「……良いですか、リーナ」
むす、とした顔で、ラッセルが両手を組む。
見上げるほどの大きさに、狼に似た耳と尻尾、ふさふさの毛。
少しだけ堀が深くなった印象はあり、声は記憶より少し低く年齢を経た気配はあるけれど、それでも彼だと分かる。
「あの、ラッセル……一応ここ往来だし、いろんな人が見てるから……せ、聖職者が暴力はどうなの……いたた……」
リーナの言う通り、私たちは今もの凄く視線を集めていた。
「ラッセル様があんなに怒ってるの初めて見たぞ……」
「誰があんなに怒らせたのかと思ったけどあれ、リーナ様だよね……? 横、シア様もいるし……」
「すっごい音したけど良いのか、あれ……いや、良いのか……昔の仲間だし……悪いことしたっぽいし……」
「あのラッセル様も、親しい人相手だとあんな感じになるんだね……」
周りにいるすべてのひとがこっちを見ているし、なんならヒソヒソ話までしている。
それでも、ラッセルはまったく気にした様子もなく、
「そんなことは今関係ありません、この大馬鹿者。周りに一言もなく魔法学園からいなくなるとは何事ですか」
「え、そんなことになってたんですか!?」
リーナが王族の頼みで、魔法を広めるための教育機関を作り、そこの長になったというのは再会したときに彼女から聞いた。
けれどそこから黙っていなくなったというのは、初耳だった。それが本当なら、リーナは仕事をボイコットして私に会いに来たということになる。
「ええ、そんなことになっていて……王都はもう大騒ぎで。私のところまで『学園長の行方をしらないか』、と連絡が来る始末です。ああ、久しぶりですね、シア。すみません、愚か者がウキウキデート気分であなたと手を繋いでのこのこやってきたので天罰を優先してしまいました」
「今の天罰、そうとう物理な気がしましたが……」
「神は忙しいので、私と聖書が代行したまでです」
「天罰って代行できるんですか……?」
天罰についてさておき、事情を聞く限りはリーナが悪いと思う。
なにも告げずにいなくなったというなら、周りが驚いたり心配するのは当然のことだ。
相手の言い分が正しいと思ったので、私は自分の髪をかき上げておでこを出した。
「ええと、それでいうと私も突然いなくなって二十年ぶりで、リーナにも結構怒られちゃったんですが……聖書チョップ、しておきます……?」
「シアは大丈夫です、あなたほどの人がそうしたのなら、きちんとした理由があるでしょうから」
「いやいやいやいやボクも理由はあるよ!?」
「黙りなさい、二度目の天罰が落ちますよ」
ラッセルの聖書素振りを見て、リーナは慌てて私の後ろに隠れる。
私の身体を盾にするようにして、いー、とラッセルに歯を見せるリーナの頭を、私は自然と撫でてしまっていた。
「なんというか……変わりませんね、ふたりとも。本当に二十年経ってるんですか?」
「二十年経っても変わらず、怒られるようなことをする彼女に問題があるのです」
「ラッセルこそもうおじいちゃんなんだから、もうちょっと落ち着いたり寛容になるべきだと思う! 今のぜんぜん手加減なかった!! 超痛かったもん!!」
「超痛くなかったら天罰にならないでしょうが。ほら、次はいつものお説教です、いきますよ」
「やだっ、ぜったい行かない! もう帰る!! シアと美味しいモノ食べに行く!!」
「ふたりとも、人を挟んで喧嘩しないでください……」
久しぶりに見てもまったく変わらないふたりのやりとりを見つつ、私は吐息。
懐かしい光景ではあるけれど、往来でずっと喧嘩をしているのも良くないと思ったので、私はラッセルを見上げて、
「ラッセル。今のでリーナも反省したでしょうし、私もあなたと久しぶりに話したいので、これくらいで許してあげてもらえませんか?」
「……分かりました。二十年ぶりに逢う戦友に免じて許しましょう」
「ありがとうございます。……こら、リーナもその顔やめなさい、煽っちゃダメですよ。皆さん、お騒がせしました」
周囲にもきちんと頭を下げると、人々の空気が和らいだ。
これ以上周りを困惑させたり通行の迷惑にならないように、ラッセルを促す。
「では、中に通して貰っても良いですか?」
「もちろんです。あなたであればいつでも歓迎ですし、そうでなくとも我らが神はあらゆるものを受け入れます。……入信もいつでも歓迎しますよ」
「流れるように勧誘が来るあたり、本当に変わりませんね……」
歳を取った様子はあっても、二十年前と変わらない対応をしてくれる友人に有り難さと懐かしさを感じつつ、私はリーナとともに彼の背中を追った。
◇◆◇
「……それにしても、本当に久しぶりですね、シア」
