一晩を大聖堂で過ごした私たちは、朝から市場で買い出しを終えて、聖都をあとにすることにした。
出立のために街の出口へ向かうと、ラッセルが門の前で私たちを待ってくれていた。
「お見送り、来てくれたんですか?」
「当然です。せっかく旧友が二十年ぶりに逢いに来てくれたのですから、これくらいは。……リーナ、忘れ物はありませんか? 買い忘れとか、行き忘れとか。お土産の教会クッキーは持ちましたか?」
「ちゃんと準備してるよ、シアがいるんだから大丈夫。あと教会クッキーはいらないから」
リーナはちょっと嫌そうな顔をしながら、心配するラッセルの胸毛を抜いて、
「子供のお使いじゃないんだから、心配しすぎ。あんまりしつこいと毛ぇ抜くよ」
「もう抜いてるでしょうが……」
彼女はなぜか、ことあるごとにラッセルの毛を抜く。
そしてラッセルはそれについて溜め息を吐きつつも、咎めることはない。妹の悪癖に呆れている兄のような、落ち着いた対応だ。
かつての旅で何度も見た、いつものふたりのやりとり。ちなみに獣人は、毛を抜かれた程度ではぜんぜん痛くないらしい。
お互いがヒートアップする前に、私はラッセルに声をかける。
「王都まではそれなりの距離がありますから、準備はしっかりとしています。道中の食事も……私がいるんだから、大丈夫ですよ」
「もちろんシアのことは信頼していますが、こっちはね……リーナ、そろそろ抜きすぎです」
「あのね、言っておくけどボクだって二十年でいろいろ成長してるの。昔みたいに無計画にやってないよ」
「無計画に職場を飛び出したのに?」
「……それはそうだけど」
あまりにも彼の言葉が正論過ぎたのだろう。
リーナは素直に頷いて、ばつが悪そうな顔をした。
「ちゃんと王都に行ったら、みんなに謝って説明するよ」
「確かに、素直に謝るという道を選べるようになったあたりは二十年で成長しましたね。……今なぜ私の毛を抜いたのですか」
「なんか分かったような顔してて腹立ったから」
「雑な理由で抜きすぎでは……?」
リーナの精一杯の反抗に呆れつつも咎めはせず、ラッセルは大きく溜め息をこぼした。
「まあ良いでしょう。私もあとあと馬車で王都に向かいますので、今度は四人で同窓会といきましょう」
「ん、こっちは徒歩だし、ゆっくり追ってきていいよ」
「そのつもりです。不在にするならそのための準備や引き継ぎがありますからね。あなたのことは王や魔法学園の方には、私の方から手紙を出しておきましょう。無事でいると分かればひとまずはあちらも安心するでしょうから」
「はいはい、任せるよ。いこ、シア。これ以上いたらまた長いお説教が始まっちゃう」
「説教をするようなことをしなければ、説教は始まらないんですよ……?」
その通りだと思ったので、なにも突っ込まなかった。
リーナに背中を押されつつ、私はラッセルへ振り返って手を振る。
「ではラッセル。また、王都で」
「ええ、先についたらのんびりと観光でもして待っていてください。二十年であそこもかなり様変わりしましたから、歩くのも面白いでしょう」
「はい、それでは……また近いうちに」
「そうですね、今度はすぐに再会できそうで、今から楽しみですよ。……道中、お気をつけて」
ラッセルに見送られ、聖都をあとにする。
ゆっくりと門が閉まり、重たい音を立てるのを見届けてから、私たちは王都へと足を向ける。
「……ラッセルってボクとシアでだいぶ対応違うよね。ボクにだけ過保護っていうか、変に心配してくるもん」
「それだけ、ラッセルがリーナを可愛がっているということですよ」
「むー……嫌われてはないとは思ってるけどさ。ボクの方が年上なんだよ?」
「それを言い出すと、私たちはほとんどの生き物より年上になってしまいますよ……」
純血のエルフである私は、千年に届くほどの時間を生きている。
同じように魔女である彼女も、生まれてからもう数百年になるのだ。
とはいえ、生きる時間が長ければそれだけ精神年齢も高いかというとそうでもない。
ラッセルは五十年も生きていないけれど、私やリーナよりずっと落ち着いた考えを持っている。
純粋な年齢ではなく、精神的な成熟という意味では、彼は私たちよりずっと年上のようにすら感じられる存在だ。だからこそ頼りになるのだけど、リーナからするとちょっと過保護な兄や親のようにも思えるのだろう。
「さ、王都に向かいましょうか。買い物もできたし、急いでもいませんが……いつまでも足を止めるのも違いますからね」
「ん……そうだね。スタンにも会いたいし、行こっか」
促すと、リーナは私より先に街道を歩き出す。
元気のいい足取りに誘われるようにして、私は彼女の背中を追う。
……ふたりで旅をするべき、ですか。
揺れる銀色の髪を追いかけながら、私は昨夜言われたことを思い出した。
リーナにも大きな悩みがあるのだと、ラッセルは言っていた。
その悩みがなんなのかは、正直想像がつかなかった。今、私の目の前にいるリーナは明るく笑っていて、なにか思い詰めているようには見えない。
彼女の好意のこともどうすれば良いのか分からず、中途半端な気持ちのまま。
それでも、リーナは私といっしょにいてくれる。
「……向き合わないと、ですよね」
「? なにか言った、シア?」
「ああ、いえ。リーナといると楽しいな……と、思っただけです」
「えへへ、そっか。ボクも楽しいよ、シアといっしょにいるの!」
「……ありがとうございます」
まだ、答えはでない。
それでも、近いうちに示さなくてはいけない。
彼女の悩みに向き合うためにも、まずは彼女の気持ちに向き合うべきだということくらいは、千年近く生きてもまだ子供っぽい私でも分かっていた。