目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

二十五本目:爆弾発言

「達桐、おまえな、数学嫌いなのは先生が悪いけど、授業くらいちゃんと聞け。そしてやれと言われた課題はちゃんとやれ。な? 単位落としちまうぞ」

「へーい、さーせんしたー」


 停学が明けてから三週間、数学を怠けまくったツケが、補修のプリントとなって俺に牙を剥いた。しかし、牛歩ながらも片付けることに成功し、担当の先生に提出した。


「まぁ、きっちり終わらせたから相応の評価はする。これからはちゃんとやれよ」

「へーい、さーせんしたー」


 全く同じトーンで言葉を焼き直す。先生は頬をヒクつかせていたが一つ咳払いをして、


「ついでだ。A組からC組までの授業ノートがここにある。各クラスに届けてこい」


 げ、めんどくせ。でも文句言える立場じゃねぇしなぁ。

 ノートを抱え、準備室を出る。


「おっと」扉を閉めた拍子に何冊かノートを落としてしまった。


 目に入ったピンクのノートには、一年B組 霧崎 香織と書かれていた。


 ──剣誠くん、ひとりぼっちになっちゃうよ。


 香織の言葉が、脳裏に蘇る。剣道素人である香織の言葉が。

 どうして、香織を拒絶できなかったんだろうか。


 答えは出ない。分からない。それしか言いようがない。落ちない汚れのようにへばりついた香織の言葉が理解できず、不快だった。眉をひそめながらノートを各教室の教卓に置いていく。


 最後のC組。少しでもモヤモヤが晴れたらと願いながら教室の戸を勢いよく開ける。


「失礼しゃー」す、と最後まで言い切ることはできなかった。




 何故なら、中を見た瞬間、八咲が道着を着ようとしているところだったからだ。




「た、達桐?」


 体が動かない。動かそうとしても、八咲の透き通った肌が俺の視線を釘付けにし、動くことを許そうとはしなかった。曇りもない肌を包むのは、機能性を重視した黒いスポーツブラ。注視するつもりはなかったが、やはり俺も一人の男子高校生。本能には抗えなかった。


 しかし、やはり八咲の胸が全然なかった。


 別に女子高生の平均を知っているワケではないが、それでも八咲の胸は小さいだろう。


 と、八咲の胸が視界に入るのと同時に、コイツの体で気になる点を見つけた。だが、それがなんなのか考える間もなく、俺の視界は大きくひっくり返ることになった。八咲が全力で投擲した竹刀袋──もちろん竹刀入り──によって。


「見るな、この大バカ者が!」


 ごっ。という音と共に剣先が俺の眉間にメリ込んだ。

 転倒するのと同時に、八咲が体を隠しながら戸を強く閉める。


「いってぇっ! ちょ、マジでごめん、いるとは思わなかった!」

「だからと言って乙女の着替えを覗いていい理由にはなるまい?」

「おっしゃる通りだ畜生。今回は完全に俺が悪い」


 だが、思うことはある。


「だけどよ、何でこんなところで着替えてんだよ。無防備だぞ。部活はどうした」


 たんこぶができていないか触って確かめながら、戸に背を向けて尋ねる。


「教員の手伝いをしていたんだよ。その帰りで荷物を取りに来た。そこで思った。このまま部活に行くなら着替えて行けばいいか、と」


 まるで説明書のように言うが、結局のところ自業自得じゃねぇのかそれ。やっぱりさっきの一撃は理不尽だ、と言ったところでもう一発やられるだけだ。黙っとこう。


「だがまぁ、君の言い分も一理ある。よって眉間に入れた一撃で今回は目を瞑ってやろう。少し待っていたまえ。すぐに出る」


 早く部活行きたい、そう思いつつ、先ほどのことを思い返す。



 どうして八咲の右胸から斜めにかけて大きな傷痕があったのか。



 それを聞こうかと一瞬思ったが、どう考えても女子に傷のことを聞くなんてデリカシーがなさすぎる。やめた。どうせロクなことになりやしないことは明白だからだ。





 東宮との戦いで、何故俺は八咲に勝てないのかという問題に対して答えを得た。


 それは経験。積み上げた勝利の数。もっと剣に殺意を込めて磨き上げる。絶対に斬ってやるという覚悟が足りないから勝てないんだ。でも今の俺は違う。気付いた。ならばもう二度と八咲なんぞに負けはしない──


