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十一本目:津村武道具店

 津村つむら武道具店。街で唯一と言っていい武道具の店だ。


 剣道だけではなく柔道の帯の字入れ、実践空手フルコンタクトなどで使うヘルメットまで扱っている。


 滑りの悪い引き戸を開け、木造の店内へ二人で入る。奥には猫を膝に乗せた置物のようなばあちゃんが鎮座していた。


 小さな鼻眼鏡の奥にある目は閉じているのか開いているのかよく分からない。子どもの頃から見ている気がするけど、一体歳はいくつなのか。


 香織は武道具店が初めてだからか、大量の竹刀が刺さっている箱や、壁に置かれている防具を興味深そうに見渡していた。


 そんな時だった。


 ばあちゃんの背後にある紺の暖簾のれんから、一人の女子が姿を見せた。


 そこにいたのは、憎き怨敵の八咲 沙耶。


「──げ」「あ」「む?」


 俺、香織、八咲と続けざまに反応する。


「八咲おまえ、なんでここにいんの?」

「ここは街で唯一の武道具店だ。私は店主の津村ご婦人と交流があってね。時折こうやって話し相手になったり、手伝いをしたりしているのだよ」


 どこかすごい既視感デジャヴを覚えた。ちらり、と横の香織を見ると、コイツは口元を手で覆って「可愛い~、何度見ても日本人形みたい」とぼやいていた。


「君らこそ武道具店に何の用だ? 部活は?」

「買い出しだ。部活はまぁ、社畜根性を発揮してやってるよ」


 今の剣道部がどういう状況か、さわりの部分を八咲にも説明する。コイツは聞いている間ずっと眉間に皺を作っており、最後に苛立ちのこもったため息を吐いた。


「なるほどな、教えてくれてありがとう」


 八咲が低い声で礼を言う。そして、柔和な声に切り替えてから香織に声を掛けた。


「霧崎さんは剣道に興味があるんだってね。よかったら竹刀を買ってみてはどうだ?」

「お、それいいな。どうせおまえもいずれは剣道部入るんだから、部費で一本ぐらいちょろまかしても大丈夫だろ。買ってやるぜ。部費でな!」


「ええ、いやいや! 申し訳ないよ!」


 残像が見えるくらい首と手を振って断る香織。眼鏡が飛ばないのが不思議だった。


「剣道部の俺が言ってんだ。いいから、遠慮すんなよ」

「うぅ、剣誠くんがそう言うなら」


 もじもじ、と縮こまる香織。話がまとまったと思ったら、八咲が手を叩いて、


「さて、そうと決まれば竹刀を選ぼう。これなんてどうだ?」


 差し出される竹刀。香織が礼を言いながらおそるおそる握り締めるが、


「香織、右手と左手が逆だ。鍔元と柄の端を握るんだ」

「ふぇ? そうなの?」


 正しくは右手が鍔元、左手が柄頭。香織は逆になっている上に拳同士がくっついていた。


「そんで握りもだ。掌が上向いてる。そうじゃなくて雑巾を絞るような感じでだな」


 香織の手首に手を添え、正しい握り方に矯正してやる。

 すると、香織の顔が一瞬で真っ赤になった。


「どした?」と尋ねても蚊の鳴くような声で「なんでもない」と返すだけだった。


 なんてやり取りをしていたら、隣で八咲が露骨な咳払いをした。


「あー……、せっかくだから竹刀の握りだけではなく、すり足などの基礎もしたいな。達桐、どこか場所はないか?」


「うーん、今日は道場もないしなぁ」とぼやいていたら、八咲が手を叩いて提案してきた。


「ヤツらの稽古が終わった後はどうだ? 少しでも時間とかないのか?」

「あぁ、なるほどな。完全下校時刻までやれないことはないか」


 短い時間だができないことはない。残って雑用しますとか適当にウソを吐けばいいのだから。


「いいぜ、乗った。そこであの時の雪辱を果たしてやる」

「あくまで今回は霧崎さんの剣道体験だというのを忘れるなよ?」


 八咲の念押しを口笛で躱す。とりあえず互いの利害が一致した俺と八咲は今回だけ意気投合し、こっそりと稽古をすることが決定した。


「おし、そうと決まれば竹刀買うか。二人は先に出ていてくれ」

「分かった。津村ご婦人、出掛けてくるぞ」


 八咲の声を聞きながら、香織用の竹刀を一本と、部活用の竹刀を数本購入する。言われた代金を支払っていざ出ようとしたら、


「坊や。君は、あの人にそっくりだねぇ」


 ゆっくりとした震える声で、背後からばあちゃんに声を掛けられた。

 あの人? 振り返って尋ねるが、武道具店の店主は俺の質問に答えることはなく、


「いいかい。世界は前だけでなく、後ろにも横にも広がっているんだよ。それが『極』の……」

「え」


 『極』。何故ばあちゃんがその単語を知っているのか。どういうことか尋ねようとしたら、


「剣誠くーん! 早く行こっ! テーピングとか買わなきゃでしょ!」


 店の外から、香織の大声に急かされた。ばあちゃんはもう何も言わなかった。よく分からなかったが、何か助言をくれたのだろうか?


「ありがとう、ございます」


 一応、頭を下げてから店の外に出て、香織たちを追った。

 ひらひらと手を振るばあちゃんの姿が、どこかずっと頭に焼き付いていた。



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