私を殺そうとした村の人たちを。
私を爪弾きにしてきた村を。
私を縛りつけてた大きくて、でも窮屈な枝を。
はるか彼方へ置き去りにして。
ヤトは――龍神様は、ひたすらに天へと昇ってゆく。
「うわ、はっやぁ!」
鱗に覆われた手のひらの上。
見るものすべてが下へ流れていくのを眺めながら、私は歓声を上げた。
……ああ。
こんなわくわくする気持ち、いつ以来だろ。
体の中を風が吹き抜けてくみたいな爽快感に、疲れなんてほとんどどこかへ吹き飛んでしまったみたい。
指の合間から顔を覗かせれば、止まり木村はもう豆粒よりも小さくなってる。
「なんか……なんか、笑っちゃうなぁ」
『何か言ったか?』
「ううん、なんでも」
『そうか。……キリノ、もうすぐ雲の中へ突っ込む』
「え、雲?」
『目を閉じて息を止めろ。沁みるぞ』
「わわっ」
バフっと音がして目の前が真っ白になる。
慌てて言うとおりにしたけど、ちょっと遅かったのか鼻の奥がツンとした。
「~~っ」
『もう少しで出る。我慢しろ』
またバフって音がして。
まぶたの向こうが明るくなるのを感じた。
「ぶはぁっ! はぁ、はぁ、し、死ぬかとおも……――」
目を開けると。
狭い枝のなかで想像しかできなかった世界の続きが、そこにあった。
満月が照らす雲海の舞台の上。
すべてを覆い尽くさんと枝葉の傘を広げる巨大な世界樹と、それすらも受け入れる圧倒的な夜空。
親と子のじゃれ合いにも似た戦いを、幾千の星々が彩って幻想的に引き立てる。
この壮大な劇を、私とヤトが独占してる。
ようやく頭が呆然から帰ってきて。
私は呟く。
「……世界樹って、やっぱり大きいよね」
『ああ』
「でも……世界ってもっと大きいんだね」
『ああ』
息を吸う。
透明な空気が肺を満たす。
息を吐く。
熱くなった私の体温が夜空に溶けていく。
「……ははっ」
ほんとに枝の外にいるんだって実感が体に沁みこんでく。
開放感で、体が弾けちゃいそう。
自分たちが通ってきたところ、雲に綺麗な穴が開いてる。
「なんかさ」
『ん? なんだ』
「あんなちっぽけな枝のなかで必死になって、追い詰められて……私バカみたいだね」
『そうだな』
「ちょっと? 否定して?」
『事実だろう』
「……もう。じゃあ適当に飛んで」
『じゃあ、からのそれはつながってないのではないか?』
「いいから」
『……ふん。今日くらいは素直に聞いてやる』
「へへ、ありがと」
ヤトが体をゆるゆるとしならせて、風の合間を滑っていく。
見えるもの全部が大きすぎて、いくら進んでも景色は変わらない。
次々後ろに流れてく雲のカーペットと頬を撫でる風がヤトの速さを訴える。
「あは~風つめた~い、ほっぺたつめた~!」
『ここは冷える。あまり長くはいないぞ』
「あはは! 世界、ひっろぉ~!」
『おい聞け……まあいい』
ヤトが軌道を変えて雲に半分潜って泳ぐ。
分厚い雲海が通った道筋に沿って割れていく。
私も下に手を伸ばしてみたら、手のひらに白い綿が渦巻いた。
「ヤト見て! 私今、雲を持ってる!」
『そうか。よかったな』
「ヤト!」
『なんだ?』
「楽しい! ありがと!」
『……ふん。よかったな』
ヤトがぷいと顔を背けたのを見て、くすくす笑う。
私はきっと。
今日の日をずっと忘れない。
だって……。
こんなにも楽しくて。
「気持ちいいなぁ――っ!」
◇ ◇ ◇
『キリノ』
「……ん、なに?」
ひとしきり飛び回ってもらった後。
ゆっくりと周回しながらヤトは私の名前を呼ぶ。
『決着をつけにいくぞ』
大きな流線形の顔がこっちに向けられて、紅い瞳に私が映る。
鏡映しの私は、ひとひらの憂いもなく笑って頷いた。
「……うん、いいよ。行こう」
今なら、なんでもできそうな気がするから。