ? なにそれ。やってることガキ大将じゃん、しょーもな」


 全くもってごもっともである。東宮は猿山の大将だ。


「あの人、ちゃんと部活やってるのかな? 強さにかまけてサボってそう」

「あー、それはあるかもな、ちょっと覗いてやるか」


 仕事なんか放置しておく。ゆっくりと道場の扉を開け、稽古の様子を盗み見る。

 三年生に駆り出された俺の他の一年生たちが怯えながら竹刀を構えている。


 だが、それは稽古相手ではなく、打ち込み台、もしくは体のいいサンドバッグだった。

 剣道の突きは、喉を突いた後に竹刀を手前に引くことで残心となる。


 東宮が一年に突きを放つ。ヤツはまともに残心も取らず、喉を貫くほどに深く竹刀を突き刺した。受けた一年は蛙がつぶされたような悲鳴を上げて吹っ飛んだ。


「おいおい、おねんねの時間には早ぇーぞ。ママの待つベッドが恋しくなっちまったか?」


 嘲笑が道場内に響き渡る。嗤っているのは三年生だけだ。道場内にいる数名の二年生と一年生たちはどうすることもできずにいた。


「ほら、立てよ。悔しかったらかかって来いよ。一本でも取れたら謝ってやるぜ」


 無理に決まっている。一年生や二年生の大半は高校から剣道を始めた初心者だ。県大会ベスト8の大将相手に勝てるワケがない。


「チッ。キンタマ付いてんのかよ意気地なしが。もういいや。おい、おまえ。来いよ」


 倒れている部員を放置し、東宮が壁際で立っている二年生を呼んだ。

 背は高いが線の細い先輩だ。東宮に面を掴まれて引きずり出される。


「かかり稽古だよ。オラ来いや。俺が受けてやっからよ」


 かかり稽古とは、俺も先生とやっていた、十五秒から一分ほどの間でとにかく打突と残心を繰り返す稽古だ。有酸素運動と無酸素運動の間をさまよっている感じか。とにかくキツイ。


 懸命に気勢の声を上げて、東宮に切りかかる二年生。お世辞にも速いとは言えないが、稽古に対して全力で取り組もうという気概は十分にある。が、しかし、


「はい、遅すぎ~」と東宮が躱しながら二年生の後頭部を鷲掴みにし、


「出直して来いよカス!」


 東宮に投げ飛ばされた二年生が道場の壁に激突した。呻き声を上げながら床に倒れる。


「おいなんだよ! 一発KOかよ! ヤワ過ぎだろ? 一年間何してたんですか~?」


 嘲笑いながら、東宮が竹刀で二年生を打ちつける。何度も。何度も何度も何度も。


「うわぁ、剣道の稽古ってこんな感じだっけ? 剣誠くんの部活の時とかと全然違う」


 香織がしかめっ面を浮かべながら引いていた。


「強いところだったらなくもないが、いくらなんでもやりすぎだ。酷い」


 この剣道部は、東宮が支配する帝国だった。強い者が大きな権力を握ること自体は悪いことじゃない。むしろ当然だと思ってる。


 でも、その力を弱い者いじめや女子の差別に使うのは、どう考えても間違っている。沸々と、肚の底に重油に似た黒い感情が溜まっていく。


 聞いた話だと、二年生で大将を務め、県ベスト8まで導いた功労者らしい。


 しかしその反面、去年の三年が引退した後は強さと実績にかまけてやりたい放題していると、一個上の先輩から聞いた。


 顧問の先生も一応いるんだが、高校の頃にちょっと齧ってた程度の腕前でしかない上に、別の部活の顧問も兼任しているのでそっちにつきっきりだ。今まで姿すら見たことがない。


