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十八本目:不細工な殺意

「剣誠くん、防具無しなんて大丈夫なの?」


 八咲を膝枕で休ませながら、香織が俺に言ってくる。

 いつか聞いたようなセリフだが、滲み出る不安はあの時とは桁違いだった。


「昨日やられたケガはまだ痛ぇ。一本っつーハンデもある。さらに相手は去年県ベスト8の大将だ。入学式の時とは状況が違う。ぶっちゃけ厳しいかもな」


「うそ」と泣きそうな顔になる香織。


「でも大丈夫だ。俺は勝つ。香織は八咲を頼む」


 竹刀を持つ。香織の方へは振り向かない。


「八咲さん、何かウチにできることは」


 俺の後ろでは香織が呼吸の乱れた八咲を心配していたが、


「大丈夫、だ。永い付き合いだか、ら、問題ないよ」


 でも、と言いかけた香織が口をつぐむのを感じた。


「達、桐」と八咲がまだ辛そうにしながら声を掛けてきた。


「すま、ない。私が、でしゃばった、ばかりに」

「謝んなばかおんな。俺がおまえの立場でも同じことをしてた」


 喘息という爆弾を抱えながら、俺よりも強い不思議な女。八咲に対していつも苛立つのはきっとこれが理由だったんだ。

いつ体内で発作が起きるか分からないのに、八咲はどこまでも気高くあろうとしている。


 その姿を、どこか認めたくなくて。悔しいけど、尊いと心の奥底では思っていたから。

 認めよう。八咲はすげぇ。八咲は強ぇ。イラつくけども。


 だから、己の信念を貫こうとする八咲を、決して穢してはいけない。

 体が軋む。節々が錆びた機械のようにぎこちないけど、憎きコイツがここまで意地を張ったのだから、俺が負けるワケにはいかない。


「おまえは俺が斬るんだよ。だから、おまえに手を出すヤツは許さねぇ」


 八咲が一瞬だけポカンとした顔を浮かべた。


「ふ、ふ。いいだろう、見届けて、やる。私に勝ちたいなら、東宮くらい倒してみせろ」

「言われるまでもねぇ」


 轟、と己の魂から炎が燃え広がるのを感じた。こんなにも全身に力が漲ったことはない。体を暴れ回る未知の力に拳が震えだした。少しでも気を抜いたら体という器を壊しそうだ。


 滾る激情をそのままに試合場まで足を運ぶ。正方形の白線の先に倒すべき相手がいる。年齢も、経歴も、この決闘場の中では自分を守ってくれやしない。一歩足を踏み込めば在るのは己の体と剣、そして魂だけ。己の魂を剥き出しにして、目の前の脅威を破壊する。