「メェエエンッッ!」


 ──はずだった。


 空気を震わせる気勢。俺の体重がちょうど中心で居付いた瞬間を狙って、八咲が飛び込み面を繰り出してきた。反応もできず飲み込まれた。この数週間、俺が得たはずの答えは八咲にちっとも通用しなかった。面アリの判定が下される。負けた。これで通算三十二敗目だ。


 八咲が部活に入ってから、俺は毎日のように挑みかかり、そして返り討ちに遭っている。俺が八咲に負ける光景はもうすっかりおなじみになってしまったようで、ジャージ姿の香織から向けられる同情のまなざしが非常に辛い。


 横暴な帝王を俺たちが打ち破ったことにより、剣道部にあった理不尽なルールは撤廃された。八咲をはじめとした女子も入部可能となり、俺の雑用地獄もなくなった。


 あの戦いから東宮は一度も顔を見せていない。停学はもう明けているはずだ。

 しかし、あれだけの醜態を晒したら当然だろう。


 そしてこれは停学が明けてから知ったのだが、今後の剣道部の運営を話し合うために一週間だけ部活動が停止していた。


 今回の件は顧問だけではなく周囲の先生の耳にも入り、校長から直々に顧問は管理不行き届きで厳重注意を受けたらしい。


 しかし、顧問も他の部活と兼任しているため、やはり管理は難しいとのこと。他の顧問を立てるしか方法はなかった。


「はい、そこまで。今日はそれくらいにしておきなさい、二人とも」


 なので、桜先生が指導をすることになった。ただ、厳密には部活の顧問ではなく、日払いの指導員のようなものだ。どうしてそこまでするかと言うと、剣道部の実績を考慮してこのまま放置するワケにはいかないとのこと。給料も出てるみたいだ。


「また負けた。なんでだよ、クソ」


 がっくりと項垂れる。屈辱で腸がねじ切れそうなのを耐えながら、礼を済ませる。


「ふん、いい加減に学んだらどうだ? 今の君じゃ私には勝てないよ」


 あの試合以降、八咲が喘息の発作を起こす姿は見ていない。曰く「調子が良い」そうだ。 


 八咲は全然汗をかいていない。息が切れている様子もない。俺はぜぇぜぇ言っているというのに。心の底から憎たらしい女である。


「八咲って、現代の侍みたい。カッコいい」「体が小さくても剣道って強くなれるんだな」


 試合場の外では他の部員たちが各々で稽古の感想を述べていた。


 三年との試合の結果を聞いて、辞めた二年の先輩や同期も戻ってきた。部員たちは八咲が喘息持ちだというのは既に聞かされている。顧問も正式ではないが桜先生という極上の剣士を迎え、剣道部はまさに順風満帆だった。俺以外は。


「なんでなんだよ、分かんねぇよマジで。おまえ未来予知でもやってんのか、オイ」


 道場戦は五月にもあり、明後日にまで迫っていた。もう時間がない。このままでは半年前の二の舞だ。それだけは避けねばならないのだが、どうしたらいいのか全く分からない。


「そんな超能力じみたものは知らないが、君の動きはよく分かるぞ」


 面を取った八咲が手刀で構える。俺も応じる。コイツは静かな目で俺の、目だろうか。そこを見ている。ボーっとしているようにしか見えない。とりあえず額を狙おうとした瞬間、


「面、だろう?」


 図星だ。反射的に体が固まる。俺の反応で周囲の部員たちも八咲が正解を当てたと理解し、おぉ~、と感心したように拍手を送っていた。マグレだ。次は喉を突いてやろうとしたら、


「突きだな」


 動き出す一瞬前に俺の狙った箇所を当てられる。理解ができない。


「そんな不細工な殺気なんて読んでくれと言っているようなものだよ」


 殺気を読むとは。ワケが分からない。しかし、どうやら八咲を倒すには超能力が必要らしい。毎日の稽古に超能力の訓練も取り入れようかと本気で考えていた時だった。




「特に、黒神 桜。あなたの覇気が一番──不細工だ」




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?