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十三本目:武道、とは

「──くん、剣誠くん、しっかりしてッ!」


 真っ暗な世界に一筋の光が差し込む。香織だ。目に涙を浮かべながら俺を覗き込んでいる。


「香、織?」

「あ、ああ、よかった、気が付いた!」


「俺、は」

「東宮さんに殴られて気絶してたの。もうあの人はいなくなったけど」


 見たら香織の頬が赤くなっていた。東宮に殴られた箇所だ。


「クソ、おまえを守ってやるって、言ったのに」

「いいよそんなの。それよりも君が」

「よくねぇよッ!」


 ビク、と俺に伸ばされた香織の手が止まる。

 怯えさせてしまったことを後悔しながら、そっぽを向いて小さく呟く。


「それが俺の、剣道をする意味だから」

「剣誠、くん」


 前みたいに、何度も聞いたと茶化してはこなかった。

 すると、八咲が沈痛な面持ちで俺の名を呼んだ。


「達桐、本当にすまない。私のせいで君が」

「んあ? 八咲が謝んなよ。ここでアイツをボコボコにしてもメリットがないだけだ」


 でも、と光のない瞳を潤ませて何かを訴えようとする八咲だったが、言わせない。


「俺はおまえを剣道で倒すっつったろ。だからしょーもねぇケガ負ってしばらく剣道できません、とかつまらねぇこと言ってほしくなかっただけだ」

「──……ばかもの、が」


 八咲が俺の道着の袖をきゅっと掴んだ。その力の、何と弱々しいことか。八咲は小さい。力も弱い。喧嘩なんてできやしないだろう。それでも、コイツは魂に剣を宿している。


 殺しの武器、殺しの術。それが俺の剣に対する考えだが、八咲は剣をまた別のものと考えているのだ。


 さっきの言葉がそうだ。剣は、剣道は、互いを理解し、歩み寄るためにあるという考え。


 その正体が何なのか、俺には分からない。それが桜先生の言っていた、『極』ってヤツに類するものかどうかも分からない。


 ただ、己の道を全力で邁進するコイツは、絶対に邪魔されていい存在じゃない。自分の道を正しいと信じて歩む姿がどこか、俺と重なって見えたから。


「俺はな、八咲、おまえが嫌いだ」


 冗談みたいに剣道が強くて、負かされた。何を考えてるか分からない。大嫌いだ。

 八咲が瞳孔を小さくする。泣きそうな顔すんな馬鹿。最後まで聞け。


「でもな、俺はおまえをすげぇと思ってるよ。ムカつくけどな」


 八咲の瞳は怯えるように揺れていた。やはり東宮が怖かったのか。しかし、コイツはそんな様子を微塵も見せずに東宮と向き合ったのだ。


 強い──強い女だ。


「心配すんな。ちょっと我慢して、どこかで剣を交えればそん時ぶっつぶす。然るべき場で、誰もが認めるやり方でやらねぇと後で面倒なことになる。なんせ、今の剣道部は東宮を筆頭に三年が幅を利かせてるんだから」


 八咲が何かを言いかけ、俺に手を伸ばそうとするが、力なくひっこめた。


「ありがとう。驚いたよ、優しい一面もあるじゃないか」

「……うるせぇ。そんなんじゃねぇよ、ばーか」


 咄嗟に吐いた悪態の切れ味は、あまりにもなまくらだった。

 帰るために荷物をまとめていたら、今度は香織が泣きそうな表情で口を開いた。


「剣誠くん、もう部活やめよ。三人で道場行こうよ。こんなのおかしい。この前のもそうだけど、どうして格闘技とか武道をやってる人って横暴な人ばかりなの? 二人みたいな人もいるって分かってるけどさ」


 何も言えない。強さを追求するあまり、道を踏み外す人なんてごまんといるからだ。

 俺だって女子や弱いものに暴力を振るってないだけで、考え方はヤツらと似ているのだ。


 強ければ正しい。強さこそ正義。その考えは否定しないが、一歩間違えれば立派な暴力になる。俺は、武道にはそういった一面があるということを決して忘れてはいけない。


「ウチ、悔しい。なんで剣誠くんみたいに優しくてカッコいい剣士や、八咲さんみたいに親切にしてくれる人がしんどい思いをしなくちゃいけないの?」


 とうとう、香織の瞳から涙が零れ始めた。


「武道は何も知らないけど、こんなのが武道って言うのはおかしいよ、絶対おかしい」


 涙は嗚咽を呼び起こし、道場に木霊した。何も言えない。黙ったまま、香織の嗚咽を聞くことしかできなかった。



 だから、気付けなかった。八咲の拳が、白くなるまで握り締められていたのを。




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