「特に、黒神 桜。あなたの覇気が一番──不細工だ」
コイツは、そんな爆弾発言をかましやがった。
「え」「はい?」「オイ、八咲…ッ」
先生、香織、俺と連続で呆気に取られる。黒神 桜の覇気が不細工? 何を言っているのか。気が触れたとしか思えない。この人は全日本選手権を制覇した、現最強の女剣士だというのに。
「オイ八咲、テメェ誰に向かってそんな無礼なクチ叩いてんだコラ」
「盲目している男はすっこんでいたまえ」
東宮の時よりも強い殺意を八咲に向けるが、コイツは不動の瞳で俺を睨み返す。
「私の剣に対して、意見をくれるの? 八咲さん」
気付いたら桜先生が音もなく接近していた。空気が帯電する。僅かな刺激で大爆発を起こしかねない雰囲気に、他の生徒たちは固唾を飲んで遠巻きに俺たちを眺めていた。
「意見も何も、あなたの剣は矛盾している。ここまで鮮やかに思想と剣が乖離している剣士は初めて見た。よくもまぁ、自分を騙してこれたものだな」
「八咲、そろそろ黙れよ」
「黙るのは君の方だ達桐。君のためを思って言っている。そろそろ目を覚ませ」
「あぁ?」という俺の声を、八咲は無視した。
桜先生は何も言わない。光の消えた目で八咲を見ていた。
「釣師範の元弟子なら分かるだろう。あなたは口では『極』を語るクセに、剣は『要』に特化しているじゃないか。それを矛盾と言わずなんと言う?」
「剣の『極』は、剣を抜かずに戦いを終えることでしょう?」
『極』。桜先生と前に話した内容を思い出す。『我々はいかに剣を抜かずにいられるか、そのために剣を振っている』という、釣 明人師範の言葉が元になっている。
それがこの前の試合で先生が見せた、東宮を諫めた覇気だというなら納得だ。剣を振らずして戦いを終える。おまえでは相手にならないと格の違いを見せつけ、戦意を奪う。
『極』とは、構えただけで相手の心をへし折り、屈服させる強靭な覇気を指す。
それが正しいはずだ。何故なら黒神 桜という剣士は日本最強なのだから。最強の剣士が導き出した答えに、間違いなんてあるはずがない。
「やれやれ、あなたは『極』の正体を恐怖による支配だと勘違いしている」
だが、八咲は先生の剣をひと思いに否定した。
「なん、ですって?」と頬を引き攣らせる先生の顔は、俺の心情を如実に表していた。
「それは『要』の至る極致だよ。その結果が導く未来には何もないと何故気付かない?」
剣の『要』とは殺し合い。果てに在るのは孤高の頂点。俺が目指すべき頂。だが、八咲はその頂点を否と断ずる。それはつまり俺の師匠、黒神 桜を否定することで。
「あなたは達桐に『要』しか教えられなかった。だから彼は私に勝てないんだよ」
それ以上はもう、聞いてられなかった。八咲を睨みながら一歩踏み出した瞬間、
「剣誠君、下がりなさい」
先生、いや、『鬼神』が、一喝して俺の動きを止めた。
「八咲さんの意見は私に対してです。あなたが怒る道理はありません」
先生の言葉が俺の頭から血を下げた。恩師にそう言われたら黙るしかない。
「八咲さん、貴重な意見をありがとう。全日本を優勝してから私に意見する人なんていなかったから、なんだか懐かしくなっちゃった。師匠に言われている気持ちだわ」
でも、と一拍挟んで空気が凍った。それは嵐の前の静けさか。
柔らかい口調のまま桜先生が目を閉じて。
「あなたは師匠ではない。少々口が過ぎるわよ」
剛、と覇気が厖大な圧力となって暴れ出した。魂ごと体を押しつぶす威圧感は壁、いや、掌だった。鬼の掌が、八咲の体をぺしゃんこにするために指を広げていた。
「試合場に入りなさい。まだ完全下校時刻までには時間がある。特別に、稽古をつけてあげます。喘息で倒れようがここまでの口を利いた以上、容赦はしませんよ」
「ああ、望むところさ。今日はすこぶる調子が良い。あなたにだって負ける気がしないよ」
嵐は突然に。認めたくないが剣道部において最強の八咲と、日本において最強の桜先生がぶつかる。状況に頭が追い付かない部員たちは、ただただ唖然とするしかなかった。
「そうだ、達桐。私が勝ったら、何か奢ってくれ給えよ。私が負けたら奢るから」
くるりと振り返った八咲が、俺に向かって笑顔でそんなことを言ってきた。
「教室でのこともある。まさか、逃げなどするまいな?」