久しぶりに学園に戻るころには、日が傾きはじめていた。
既に授業は終わっていて、生徒たちは寮に戻っている時間帯だ。
外から見た学園はいつも通りで、そんなに問題が起きているようには見えない。
実際、なにも起きていないだろう。元からいずれ離れるつもりで準備していたし、実際にここ数年はほとんど椅子に座っているだけで終わる一日が多かった。
既に、ここを運営するにあたってボクの存在は必要ない。
そうなるように、二十年かけて人材や環境を揃えてきていたのだから。
つまるところ、ボクがいないとダメだと騒いでいるのは――
「――まあ、想像はついてるけどさ」
心当たりは大いにある。
学園の教師や生徒たちからは、それなりに慕われている自信はあるからだ。
はじまりは王様に頼まれて仕方なくだったとはいえ、学園長の役割は真剣にやってきたつもりだ。
その結果として惜しまれているというのなら、そんなに悪い気分じゃない。
ただ、もっとやりたいことがボクにあるというだけのことで。
「これが、魔法学園……大きい、ですね」
「国中から魔法の才能がある子を集めて、全寮制にしてるからね。まあ王都に住んでる子は自宅から通えるけど、そうじゃない子の方が基本多いから」
「なるほど……確かに、そう考えるとこの広さも納得ですね」
「魔法の暴走被害とかを考えて設備もきちんとしなきゃだったから、ここを建てるためだけに、王都の壁を一度壊して街自体を拡張したくらいだからね」
「そこまでしたんですか……」
シアは学園を見上げて、かなり驚いた顔をしている。
実際、この辺りでは王城の次に高い。さらに学生の生活を考えて、敷地面積はなんと王の住まいである城を越えている。
それだけ王様が魔法というものを重要視していたのだろうし、実際魔法を教える機関ができたことで国全体にもの凄く恩恵があった。
国防のための魔法使い部隊の練度も昔より遙かに良くなったし、卒業生たちが仕事に魔法を活かすことでいろいろなところでの生産性があがったのだ。
才能による差はあっても、それを努力やアイデアである程度埋められる環境になったことで、魔法という存在が生活に身近な存在になってきている。
今はまだ都会でしか恩恵を感じづらいけれど、いずれはもっと広く、魔法が普及していくはずだ。そのうち大きな都市には支部だって建つだろう。
「興味があるなら細かく案内するけど……まずは学園長室に行こっか。守衛さんに連絡を頼んでるから、そこで教頭に引き継ぎを話すよ。寝具とか私物もどうにかしないといけないしね」
「寝具って……リーナ、寝泊まりもここでしていたんですか?」
「うん、学園にそのまま住んでたよ。元々、学園長っていうのは王様に頼まれたことでいつかは離れるつもりだったから、決まった家があってもなっていうのと……そもそも、家から通勤するっていうのが面倒だったから」
「あなたらしいですね……」
家であり職場でもあったので、学園長室であるボクの私室には寝具や着替え、本などの物がそれなりに置いてある。
辞める以上はきちんとそのへんも片付けていかないといけないだろう。持って行けるなら持って行き、いらないなら処分か必要な人にあげてしまえばいい。
放課後になっているために学生の姿の見えない敷地内を歩き、学園長室へ向かう。シアは興味深そうにあちこちきょろきょろしながら、ボクに着いてきた。
引き継ぎや説明のことを考えるとやや足が重いけれど、さすがになにもかも投げっぱなしというわけにもいかないので、自室兼仕事場の前に到着するころには諦めがついた。
「はあ……ただいま、っと」
一呼吸して、やる気を出してから扉を開ける。
長く居着いたことですっかり定着した、いわゆる『自分』の匂いがして、少しだけ安堵する。
普段から鍵もかけておらず、ボクの方が呼んだので、当然教頭がそこにいた。
成長の止まっているボクよりもずっと背の高い教頭は、こちらを見るとすぐに駆け寄ってきて、
「がくえんちょぉおおおうっ!!!!」
「わぷっ!?」
目の前で止まるかと思ったら、思いっきり抱きしめられた。
