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☆凄く、綺麗です

「……ふぅ」


 いっそ、全部水に浸かってしまえば恥ずかしくない。

 海に入って数分後、私がたどり着いた結論はそこだった。

 身長差があるリーナといっしょに入っているので、それほど離れるわけにはいかないけれど、胸くらいまで浸かればだいぶ羞恥心は薄れる。

 透明度の高い海とはいえ、波はつねに動いて光を反射しており、私の身体を上手に隠してくれていた。


「結構涼しくて、良い感じだね」

「そうですね、身体が冷えて気持ちいいです。海水ですからあとで水浴びはしないといけませんが……楽しいですね」


 恥ずかしさが気にならなくなれば、水の温度は心地よくて楽しいものだ。

 なにも危険がなく、リーナが側にいるということもあって、気持ちが緩んでいく。


「……改めて考えると、海に入るのも久しぶりですね」

「ボクもずっと王都に引きこもってたから久しぶりかな、旅の途中で一回船が沈んで全員投げ出されたけど、あれ以来かも」

「あのときはリーナが魔法で全員を保護してくれたので、なんとかなりましたね……」


 魔王が存在していた頃、海はとても危険な土地で、なんの備えもなく船を出せばすぐに魔物に襲われてしまうほどだった。

 それでも事情があって海を渡らねばならず、私たちは一度船を使って移動を試みた。

 結果として当然のように魔物の襲撃に遭って船は大破。リーナがいなければ、そこで全員海の藻屑となっていただろう。


「……久しぶりに、使ってみようか」

「え……」

「ちょっと難しい魔法だから、少しだけ集中して……ほいっ!」


 集中すると言いつつ、かけ声ひとつで魔法は発動した。

 私の身体の周りに、目に見えない膜のようなものが張り巡らされた感覚がある。

 もう一枚服を着ているというよりは、粘り気のある空気が周りにあるような、不思議な感じだ。


「……相変わらず、杖が手元になくても魔法が使えるんですね」

「やっぱり杖があった方が集中はしやすいけどね」


 リーナは、杖がなくても魔法を使うことができる。

 というより、元から魔法に杖は必要ないらしい。

 魔法が使えない私は詳しくは知らないし、感覚も分からないけれど、魔法使いが杖を使うのはあくまで集中を補助し、魔法の成功率をあげたり、魔力の消費を抑えるためというのが大きい。そのための魔法を、杖自体にかけてあるからだ。