「ええ、二十年ぶりです。……改めて、あのときなにも言わずにいなくなってごめんなさい」
「ではこちらも改めて……構いません。むしろ最高の友であるあなたの悩みに寄り添えず、友としても神の信徒としても不甲斐ない限りです」
「いえ、そんな……ラッセルが不甲斐ないなんてこと、ありません。ただ、私が……その、勝手に落ち込んで、離れただけですから」
二十年前でも、きっとみんな私の悩みを聞いてくれた。
それを、話したくないと思って逃げたのは私なのだ。
彼は狼に似た、細く綺麗な目を笑みにして、こちらにカップを差し出してくる。
「どうぞ、あたたかいお茶です」
「あたたかいお茶、どうもです」
「ねえラッセル、お茶菓子は?」
「はいはい、すぐにお出ししますよ。まったくこの放蕩娘、怒られないと分かった途端に調子が良いんですから……」
ぶつぶつと言いつつも、ラッセルの顔は厳しくはなく、むしろどこか楽しそうに見える。
昔から衝突の多いふたりだけど、仲が悪いわけではない。ラッセルはリーナのことを案じているし、リーナもそれが分かっていて彼を振り回している。
端から見ていると、ふたりはやんちゃな妹と真面目な兄のような関係だ。せわしなく動く彼の尻尾が、ラッセルの上機嫌を表していた。
「どうぞ、お茶請けの教会パンと教会クッキーです。お土産屋でも買えますから、良ければ帰りにどうぞ」
「……ねえ、とりあえずなんでも教会ってつけてシンボルを焼き印すれば売れるって考えてない?」
「教会テナントや教会ポスターなどもありますが?」
「やっぱりそうじゃん……あ、でも美味しい」
「ん、本当ですね、美味しいです」
教会のシンボルが刻まれたクッキーは甘く、口溶けが良かった。
匂いだけで上等なものだと分かるお茶の、複雑な風味ともよく合う。バターと茶葉の香りがふわりと嗅覚へと抜け、満足度の高い余韻があった。
「パンもちゃんとふかふかだ……」
「当然です。食べ物は私が監修していますからね。……シアの料理のお陰で、舌が肥えていますから」
「野営料理ばかりで、あまり良いものを作った覚えはないんですが……」
「いえ。あなたの料理は最高です。できればまた、どこかで食べたいくらいですよ」
「ん……それでしたら、こういうのはどうでしょうか」
ザックの中にあるものを取り出して、机の上に置く。
食べ物を保存するために用意しておいた容器。リーナの魔法によって温度を低く保たれているそれを、彼の前で開けた。
「……これは?」
「マンドラゴラの皮のお漬物です。二日くらい漬かっているので、良い感じだと思いますよ」
「シア、移動中にそんなの作ってたの?」
「ええ、一工夫すれば食べられるものですから」
マンドラゴラの皮を水にさらして少しあく抜きをしてから水気を切り、塩をまぶして漬けておいた。
道中で出会った彼らがほどよく皮を厚剥きにしてくれたので、食べ応えのあるお漬物ができているだろう。
「……良いのですか?」
「もちろんです。簡単なものですが、ラッセルさえ良ければ食べてください」
「ボクも! ボクも食べる!」
「はいはい、リーナも食べていいですよ、たくさん作ってますからね。手で直接取って良いですよ」
ふたりが同時に漬物を取り、食べる。
細い狼の瞳が、にわかに大きく見開かれて、
「……美味しいですね」
「ふふ、良かったです」
「うわ、美味しっ。根っこの皮なのにすっごい美味しい!」
「小気味の良い歯ごたえに、塩気と甘さが良いですね。それにこれは……コカトリス、ですか?」
「あ、はい。風味づけに、コカトリスの骨から取ったお出汁を少しいれてあります」
リーナの言うようにこのお漬物はマンドラゴラは根っこの皮で、少し土の臭いがある。なので出汁を少しを利かせることで、臭み対策にした。
効果は充分にあったようで、嗅覚の鋭い獣人のラッセルも臭いを気にせず美味しいと思ってくれたようだ。
「……懐かしい」
「この料理は、いっしょにいたときに作ったことは無かったと思いますが」
「そうですね。ですが……あなたが作ってくれた料理というだけで、懐かしく、愛おしいものですから。また食べられて、本当に嬉しいですよ」
「そこまで言われると照れてしまいますが……気に入っているなら、もっと食べて良いですよ。ぜんぶ食べてしまっても、大丈夫です」
「そうですか……では二十年ぶりですから、遠慮無く。リーナ、私の分も残しておいてくださいよ」
「ごめんごめん。んでもさ、これ……こう、手が止まらない味してて……むぐ……」
「……ふふ」
仲良く私の料理に手を伸ばすふたりを眺めつつ、私はゆっくりとお茶をいただくのだった。