というか、抱きしめるどころか、抱き潰すくらいの勢いだった。
いきなりで予想していなかったので回避できず、ボクはそのまま彼女の胸に埋められる形になる。
「お待ちしていました! やっと戻ってきてくれたんですね!?」
「むぐ、ぐっ……ぐぇ、うぎゅ、うぅっ!!」
歓迎は嬉しいのだけど、このままだと酸素がなくなる。
相手を思いっきり押し返して距離を取り、新鮮な空気を吸い込んだ。
「ぷはっ、はぁ……気持ちは嬉しいんだけど、ちょっと離してくれるかな」
「は、すみませんっ……」
素直に距離を取ってくれたので、苦しさからは解放された。
元々教頭はちょっとボクに懐きすぎなところはあったけど、まさか数十日離れただけで思いっきり抱きついてくるとは思わなかった。
いつもの几帳面な性格の通り、放課後でもスーツをきっちりと着こなした頭ひとつ分以上大きい相手を見上げて、ボクは口を開く。
「えーと……勝手にいなくなってごめんね。でも、ボクがいなくても困らないようには普段からしてあったはずだし、問題なかったでしょ?」
「そんなことありません! 問題しかありませんよ!!」
「え、ほんとに?」
運営にしろ、教育にしろ、ボクがいなくても滞りなく動くようにはしておいたつもりだ。
設立当時はいろいろあったし大変なことも多かったけど、ここ数年は教壇に立つことも年に数回だし、承認のはんこを押すくらいしかすることはなくなっていたはずだけど。
「本当です。だって学園長がいないんですよ? 世界最高の魔法使いにして、ただひとりの魔女であるリーナ学園長がいないだけで、学園、いえ、国全体の損失です!!」
「……だからそれに頼りすぎなくても良いように、前々からしてあったはずなんだけど」
「いえいえいえ、学園長がいてくれないと困ります。もちろん数日学園をあけるのは構いませんが、せめて連絡はしてください」
「んんん……」
それ、安心できる置物感覚じゃない?
切り出しづらい空気を感じつつも、退く気はないので相手にまっすぐ言葉を向ける。
「そのことなんだけど……ボク、学園長辞めようと思うんだよね」
「は……?」
「何回もした話だけど、今度は本気の本気。いくら止められても折れるつもりはないし、今回は王様にも許可は貰ってるよ」
この数年、何度かこの話を切り出しては周りの教師たちや王様に止められていた。
特に王様の言うことは、命令ではなかったにせよやっぱり影響力があって、ボクも動けないでいた。
だけど今回、ボクは彼にきちんと自分の考えを伝えて、認められている。
そうする前に自分の限界が来て、黙っていなくなったことは申し訳ないとは思っているけれど、自分の気持ちはもう決まっているのだ。
「待ってください、学園長がいないと、学園や国はっ……」
「学園についてボクの出せる意見はこの二十年で充分出したつもりだし、魔物除けの大結界も改良を重ねてるから今じゃ魔力を補充するのに年に数回、数人の魔法使いがいれば大丈夫でしょ? 壊れたときの復旧やメンテまで、きちんとマニュアル作ってあるし、関係者はみんな構造を把握してる」
「それは……」
「これからの運営もボクが動かなくても問題がおきないように整えてるし、教育だってこの二十年で優秀な卒業生たちが教師をしてくれるようになってる。もちろん、キミのことも信頼できる子だって思ってるよ。……あとを任せられるくらいにはね」
教頭を任せている彼女は、元々は学園の卒業生だ。
というより、今の学園の教師はほとんどがここの卒業生。
もともとこの世界には魔法を教える環境など整っていなかったので、初期の授業はすべてボクが教えていた。
あの頃はボク自身も手探りだったけど、生徒たちはみんな優秀で、今はそれぞれがいろんな分野で活躍してくれている。
彼女も含めた教師たちは全員、ボクが直接育てた愛弟子たちともいえる存在だ。充分に信頼できて、もうすべてを任せられる。
きっと足りていないのは、たったひとつ。師匠離れをするという、覚悟だけ。