「あんな先輩がいるから覚悟してたけど、ここの剣道部って、怖いんだなぁ」


 せっかく剣道をすると意気込んでいたのに、その心を出鼻で挫かれてしまった香織がどこか悲しそうな表情を見せる。


「嫌になるのも無理ないな。全国の剣道部がこうだとは言わないが、さすがにこんな酷い稽古の光景は、初心者の目には毒だろうし」


 俺が香織の立場だったら絶対入らない。しかし、剣道をしたいという香織の気持ちは酌んでやりたい。俺もちょっと嬉しかったというのもある。


「だったらよ、俺の通ってる道場に来いよ。部活には三年生が引退した後で入部すればいい」


 手を打って提案するが、香織は「ど、道場!?」と驚いたように目を丸くしていた。


「おう、どうした?」

「け、剣誠くんが通ってるのは知ってたけど、ちょっと道場って敷居高いなぁって昔から思ってたから。なおさら初心者のウチが行ってもいいのかなって躊躇っちゃう」


 初心者からしたら街の道場とはそんなイメージらしい。ずっと道場でやってるとそんな敷居とか気にしたことないのだが。昔断わった理由にそれも入ってたりするのかもしれない。


「大丈夫だ。道場って言っても教室みたいなモンだよ。年齢層も子どもから大人まで幅広いし、先生もしっかりした人だからよ」

「君が言うなら、うーん、考えてみる。でも、お願いだから一人にしないでよ?」


「もちろん」と返事をしながら香織と今後どうするか検討している時だった。


「おぉい達桐ィ! テメェ何仕事サボってやがる!」

「やべ、香織隠れろ!」


 わっ、と言う香織の頭を下げ、怒号を飛ばした東宮に俺の姿を見せる。


「すんませーん、竹刀の整備終わったもんで、次何したらいいかなーって」

「おまえ買い出しはどうした! 予備の竹刀とテーピング買って来い、っつったろ!」


 忘れていた。一気に面倒臭さが湧き出てくる。

 東宮の癪に障る罵倒を聞きながら、腰を落とした香織と共に扉の外に出る。


「剣誠くんはこのままでいいの?」

「よくねぇよ。何人も経験者の一年が辞めてってるし、いい加減限界だ」


 世間で言われているブラック企業ってこんな感じなのだろうか。しかし、それよりも八咲を倒すという目的が全く達成できていない方がもどかしい。未だに足がかりすら掴めていない。


「クソ、八咲が入らなきゃリベンジすらできねぇ。アイツ稽古できてんのか? 以前より弱くなった八咲を倒したところで、スッキリしねぇぞ」


「剣誠くん」と入学式の日のいざこざを間近で見ていた香織が意外そうな声を上げる。


 俺自身、八咲は嫌いである。負けた、ということもあるがとにかく腹が立つ。


 しかし、それでもアイツが相当な努力家であることは分かる。入学式の日に見たアイツの手は、女の手とは思えないほどのマメで埋まっていた。


 剣道の鍛練は痛みとの戦いだ。


 竹刀を振れば手に水膨れ、酷い時で血マメまで出来る。足だってそうだ。蹴り足である左足の裏側は目を逸らしたくなるほど皮が捲れる。中の肉が見えている状態で床を踏み締めることなど当たり前だ。


 だが、その痛みに耐えて稽古を積み重ねてきた剣士こそが強くなる。


 八咲の重厚感あふれる強さは、間違いなく、厳しい鍛練の末に手に入れた強さに違いない。そこは認めている。


 だからこそ、八咲から剣道をする場所を奪う東宮に拳を叩き付けたくなる。こんな理不尽は間違っている。


「まぁ、どうするかはまた考えるか。買い出し行くわ。部外者は帰った方がいいぞ」


 今は剣道部に関係のない香織をすぐに帰らそうとしたら、


「その買い出し、ウチも行っていい?」なんてことを言ってきやがった。

「あ? 部外者がやっても損なだけだぞ」

「ウチのことはいいから。手伝わせてよ」


 ぐいぐい、と強引に詰め寄ってくる香織。俺としては確かに手が増えてくれた方が買い出しは楽になるから助かる。けど、どうしてここまでしてくれるのか、よく分からない。


「ありがとな。んじゃ行くか。でも武道具店に可愛い物なんかねぇぞ?」

「いーの。別にウチは可愛いものがほしいワケじゃないし」


 なら何が欲しいのか。そんな俺のツッコミは無視された。



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