 しかし簡単なものであれば補助はなくてもできるし、消費が多くても問題なければ使うことはできるらしい。

 そしてリーナにとってそれは、ほぼすべての魔法がそうだ。膨大な魔力を持つ彼女は杖の補助などなくとも魔法を唱えられるし、消費の多さを気にする必要もほとんどない。


「これで水中で呼吸ができるし、海の底も歩けるよ。あと、視界もいつも通りに近いと思う。……せっかくだし、海の底もいっしょに歩こうよ。海中お散歩デートってことでさ」

「っ……」


 デート、という言葉を気軽に使われて、忘れかけていた恥ずかしさが戻ってきた。

 彼女に好き、と伝えられて以来、簡単なことで慌ててしまう自分がいる。

 言葉につまった私の手を、リーナは軽い調子で握ってきて、


「ほら、行こ?」

「あ、ぁっ……は、はひっ」


 私が慌てている間にも、リーナは私の手を引いて水平線の方角へ。

 足下が下がっていき、当然身体はどんどん水へと沈んでいく。

 顔面が浸かる瞬間少しだけ恐怖があったけれど、海中の景色が見えた瞬間にそれは消えた。

 塩水が鼻の奥や目に刺さるような痛みはなく、呼吸もできる。リーナの魔法のお陰で、保護されているからだ。

 重力の薄い水中で、リーナの銀色の髪が踊り、紫色の目が笑顔になる。

 水着が似合っていることもあって、海の妖精みたいで、可愛いと思ってしまった。

 どき、と心音が跳ねる感覚がして、気がつけば私は彼女に誘われるままに海の底を歩いていた。


「おー……良い景色だね。あ、ちゃんと声聞こえてる?」

「はっ……そ、そうですねっ、良い景色です! 声も聞こえてますよ!」

「ん、良かった。久しぶりに使った魔法だけど、うまくいってるね」


 まさか『リーナに見惚れていました』なんて言えるはずもなく、私は慌てて周りを見渡した。


「……わ」


 素潜りや、ゴーグルを着用して見るのとは、違う景色だった。

 魔法のお陰で海水が目に染みることなく、そのまま見る海中の世界は透き通っていて、美しい。

 遠くに見える魚たちの影に、海藻の揺らめき。自分たちが歩く度に舞う海底の砂礫が、海中を通した太陽の光を反射してきらきらとまたたいていた。


「船が沈んだときはじっくり見る余裕なんてなかったけど、海の中ってこんなに綺麗なんだね」

「ん……そう、ですね。凄く、綺麗です」


 しみじみとしたリーナの声に、今度は心から同意する。

 くぐもった水の静かな気配の中、そこにいる生き物たちが踊っているのが見える。

 地上とは違う営みの景色は、彼女の魔法があったからこそ見えたもので。

 千年を生きる私でも初めて見た、新鮮な光景だった。

 胸の奥があたたかいのはきっと、新しく素敵な想い出ができたから。

 かつての旅にも負けないくらいの、きっと一生忘れられないような想い出が、私の中に新しく生まれたからだ。


「よっ」


 軽い言葉とともに、リーナが飛び上がる。

 陸地ではなく、周囲には水のある空間。魔法の効果もあってか、ジャンプは高く、そしてゆるやかだった。

 遊泳と跳躍の中間のような動き。くるりと身を躍らせ、リーナは水の流れの中を遊ぶ。

 銀色の髪とフリルが揺れる姿はとても愛らしくて、綺麗だとも思った。


「あは、楽しいっ……ほら、シアもおいでよ」

「んっ……」


 呼ばれるがままに跳ぶと、思った以上に高かった。

 既に陸からはそれなりに離れており、海の底は深い。自分の身長の二倍ほどの高さまで飛び上がっても、水面までは遙か遠い。

 高くなった視界の中で身体を動かすと、先ほどまで見ていた美しい景色が違った視点で見える。その中で、こちらに手を振るリーナのことも。

 水の中を蹴ると、泳ぐよりは少し早く、落ちるよりはゆっくりとした挙動で彼女の側へ。


「…………」

「……リーナ?」

「シア、綺麗……」

「へっ……」


 見惚れていたのは、彼女も同じだったみたいだった。

 見られていたことを自覚した瞬間、自分がしている格好のことまで思い出してしまい、忘れていた羞恥心が一気に戻ってきて。


「っ……お、おばあちゃんをからかわないでくださいっ」


 照れ隠しで上ずった声が、水の中に吸い込まれていった。


「からかってはいないんだけど……ごめんね、つい」

「う……いえ、リーナが謝ることではないんです、ないんですが……」


 露出があることも相まって、いつもより褒められると恥ずかしく思えてしまう。

 なにより、彼女が言った私に対する『好き』という言葉の重みが、どうにも私の中で日に日に増している。

 そのせいで余計に意識してしまって、リーナに見つめられるのがくすぐったい。

 前みたいに、余裕を持って流せない。年上の威厳はどこへやら、だ。


「……ちょっと、泳いできますね」


 これ以上顔を見られたくないと思ったので、私はリーナに背を向ける。

 彼女の魔法を通しても水の温度は心地よい冷たさで、火照った頬を少しだけ涼しくしてくれた。

 彼女の気持ちに向き合うと決めたものの、すぐには難しい。

 改めて、私は千年生きても成長しない自分の意志の弱さを痛感するのだった。

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