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第42話 世界


 私を殺そうとした村の人たちを。


 私を爪弾きにしてきた村を。


 私を縛りつけてた大きくて、でも窮屈な枝を。


 はるか彼方へ置き去りにして。


 ヤトは――龍神様は、ひたすらに天へと昇ってゆく。


「うわ、はっやぁ!」


 鱗に覆われた手のひらの上。

 見るものすべてが下へ流れていくのを眺めながら、私は歓声を上げた。


 ……ああ。

 こんなわくわくする気持ち、いつ以来だろ。

 体の中を風が吹き抜けてくみたいな爽快感に、疲れなんてほとんどどこかへ吹き飛んでしまったみたい。

 指の合間から顔を覗かせれば、止まり木村はもう豆粒よりも小さくなってる。


「なんか……なんか、笑っちゃうなぁ」

『何か言ったか?』

「ううん、なんでも」

『そうか。……キリノ、もうすぐ雲の中へ突っ込む』

「え、雲?」

『目を閉じて息を止めろ。沁みるぞ』

「わわっ」


 バフっと音がして目の前が真っ白になる。

 慌てて言うとおりにしたけど、ちょっと遅かったのか鼻の奥がツンとした。


「~~っ」

『もう少しで出る。我慢しろ』


 またバフって音がして。

 まぶたの向こうが明るくなるのを感じた。


「ぶはぁっ! はぁ、はぁ、し、死ぬかとおも……――」


 目を開けると。

 狭い枝のなかで想像しかできなかった世界の続きが、そこにあった。


 満月が照らす雲海の舞台の上。

 すべてを覆い尽くさんと枝葉の傘を広げる巨大な世界樹と、それすらも受け入れる圧倒的な夜空。

 親と子のじゃれ合いにも似た戦いを、幾千の星々が彩って幻想的に引き立てる。


 この壮大な劇を、私とヤトが独占してる。

 ようやく頭が呆然から帰ってきて。

 私は呟く。


「……世界樹って、やっぱり大きいよね」

『ああ』

「でも……世界ってもっと大きいんだね」

『ああ』


 息を吸う。

 透明な空気が肺を満たす。

 息を吐く。

 熱くなった私の体温が夜空に溶けていく。


「……ははっ」


 ほんとに枝の外にいるんだって実感が体に沁みこんでく。

 開放感で、体が弾けちゃいそう。

 自分たちが通ってきたところ、雲に綺麗な穴が開いてる。


「なんかさ」

『ん? なんだ』

「あんなちっぽけな枝のなかで必死になって、追い詰められて……私バカみたいだね」

『そうだな』

「ちょっと? 否定して?」

『事実だろう』

「……もう。じゃあ適当に飛んで」

『じゃあ、からのそれはつながってないのではないか?』

「いいから」

『……ふん。今日くらいは素直に聞いてやる』

「へへ、ありがと」


 ヤトが体をゆるゆるとしならせて、風の合間を滑っていく。

 見えるもの全部が大きすぎて、いくら進んでも景色は変わらない。

 次々後ろに流れてく雲のカーペットと頬を撫でる風がヤトの速さを訴える。


「あは~風つめた~い、ほっぺたつめた~!」

『ここは冷える。あまり長くはいないぞ』

「あはは! 世界、ひっろぉ~!」

『おい聞け……まあいい』


 ヤトが軌道を変えて雲に半分潜って泳ぐ。

 分厚い雲海が通った道筋に沿って割れていく。

 私も下に手を伸ばしてみたら、手のひらに白い綿が渦巻いた。


「ヤト見て! 私今、雲を持ってる!」

『そうか。よかったな』

「ヤト!」

『なんだ?』

「楽しい! ありがと!」

『……ふん。よかったな』


 ヤトがぷいと顔を背けたのを見て、くすくす笑う。


 私はきっと。

 今日の日をずっと忘れない。


 だって……。


 こんなにも楽しくて。


「気持ちいいなぁ――っ!」



   ◇ ◇ ◇



『キリノ』

「……ん、なに?」


 ひとしきり飛び回ってもらった後。

 ゆっくりと周回しながらヤトは私の名前を呼ぶ。


『決着をつけにいくぞ』


 大きな流線形の顔がこっちに向けられて、紅い瞳に私が映る。

 鏡映しの私は、ひとひらの憂いもなく笑って頷いた。


「……うん、いいよ。行こう」


 今なら、なんでもできそうな気がするから。



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