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☆過去編『いい、ですか?』

「……けほっ」


 炎の匂いに、むせる。

 周囲の草木が焼ける香りと、『目』に痛いほど強烈な魔力の波動は、濃厚な死の気配をまとっていた。

 危機感が冷たい汗として背中に流れるのを感じながら、私は弓矢を手に持って相手を見上げる。私と同じように彼女を見上げているふたりも、油断なく武器を構えて、


「参ったな……あいつちょっと強すぎないか?」

「ええ。数百年を生きる邪悪な魔女、というものが実際にはどんなものかと思いましたが……ここまでとは」


 炎、土、水、風、果ては爆破や天候の操作まで。

 あらゆる属性、あらゆる規模の魔法によって、もはや周囲の地形は完全に変わってしまっている。

 災害のような魔力の渦の中で、銀の髪が舞い、紫色の瞳が輝く。魔法による空中浮遊でこちらの遙か上空に立つ魔女が、私たちを睨み付ける。


「うっとうしいなあ、君たち。ここまでやって、まだ諦めないんだ」


 不愉快さを隠さない声とともに、ふたたび魔力が膨れ上がる。

 魔法の気配を感じ取った騎士が、盾とともに前に出て、


「くっ……!」


 凶暴な音がして、騎士の、ラッセルの足が地面へと沈みこむ。

 魔力を属性に変換せず、単純にぶつけるだけの攻撃ですら、獣人の強靱な体を抑えつけるだけの威力があった。


「ぐ、るるるるるぅっ!!」


 狼が唸る声と、快音。

 振り抜いた盾が、ひとまず防御が成功したことを示していた。


「はっ……さ、さすがにこれを続けられるとまずいですね」


 盾を持ったラッセルの腕が、力なく垂れ下がる。

 騎士の体力は限界が近く、勇者も空を飛ぶ魔女には剣が届かない。

 そうなると当然、メインのアタッカーは私の役目になる。


「…………」


 けれど私は、彼女に矢を向けることをためらっていた。

 仲間が、そして自分も危険にさらされている。

 相手の脅威が分かっていながら、彼女を撃つべきだという気持ちが湧いてこない。

 その理由は、魔女の表情にあった。


「っ……」


 彼女は忌々しげに、私たちを上空から見下ろしている。

 けれど、こちらを睨んだ瞳の奥からは、本来見えるはずのものが見えなかった。

 殺気や怒りではなく、どこか悲痛な、苦しげな視線が私たちへと向けられている。


「……よし。シア、ラッセル」

「は、はい?」

「なんですか、スタン?」

「いったん逃げちまおうぜ」


 あまりにも唐突な方針変更に、一瞬彼がなにを言っているのか理解できなかった。

 驚いている間に、彼は魔女へと手を振って、


「おーい、魔女! 俺たちちょっと逃げるから!」

「……もしかして、バカなの? それ言って素直に逃がして貰えると思ってる?」

「お、なんだお前、俺たちのこと殺したかったのか?」

「っ……」


 魔女の顔が歪み、魔力が乱れる。

 挑発にすら聞こえる彼の言葉に対して、魔女はなぜか、なにもしなかった。


「おっし、あいつの気が変わんねえうちに逃げるぞ!」

「く、よく分かりませんが……シア、行きますよ!」

「は、はいっ!」


 走り出したスタンとラッセルを、慌てて追いかける。

 背後から魔法は飛んでくることはなく、私たちは無事にその場から離脱することができた。

 魔女から十分に距離を取ったところでスタンは足を止めて、


「いやー……あれは今の俺たちに無理だな、うん」


 先ほどまで命の危機にあったことを感じさせないほど、スタンは気軽に笑う。

 ラッセルは大盾を地面に下ろすと、まだ緊張の抜けない顔で溜め息を吐いた。


「ふう……言いたいことは分かりますし、間違ってもいないと思いますが……それにしても、あっさりと逃げを決めましたね」

「だってあのまま戦っても勝つの無理っぽいし、なにか守らないといけないものがあったわけでもないし、それなら仲間と俺の命が最優先だろ?」

「ふむ……確かに。ですが魔女の討伐は、王家の意思でしょう。たまたまの遭遇とはいえ、見逃すわけにはいかないのでは?」

「そこなんだよなー……どうすっかね」


 ラッセルの言う通り、魔女の討伐は王家からの勅命だ。

 正確には先代の王が命じたものだけど、その命令は今も果たされていない。

 撤回されていない以上、王家が代替わりしても魔女は国家の、そして世界の敵であり、討伐の対象だ。

 そんな相手と私たちは偶然にも出会ってしまい、そのまま戦闘になった。


「……なあ、シアはどう思う?」

「え、あ、ええと……そうですね、スタンの言うように、今の私たちで討伐するのはかなり厳しいのではないかと」


 私たちはまだ、旅をはじめてそれほど時間が経っていない。

 連携は完璧とは言えないし、未熟な部分も多くある。

 千年近くの時間を生きている私も、その千年を戦闘に費やしてきたわけではないので達人とは言いがたい。

 対して相手は数百年の間、世界中の人々から恐れられ、『災厄』と呼ばれるに至った魔女。


 実際に対峙した感想としては、現時点の私たちでは勝つ糸口が見つからないというのが正直なところだった。

 飛んでいるだけの相手なのだから弓を当てることは不可能ではないけれど、迷いのある今の私の心では正確な射撃はできない。そして仮に弓を射れたとしても、相手の魔法による攻撃と防御が分厚すぎる。

