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二十二本目:ラーメン暴れ豚

 八咲が引き戸を開けると、中から熱気が飛び出してくるのと一緒に、張りのある野太い声が聞こえてきた。


「おお、沙耶ちゃんじゃねぇか。久しぶりだなぁ。元気にしてるか? 最近どうだい?」

「久しぶりだね二代目。今日は知り合いを連れてきた。元気にしているとも。今は絶賛停学中だがね。晴れて不良少女デビューだよ」

「がっはっは! 若い時はそれくらいやんちゃでいいんだよ! ほら、食券買いな!」


 墓地で出くわした八咲にラーメンを食べに行こうと提案され、学校の裏手にある『ラーメン暴れ豚』にやってきた。どうやら八咲はこの店に馴染みがあるらしく、プロレスラーかと見紛うほど体格の良い店長と慣れた挨拶を交わしていた。


「食券買ったら奥から詰めて座ってくれよな!」


 店内に目を遣る。赤い丸椅子のカウンター席が八つ、だけ。トイレに行こうものなら他のお客さんに頭を下げなければならない狭さだ。さらには店員と客の距離が近いせいで厨房が丸見え。


 『NO FAT NO LIFE』と白文字で描かれた黒のTシャツを着ている店員が忙しくなく調理している音が木霊する。しかし、何より凄まじいのはニンニクの匂いだ。むせ返りそうだった。


「八咲、ここあれだろ。めちゃくちゃ量が多い、っていう……」

「そうだ。いわゆるカロリーの塊『三郎系ラーメン』というヤツさ」


 八咲の話を聞きながら、券売機を覗き込む。


「へぇ、ラーメン一筋でやってんのかこの店。大したもんだ」


 入り口の食券機でラーメンを選択する。この後も稽古するので、並盛を頼もうとしたら、


「達桐、特盛にしておけ」

「あん? 家帰っても稽古すんだよ。満腹で動けない、じゃ話になんねぇだろ」

「ほう、特盛を食べられない言い訳にしては上等だな」


 そう言いながら、八咲は特盛を押した。


「は? 特盛? おまえマジで言ってんのか? おまえのほっそい体で食えるのか?」


 愚か者め。八咲がそう言いながら取り出したるは、金色に輝くカードだった。なんだそれ、と聞こうとした時に、店長が補足してくれた。


「沙耶ちゃんはなぁ、かつて特盛を五十杯、汁まで飲み干したんだよ! その証明が今沙耶ちゃんの持ってるゴールドカードだ!」


 にわかには信じがたいが、どうやら八咲は特盛をぺろりと平らげるらしい。叩けば折れそうなほど細身だというのに。なら俺も負けてられなかった。特盛を押す。


 そんな俺たちの様子を見ていたプロレスラー店長が豪快に笑い、


「がっはっは! 沙耶ちゃんは中学の頃に釣先生と一緒によく来てたなぁ」

「おいおい、よしてくれ二代目。昔の話だ。ここ最近は来れてなくてすまなかったよ」

「全然! 顔出してくれて嬉しいぜ! 今度は津村のばあちゃんも連れて来てくれよ!」


 津村武道具店のばあちゃん? 