 俺が負けたら香織は──ついでに八咲は──果たしてどうなるか、分かったものじゃない。

 そうはさせない。俺はこんな状況がいつ来てもいいように、今まで鍛えてきたのだ。


 蹲踞そんきょ。かしん、と竹刀に込められた覇気がぶつかる。


「ったくよォ、躾のなってねぇ一年が多くて困るぜ」

 東宮のなじるような目が俺を射抜く。殺意が伝わる。肌が騒ぐ。


 されど俺の魂は吼える、劣等と。


 竹刀で人は殺せない。当たり前のことだ。

 だが、竹刀を真剣に変えることはできる。


 それができるのは──本当の殺意を知るヤツだけ。偽物のおまえは、竹刀を真剣に変えることはできない。だから俺がビビるに値しないだけだ。


「始めッ!」という二年生の声と完全に同時に、


「ぜあああッッ!」


 裂帛の気勢を振り撒いて、体を弾丸に変えた。開始線から東宮まで一気に斬りかかる。体が軽い。防具がないからか、それとも八咲の信念を背負っているからか。


 面を捉える──刹那、すんでのところで防御された。竹同士の焦げた臭いが鼻につく。


 残心ですれ違う。距離が空く。それでも見て取れた。東宮の表情が忌々しげに歪む。俺が凡な剣士ではないことを察したらしい。


 嘗めるなよと心の中で吐き捨てる。俺はおまえを斬りつぶすだけの剣を持っている。負けたくなければ、持てる力を総動員してかかって来い。


 暖機運転の完了した俺は右手を首に添えてゴキリと鳴らす。


「来いよ」


 挑発を真正面から受けた東宮が、左瞼をヒクつかせ、


「おもしれぇ」


 瞬間、轟音。互いに道を譲らず鍔迫り合いへ。


 東宮の体幹に力が籠もる。体格で劣る俺は受けに回らざるを得ない。小手の位置が入れ替わる。左へ竹刀ごと流された瞬間、肌がぞわりと震えた。


「コテェイアッッ!」


 剃刀のように鋭い引き小手が俺の腕を捉えた。手首に当たっていないため一本にはならないが、切っ先は確実に俺の体に傷を入れた。灼ける痛みに顔をしかめる。


 目を遣れば、俺の右腕から微かに血が滲んでいた。

 腐ってもベスト8の大将か。剣の切れ味も侮れない。


 上等だ、やってやる。

 床を蹴り、残心を取る東宮を追う。


 間合いに入ればそこは死地と化す。今は防具がない。面に直撃すれば額は割れ、小手に当たれば神経が麻痺する。胴に当たれば悶絶し、突きを食らえば喉が潰れるだろう。


 しかし、それらすべては俺の魂を脅かす要因にはなりえない。

 なんせ、こっちは常に殺意を纏って剣を磨いてきたんだ。この程度で怯むワケがない。


 俺がやってんのは部活動のスポーツじゃねぇ。剣道という名の武道なんだよ。

 剣は殺しの武器で、剣術は人を殺す技術。


 俺は常にその意識を持ちながら剣道をしているのだから。

 切っ先の攪乱かくらんを混ぜ、反応を示した竹刀と面を続けざまに斬り落とす。


「ッテ、メェ──ラァッッ!」

 小手を打つ要領で竹刀を弾き、体を押し込んで面を狙う。東宮が仰け反って俺の打突を躱す。再び距離がゼロになる。瞬間、俺の背筋に鋭い痛みが走る。昨日のケガだ。力が抜ける。


 ばちん、と体を弾かれる。振れば直撃する必殺の間合いになってしまう。

 やはり体格では押されてしまう。さらには打撲が俺の動きから精彩を奪う。


 舌打ちした瞬間、東宮が振り上がった小手を穿ちにかかる。


「コテェッ!」


 躱した、が、不運にもヤツの打突は先ほどの傷跡を抉った。腕に電撃が奔る。思考が麻痺して次の手が出ない。体を向ければ、そこには竹刀を砲身に変えて、剣先を装填した東宮がいた。背筋が凍る。右腕の痺れで構えがままならない。


「ツキィッッ!」


 俺の喉を穿つ一撃が奔った。防御を取る。ヤツの突きは俺の竹刀を弾いて軌道を変え、喉ではなく左胸に刺さった。肩甲骨まで衝撃が貫通する。皮膚が捩れる。体勢が崩れる。


 残心をロクにとらない力任せの突きだ。二年の先輩を吹き飛ばした最低な一撃が、俺に決定的な隙を押し付けてきた。次の打突を躱しきれない。


「メェェリャァッッ!」


 続けざまに放たれた打突が俺の側頭部で炸裂した。


「がぁッ」


 首を捻って面への直撃を避けた代償に、右耳で爆弾が破裂した。甲高い衝撃音が脳を乱す。点滅する意識で旗を確認するが、上がっていなかった。なんとか一本は回避したらしい。


 瞬間、口に何か入った。液体だ。温かい。この鉄みたいな味は、


「剣誠くん、血がッ!」


 香織の声が響く。やっぱりだ。耳の近くが裂けたらしい。


 迫る東宮。残心で吹き飛ばされる。衝撃で白線の外まで出かける。危ない。ここでもう一度反則になればそれで二本負けだ。試合場の外枠を示す白線の上に、俺の血が滴った。


 咆哮と共に東宮が突進してくる。背筋が逃げろと悲鳴を上げたが、間に合わない。

 凌げ。全身が砕けようとここは耐えなければならない。


「うおらァッ!」


 自動車が正面で衝突したような音が轟く。足の筋肉が悲鳴を上げた。

 息を止め、巨漢の突進を堪える。全身の血管が膨張しているのが分かった。


「や、やめッ!」


 長い接触のせいで審判から中断の声が掛かる。そこでようやく息を吸えた。しかし、力を抜いた瞬間、無茶な筋肉の駆動の代償が支払われた。背中から絶叫が迸る。


 背中に針が十本くらい刺さっているかのようか痛みだった。


「剣誠、くん」


 香織が劣勢になっている俺を見て、泣きそうな顔をしていた。心配するなと言いたいところだが、さすがに余裕がない。早く倒さないと。このままでは押し切られてしまうだろう。


 背中と耳もそうだが、厄介なのは右腕の痛みだ。

 力が入らない。麻痺している。顎が軋んだ。


 右腕に力を込めることは少ないが、操作性が落ちる。ハンデに加えてこの状況は、さすがに不利と言わざるを得なかった。汗が頬を伝って顎から垂れる。その瞬間だった。


「へへ、腕一本、使い物にならねぇか?」



 俺の脇を通って開始線に戻る東宮が、俺にしか聞こえない声でそう言ってきた。


「──」


 一瞬、思考が空白に塗りつぶされた。


 わざとか? 東宮は最初から俺の腕を壊すために、わざと打突を外していたのか? 


 ぶちん、と俺の中で理性をつないでいた糸が千切れた。開始線で構えた瞬間、腹の底に溜まっていた重油のような感情がどろりと溢れ、



「テメェ、誰を相手にしてんのか分かってんのか?」




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