「お肉、たくさん分けて貰えて良かったね」
「ええ。王都にもあと数日でつくでしょうし、ひとまずゴールが見えてきましたね」
サメの魔物は、この海岸沿いの旅でもっとも大きな獲物になった。
何隻もの舟を沈め、村人たちの命を奪ったという魔物を狩ったことはあの村にとっては大きな吉事で、私たちは大いに感謝されて村をあとにした。
もちろん感謝の印としてたくさんのお魚や、サメ肉を貰って。
「それにしても……海ってやっぱり広いんだね、シアが知らない魔物もいるんだ」
「それなりには長生きしてますが、私もなんでも知っているわけじゃないですからね。リーナのような魔法使いの手を借りなければ、水中では呼吸すらままなりませんから……海は私もまだまだ未知の領域ですよ」
そもそも、過去に歩いた道すら数百年も立てば様相が変わり、生態系すら変わっていることもある。
いくら私が長生きといっても、世界中のすべての生き物や事象を把握するのは不可能だ。
先日リーナといっしょに見た海の景色だって、あんなにはっきりと見たのははじめてだったのだし。
「とはいえ、興味はありますね。また今度、じっくりと見て回りましょうか。リーナがいれば、海底探索までできるわけですから」
「うん、そのときは任せて。ところで……今日は魚? それとも、このサメっぽい魔物?」
「せっかくですから、魔物の方を食べてみましょうか。私も食べたことがないので、味が気になるところですし……身質もサメと同じだとしたら、悪くなるのが早いはずですから」
サメの肉は臭みが出やすいので、保存にはあまり適さない。
リーナの魔法によって低温下にすることである程度の品質は保てるけれど、早めに消費した方が良いだろう。
見たことのない魔物とはいえ、見た目がサメだったということは、肉質も同じ可能性は大いにある。
「ん、分かった。それじゃ、火の用意するね」
既に焚き火の準備はできていて、あとは種火を放り込むだけだ。
リーナが杖を振ると、いつも通りに枯れ枝に火が灯り、ゆっくりと広がっていく。
明るい光とぬくもりが、夕の潮風が持つ冷たさをじんわりと和らげていくのを感じる。
「あったかいねえ」
「日が落ちると海際は冷えますからね……さて、調理をはじめましょうか」
炎のあたたかさで少し身体をほぐしてから、私はお鍋を焚き火へ吊す。
使う道具は木の枝を削ったいつものお手製ではなく、聖都で購入した三脚式の吊るし台だ。
「リーナの魔法のお陰で荷物を増やせるので、こういうところも助かりますね……」
「そうなの?」
「毎回ちょうど良い長さの棒を見つけてバランス考えて削るの、地味に手間なんですよ」
焚き火台なども買えたので、料理の幅はかなり広がっている。
しっかりとしたキッチンほどではないけれど、それなりのものが作れる環境だ。
「では、分けて貰った魔物のお肉、出して貰えますか?」
「わかった。はい、どうぞ」
「ありがとうございます。それでは……今日は、揚げ物にしてみましょうか」
「揚げ物!? やった、揚げ物大好き!」
編み込んだ髪が揺れるほど、リーナの背筋がぴんと伸びた。
既に口の端から垂れはじめたよだれを、私はハンカチで拭ってあげて、
「今日のあの魔物が思っている通りの味なら、揚げ物は良い感じだと思います。それに……お肉以外にも良いものを貰っていますからね」
「良いものって……内臓?」
「ええ、正確には肝臓を貰ってきました。これから油を抽出すれば、充分な量の揚げ油が取れるはずです」
サメの肝臓は、ほとんどが油でできている。
軽く鍋で煮込むだけで、大量の油が取れるほどだ。
捌いたときに触ってみた感覚からして、同じようにできるだろう。
「胆嚢(たんのう)が入ると苦いのでそれっぽいのは取って……鍋に入れてみますね」
あたたまり始めたお鍋に下処理をほどこした肝臓を入れると、すぐに油がにじみ出て、ぶくぶくと泡立ちはじめる。
思った通りの成果に満足しつつ、私は吊るし台の高さを調節して火加減を弱くした。
「おおぅ……ほんとにものっすごい油出るね」
「魔物とはいえ、基本はサメなのは間違いないみたいですね。サメとかエイは、肝臓にかなりの油を蓄えているんですよ」
「へー、そうなんだ……どうして?」
「サメやエイには他の魚のように浮き袋がないので、海で生活する浮力を得るため……だと、どこかで聞いたことがありますね」
私は学者ではないので、あくまでこの知識は受け売りだ。