そしてボク自身も、引き留められることを言い訳にして、弟子離れをするという覚悟ができていなかった。
シアのことも自分のことも、そうやって足踏みしてきた結果が今なのだ。引き留められたことを理由に、動かないことを選んだのはボクなのだから。
「今のキミたちになら、これから来る子たちのことも導けると思ってる。そもそも、同じ人がいつまでもトップに座ってるのも良くないって思うからね。……いい加減、きちんと交代するときだよ」
「……どうしても、ですか?」
「うん、どうしても。……なにより、ボクだってやりたいことがあるから」
確かにボクもシアも、とんでもなく長生きができる命だ。
王様たちが望むなら、彼らの命が終わるまで、あるいはそれから先もこの国を見守っていくことはできる。
だけどそれで『いつでも良いか』なんて思っていたら、この先ボクの想いに決着がつくのに何百年かかるか分からない。
ましてやすでに二十年分も、後悔しているのだから。
「…………分かりました」
「ん、ありがとう。我が儘いってゴメンね」
「いえ、いえ。……本当は私も、私たちも、いつかこうするべきだと思っていました。学園長の心の中に、ずっと大事なひとがいることは分かっていたのに、甘えてしまっていましたから」
教頭の表情は落ち着いていて、さっきまでの慌てた様子はない。
多少騒がしいところはあるけれど、彼女は優秀だ。ボクがいなくたってやっていける。
ひとりではどうしようもできないことは助け合って解決できるような環境にもしているのだから、大丈夫だろう。
かつてボクがそうして貰ったように、困ったら友人を頼れば良い。
「……まあ、二度と帰ってこないわけじゃないから。王都に戻ったらまた様子を見に来るし、話だって聞くよ」
「分かりました」
ボクの言葉に頷くと、彼女は今度はシアの方へと顔を向ける。
話が終わるまで静かに待ってくれていたシアは、自分に視線が向いたことに気がついて、一歩前へと出た。
「シア様、お会いするのは初めてですね。魔法学園教頭をしています、ヒストリエといいます」
「あ、はい。はじめまして。すみません、ご挨拶が遅れて」
「いえ、大丈夫です。お噂はかねがね聞いて……というより、学園長は仕事以外で口を開くと八割はシア様の話でしたから、かなり聞いています」
「そ、そんなに私の話ばっかりしてたんですか……?」
「……ごめん、あんまり否定できないかも」
八割が正確な割合かは分からないけど、だいたいシアのことを話していた気がする。
「ええ、本当に。そうでなくても、だいたい日に数回はシア様に会いたいとひとりごとを呟いていましたので」
「うっそ、そんなに!?」
「ええ、無意識なので誰も突っ込みませんでしたが、そんなにです。私たち教師どころか、生徒の間でさえ有名です」
自分でも気づいていなかった。
たまに零してた自覚はあるけど、まさか毎日言ってるとは思わなかった。
「ですから……ええ、それを知っていながら、ずっとこの方の存在に甘えて、引き止め続けてしまいました。シア様、すみません」
「あ、いえいえ、全然謝られることでは無いというか……それを言うなら私、そういうのに全く気づかず二十年も連絡無しだったので……今思うとだいぶ酷いというか……こちらこそ大変申し訳ありません……」
「いえいえいえいえ、リーナ様の一方的な片想いですから、シア様が気になさることでは……」
「あの、ふたりともボクの前でボクの話で盛り上がるのやめない? あとヒストリエ、事実でも傷つくことはあるからね?」
片想いだったことは認めるけど、他人に堂々と言われると結構つらいよ?
「大丈夫です、私たちは学園長を信じています。ここが式場として機能するように準備はしておきますから、頑張ってください。へたれ卒業チャンスですよ」
「なんでみんな式場を空けようとするかな……まだ早い、いや分かんないからね!? あと事実で傷つけるのやめよう!?」
二十年間踏み出さなかったのでそう言われても仕方が無いことくらいは分かってるけど、さすがに部下に堂々と言われると傷つくからね?