「ああ、達桐。津村ご婦人は釣師範の奥様にあたるんだよ」


 知らなかった。だから八咲はあの店にいたのか。

 奥から八咲、俺の順で座る。脇に竹刀袋を立てかける。


「ニンニクと野菜の量はどうすんだい?」


 店長が濃ゆい眉を丸め、岩石のような顔に笑みを浮かべて聞いてくる。


「二代目、私は野菜アブラニンニクカラメマシマシで頼む」

「おーらい! 兄ちゃんはどうする?」


 尋ねられても、そんな呪文なんか知らない。


「オイ、八咲。何だ今の」

「味付けの調整だ。私はいつもマシマシだ。剣士なら黙ってマシマシ一択にしておけ」

「分かったよ」


 八咲と同じくマシマシを注文する。字面からして多そうである。しかし、食べ切れなさそうなら残せばいい。八咲に煽られた手前、残すのは癪に障るが仕方ない。


「ふ、いい度胸だ。マシマシを注文したからにはもう引き下がれんぞ」


 呟き、八咲が水を飲みながら前の張り紙を指で叩いた。視線を泳がせると、注意書きだった。


 ──なお、マシマシの方は残すと五百円の罰金を頂きます。


「頑張ろうな、達桐」

「テメェ、これ最初に言っとけよな!」

「聞かれていないのだ。ならば教えてやる義理はないのだよ」


 そっぽ向いて震える八咲。笑ってんじゃねぇよこの性悪女め。




「へいお待ちィッ! 特盛ラーメン二丁ね!」


 飲食店ではあるまじき重量を伴った音と共に、俺たちの前に丼(どんぶり)が置かれる。


「来たか。さぁ、食べようじゃないか達桐」

「なぁ、モヤシで山が出来てんだけど。麺どこだ? 見えねぇぞ」


 手で持った感じ三キロはあるだろう。もはやフードファイターの食い物である。だが、八咲は「いただきます」と言ってモヤシの山に箸を突っ込んで食らいついた。


「む? 達桐、食べないのか?」

「あ、ああ、食うわ」


 口をもごもごとさせながら尋ねてくる八咲に軽く引きながら、ずぼ、とモヤシの底に箸を突っ込む。何とか麺を引きずり出すが、


「いや、重いな。麺太いな。食うので一苦労だぞこれ」


 しかし、艶やかなスープを纏ったちぢれ麺はやたらと美味そうに見える。昼食時だからか、腹が食らいつけと囃し立ててくる。おそるおそるといった体で麺を啜り、


 舌に触った瞬間、凝縮された旨味が広がった。

 弾力のある麺。噛めば噛むほど味が出てくる。脂にまみれたスープの香りが箸を進ませる。


「うむ、先代に負けず劣らず、丁寧に炊き出しされたスープ。見事だ」


 八咲は奥で頷きながらどこかの料理漫画みたいなセリフを漏らしていた。

 次第に無言になっていく。本当に美味いと会話はなくなっていくものだ。そうやって夢中で麺を啜っていると、


「ふ、沙耶ちゃんにも、一緒にラーメンを食える友達ができたんだな」


 店長が背を向けて洗い物をしながら口を開いた。思わずそちらの方に顔を向けてしまう。


「ちょ、二代目」と八咲が恥ずかしそうに手を振って止めようとする。


「俺友達ちゃいますよ」

「がっはっは、照れるな照れるな少年」

「照れてねぇっす。マジっす」


 俺の意見を豪快な笑いで流した店主がこちらを向いて、


「釣さんが連れて来てたのは三年前くらいだったか? ムスーっとしててなぁ。周り全部敵と言わんばかりの目をしてたっけな」

「ホントにやめてくれ二代目」


 八咲にそんな時代があったとは興味深い。しかし、それ以上に気になるのは、


「その、釣師範って、どんな人だったんすか?」


 釣師範。名前はよく知っているが、実は直接会ったことはない、と思う。桜先生以外の道場に足を運んだことがなく、直接指導された覚えもないからだ。


「ああ、釣師範な。坊主頭に、白い髭。顔にいくつもの傷があってな。それはどうしたんだと先代が聞いたらなんと元は軍人だったって言うじゃねぇか。戦争で負った傷だってよ。ありゃあ一目見たら忘れたくても忘れられねぇな」


「軍人!?」


 飛び出してきた単語に危うくスープを噴きかけた。


「いつも一人で食いに来てたが、ある日から沙耶ちゃんを連れてくるようになったんだ」


 きっ、と八咲の目つきが鋭くなった。名前を出すのはNGのようだ。


「桜先生とかは、一緒に来たことねぇのかな」


 ぼやく俺の声を聞こえたのか、店長が驚いたように眉を吊り上げ、


「桜先生? ああ、黒神 桜ちゃんか。懐かしい名前だな」

「知ってんすか!」


「桜ちゃんは俺の高校の同級生だ。化物みたいに剣道が強いってんで一年から有名人だった。そうかぁ、今は剣道の先生やってんのか。らしいなぁ」

「と、当時の桜先生ってどんな感じだったんですか」


「そうだなぁ。とにかく剣道にまつわる逸話ばかりだったよ。一年で部活どころか生徒会まで支配してたとか。一年から三年までに出た試合の全部で負け無しとか」


 マンガみたいな話ばかりだ。でもあの人ならやりかねないと思うと苦笑いしか出てこない。隣の八咲は、どこか眉間に皺を寄せて難しい顔をしているが。


「とにかく先輩後輩先生問わず、怖がられていた。誰も近付こうとはしなかった」

「え、どうしてっすか? 強かったら普通持て囃されるんじゃ」


「普通はな。だが、桜ちゃんは強すぎた。みんな一度は尊敬するが、畏れ多くて目を逸らしちまう。誰も見ようとしなかった。同級生の俺でさえも剣道のこと以外は全く知らん」


 俺の問いに帰ってきた答えは、予想してなかったものだった。強すぎるが故に孤高だった先生。そうして歩んだ果てが『鬼神』という答えなのだ。この前に見た先生の覇気を思い出す。屈服させることに特化した征圧の気魄きはく。誰にも真似できない、先生だけの剣道。


「すげぇ、やっぱ先生、すげぇわ」


 あの人は間違いなく天下一なのだ。誰もが先生を恐れ、決して逆らおうとはしなかった。絶対王者。天下無双。誰も並び立てない孤高の存在。それが先生。黒神 桜という剣士。


「やっぱり俺は、先生みたいな、圧倒的な強さが欲しい」


 拳を握ってそう言った瞬間、


「全く、盲目にもほどがあるな」


 八咲が丼を掴み、喉を鳴らしながら脂ギットギトの特濃スープを一気に飲み始めた。

 呆気に取られて手が止まってしまう。八咲はそのまま止まることなく飲み干し、


「──っぷはぁッ! ごちそうさまです二代目。美味しかった」


 ダンッ! とカウンターに強く空の丼を置いた。


「おう! さすがゴールドカード持ちだな! 胃袋は相変わらずか!」


 店長が笑い飛ばしながら容器を回収し、席を外す。

 その背を確認し、八咲が水を飲む。次いで口を拭いながら、


「さて、達桐、今日君をラーメンに誘ったのはな、尋ねたいことがあったからだ」


 真剣な目で俺を見つめてくる。


「東宮戦で見せた殺意、あれはなんだ? 普通の人間が普通の生活をしていて身に付くものではない。少なくとも、人一人を殺すくらいはしないと、得られないものだ」


 八咲の表情は穏やかなものではなかった。しかし、責め立てる表情ではなく、どこか憐れみと同情を滲ませていた。


 飯時に話すことではないのかもしれないが、いい機会だと思った。


「あー、ちょっと違うんだよ。いい線いってるけどな、八咲」


 教えてやることにした。俺と八咲おまえでは、住んでる世界が違っているということを。



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