雑学を披露しているうちに、鍋の中が油で満たされてくる。
ある程度油が搾れたところで、おたまで肝臓と灰汁(あく)をすくい上げた。
「それでは、油はこれでいいとして……身の準備をしますね」
卵と小麦粉、そして村で貰った堅めのパンをすりおろしてパン粉に。
食べやすい大きさに切ったサメの身に塩とスパイスで軽く味をつけてから、フライとして整えていく。
小麦粉をまぶし、溶き卵にくぐらせ、パン粉でドレスアップ。
「さすがシア、手際良いね」
「っ……ありがとうございます。油は……ええと、適温ですね」
褒め言葉が飛んできて、ちょっとだけ照れてしまった。
リーナから『好き』という言葉を貰ってしまっているせいだろう、ふとしたことで、ついつい意識してしまう。
熱した油は安全なものではないのでうっかり失敗しないように、少しだけ呼吸を深くして気持ちを落ち着けてから、私はサメフライを鍋へと沈める。
一気にたくさんいれると油の温度が急激に下がってしまうので、ひとつずつ、様子を見ながらだ。
じゅわ、と小気味の良い音とともに、衣が色づいていく。
空腹を刺激する香りが周りに広がって、リーナが目を輝かせた。
「……こんなものですね」
「え、もう出来るの?」
「お肉もそんなに分厚く切っていませんし、適切な温度でやればそんなに時間はかかりませんよ。まあ、低温で揚げるやり方もありますが……焚き火では火加減が難しいので、基本のさっと揚げるやり方のほうが簡単です」
揚げ時間は感覚だけど、これでも一応千年くらい生きてそれなりに自炊しているのだ。生焼けにならない程度の加減はなんとなく分かっている。
先に入れたものから順番に、黄金色に輝くフライを引き上げ、軽く油を切る。
湯気が立っているうちにお皿に盛り付け、野菜も添えれば、
「完成、サメっぽい魔物のフライです」
「……すっごい美味しそう」
「そうですね、すっごい美味しいかどうかを今から確かめてみましょう。あ、一応臭みがあったときのために、レモンもありますからね」
見たかぎり、そして触った感覚ではサメの肉と大差なく、臭いもなかった。
けれど実際にどんな味かは食べてみるまで分からない。魔物という、魔力によって原種から変質した生き物である以上は、味や臭いに違いがあるということは大いにあり得る。
誤魔化し用のレモンを側に置いて、私は両手を合わせる。いつも通り、リーナも私と同じように手を合わせた。
「いただきますっ……」
「いただきます。まだ熱いですから、火傷しないように食べてくださいね」
「うんっ。ふー、ふーっ……」
待ちきれない、という感じで、リーナが揚げたてのフライに息を吹きかける。
「はぐっ……あふっ……ん、おいしいっ!」
「どれどれ……ふぅー……はむっ……」
軽く冷まして、火傷しないように小さく囓る。
適切な温度での揚げたて。熱いと思うほど肉汁が溢れて、口の中を旨味で満たしてくれた。
新鮮なためだろう、ほんのりとクセのようなものがあるけど、スパイスの刺激があれば臭みには感じない程度だった。
淡泊だけど旨味は強く、フライで調理したことで油分が足されているのが良い感じに働いている。
「はふ、んっ……レモンなくてもぜんぜんいけるね!」
「かけるとさっぱりしますから、好みでかけても良いくらいの感じですね。半分だけかけてみましょうか」
「うん。ふぁぁ、あったかいし揚げたてでざくざくだし、すごい美味しい……」
「リーナ、揚げ物好きですよね……」
「そうだね、なんか……食べてるって感じがするから好きかな。でも、シアの料理ならボクはなんだって好きだよ、なんでも美味しいから!」
「それは……嬉しい褒め言葉ですね」
ご飯を食べるよりさきに、お腹いっぱいになってしまいそうだ。
幸せそうに食べる彼女を見ていると、それだけで嬉しくなって、あたたかくなる。
リーナの笑顔を見ながら、火傷しない程度にまで冷えたフライを口にする。
一口目よりもずっと美味しく感じたのは、きっと気のせいではないのだろう。
「……リーナ。たくさん食べて良いですからね」
「それはもちろんだけど……でも、シアもちゃんと食べてね。すっごく美味しいよ、この魔物。また見つけたら捕まえようね」
「そうですね、味も分かりましたし、今度は煮付けにでもしましょうか。見つかれば、ですが」
とりとめの無いことを話しながら、少しずつお皿の上から料理が消えていく。
楽しい食事の時間を、私はリーナとゆるやかに過ごすのだった。