 私では攻撃力不足だし、スタンとラッセルでは射程不足だ。そしてそれを解決するアイデアは、誰からも出てこない。


「いや、そうじゃなくてさ。……なんかシア、やりづらそうだったから、思うところあるんじゃねえかなって」

「えっ……」

「俺もちょっと引っかかってるんだよな。あいつはどう考えても今の俺たちじゃ倒せないくらい強い。なのに……なんで俺ら、まだ生きてんだ?」

「あ……」


 魔女と私たちの現時点での実力差は、圧倒的だ。

 天候を、地形を変えるほどの魔法を連発して、魔力切れどころか息切れすらしない魔女。

 そんな彼女なら、その気になれば私たちを殺すのなんて難しくはない。だというのに、私たちはこうして生きている。


「……確かに、あそこまででたらめな魔法を使えるなら、もっと確実な手段があるでしょうね。地面ごと沈めたり、避けられない規模の魔法で圧殺されれば、私の盾も紙切れほどの役割も果たせないでしょう」

「だろ? でもあいつ、そこまではしてこねえし。そもそも今も、逃げる俺たちを後ろから撃ったりしてこなかったんだよ。だから、なんか殺したくない理由があるんじゃねえかって思うんだよなあ」

「あ……」


 スタンの言葉で、彼女の瞳の奥にあった感情の正体を理解した。

 悲痛さすら感じるあの視線の正体は、悲しみと恐怖。

 戦いを望まず、しかし傷つけられることを恐れている目なのだと。


 彼女は、私たちのことを怖がっていたのだ。


「……あ、あの」

「ん、どうした?」

「その……あの子と、話をしてみたいのですけど、いい、ですか?」

「お、いいぞ。じゃあもっかいあいつのとこ行くか。いいよな、ラッセル」

「もちろんです。ただ、もう少し休ませてくださいね、まだ手が痺れていますから」

「へっ……」


 まだなにも説明していないのに、スタンとラッセルはあっさりと了承する。

 あまりにも軽く受け入れられてしまったことで、提案した私の方が面食らってしまった。


「ちょ、ちょっと待ってくださいふたりとも、それだけ、ですか?」

「んぉ? ……なんか問題あったか?」

「作戦が必要とか、ですか? でしたら、スタンにも分かるように説明してあげてくださいね」

「お前それはちょっとすごく失礼だろ……確かに俺、難しいこと言われてもわかんねえけどさ」

「い、いえ、そうではなくて……理由とか、聞かないんです、か……?」


 私の質問に、ふたりは少しだけ顔を見合わせて、


「シアになんか思うところがあるんなら、理由はそれで充分だろ、なあ?」

「ええ。シアがそうしたいというのでしたら、断ることはありませんね。幸い向こうも本気でこちらを殺す気はないようですから、会話くらいは可能でしょう」

「でも……か、確証はないんですよ? もし、私が考えていることが間違っていたら……」

「俺たちの中で一番目が良いのがシアだろ。そのお前がなにかに気づいて、それを確かめたいっていうなら、俺たちは断らねえよ」

「その通りです。なにより、あなたがなんの理由もなく危険な道を提案しないということくらいはもう分かっています。ですからなにかあれば、必ず助けになりますよ。もしもあなたの見立てが間違いだったときも、です」

「あ……」


 呪いだと思っていた、私の目。

 同族たちからは出来損ないだと言われ、私自身も忌み嫌っているこの目で見たものを、ふたりは信頼してくれている。

 まだ出会ってそう長い時間を過ごしたわけでもない私のために、危ないことでも応じてくれる。

 彼らが手放しに信じてくれていることに、むず痒さのようなものを胸の奥に感じて。

 気がつけば、私は己の考えを自然と口にしていた。


「あくまで私が見る限りなんですが……私にはあの子が、魔王と同じように世界の敵だと言われるほどの悪人には、見えないんです。むしろ……その、大人を怖がっている子供みたいに見えます」

「それは……うまく説得できる、ということですか?」

「そこまでは、分かりません。でも……私はあの子に、武器を向けたくないと思っています」


 私が見たとおり、本当は彼女が戦うことを恐れ、怖がっているのなら。

 かつての王が下した『魔女は魔王と同じく世界の敵である』という判断は、間違っているのかもしれない。


「良いんじゃね? そもそも戦っても勝つの無理そうだし、話し合いで収まるならそれが一番だろ」

「そうですね。我が神も常に言っておられます。……殴るのは最後の手段で、キレるまでは話し合いだと」

「手段としては認められてるんだな、殴るの……」

「……ありがとうございます、ふたりとも」


 確証はない、自信もない。

 それでも、ふたりは私のやりたいことを否定せず、私の目を信じてくれる。

 だったらもう少し、私自身も私が見たものを信じてもいいのではないかと思った。


「……行きましょう。あの子と、今度は戦いにではなく、話をしに」


 彼女が本当に私が思っているとおりの相手なら、きっと戦わなくても良いはずだ。

 なにより、曲がりなりにも私たちは世界を救おうとしている。

 目の前で苦しんでいる人ひとりを救えないのに、世界なんて救えるわけがない。


 ふたりから勇気と自信をほんの少しずつ借りて、私は前へと踏み出した。


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