「リーナ……その話は……」
「心配しなくても、人払いや音漏れ防止の魔法はきちんとかけてるよ」
「……分かっています。それは、私の目でも視えていますから」
魔法は使えないけれど、シアの瞳は魔力の流れを視覚的に捉えることができる。
炎や水のような分かりやすい魔法でなくても、彼女には見えているのだ。
今、ボクが言ったことは、王様ですら知らないこと。
ボクたちだけが知って、心の奥底へとしまっておくと決めたことだ。
「……魔王はずっと、魔物の王だった。だって意思疎通が困難な魔物っていう生き物をまとめて、国をつくって、魔物の品種改良のようなことまでしてた」
「ええ、自力で土から抜け出してくるマンドラゴラや、恐怖を克服してひとに襲いかかるコカトリス、頭がみっつのサメ……いろいろといましたね」
「元から一定の知能があったゴブリンやオークは、軍勢として武装して……魔王の国では、生活まで営んでいたよね」
「……そうですね。それも独自の貨幣や、畜産、農業まで行っていました」
「魔物は、『魔法を扱う能力はあるけどヒトよりも社会性や知能が低い生き物』っていう意味だけど……魔王が束ねていた魔物は、そうじゃなかった」
だからこそ、魔王は世界の脅威だった。
魔王は、『あの子』は意思疎通が不可能なはずの魔物たちを集め、魔物の王として、人間や獣人、エルフやドワーフの住む地を滅ぼし、そこに魔物の国を築いた。
統率されていないからこそ対処ができた魔物という生き物が徒党を組み、時には種族の特性すらも克服して、ひとを襲ってきたのだ。空は焼かれ、海は蹂躙され、大地は踏み荒らされた。
どの国の伝説を紐解いても、エルフたちが覚えている数千年の歴史の中にすら存在しなかったという、イレギュラーな存在。
「誰もが、魔王を『突然変異の魔物』だと思ってた。だけど、実際は……」
「……人間、でしたね。正確には、『元』人間です」
「うん。……ボクと同じ、ね」
突然変異の魔物ではなく、人間の突然変異。
それが、魔王という存在の正体だった。
そしてそれは、魔女であるボクも同じだ。
「リーナ……もしかして……」
「うん、たぶんシアが思ってるとおりだよ。……ボクは自分が、新しい魔王になるかもって、不安に思ってる」
「っ……あり得ません!」
否定の言葉は強く、部屋中に響いた。
防音の魔法を施していなければ、きっと廊下まで聞こえてしまっていただろう。
大きな声は、それだけシアがボクを信用してくれている証であり、嬉しかった。
「……うん。ボクも、そうはなりたくないよ。でも……ボクは一度、魔王に近い存在だったんだ」
かつて、シアたちと出会う前の話。
ボクは一部の国から、懸賞金をかけられるような存在だった。
「それは……リーナがいろんな人に、追い回されて……仕方なく力を振るっていた結果でしょう? リーナの意思でそうなっていたわけでは……」
「ん……不老不死になる方法を、ボクが持っていると思われてたからね。実際にはボクが使ったのは不老不死になる魔法なんていいものじゃなくて、ただ自分の魔力で死なないための肉体改造の魔法だったんだけど」
まだ人間だったころのボクは、自分が持つ高濃度の魔力によって、死にかけていた。
それを克服するために、魔力によって自分の身体を造り替えたのが、今のボクだ。
つまり不老になったのはオマケみたいなもので、不老不死の魔法なんて夢物語のようなものは知らない。
ボクが魔女に成れたのも、魔力が異常なほど高かったお陰で、ほかの人を同じように魔女へと変化させることはできない。
「ボクと同じくらい強い魔力が無ければ、ボクと同じような存在には成れない……何度も説明したんだけど、聞いては貰えなかった。知りもしないことを無理やり聞き出そうとしたり、ボクの身体を解剖して調べようとしたり……いろんなひとに追い回されて、戦うしかなくなった」
そうして襲いかかってくるひとたちの中には、貴族や王族もいた。
差し向けられてきた兵士を返り討ちにしているうちに、ボクは『危険な存在』だと言われるようになった。
「……懸賞金がかかったのも、実際はボクを生け捕りにするためだったんだけど、お尋ね者になった以上は当然、ふつうのひとたちだってボクを危ないものだって考えるよね」
「っ……」
「実際、シアたちも最初はお尋ね者だからって理由でボクと戦ったんだし」
「……ごめん、なさい」
「あ、いやいや、もう気にしてないよ。むしろ、ああして出会えたから……今のボクが、あるんだからさ」
申し訳なさそうな顔をするシアに、ボクは笑顔で首を振った。
あの日、三人に出会って戦っていなかったら、今ボクはここにいない。
みんながボクと話して、一緒に行こうと言ってくれたお陰だ。
そうして魔王と戦うことを選んで、ボクは英雄のひとりになった。
まだこっそりと誰かから狙われることはあるけれど、普段は王都にいるのでこの二十年間はほとんどが平和な日々だ。
「でも、それでも……自分でも思うんだ。ボクは、魔王に成れる存在だって」
「それは……」
「出会ったときのこと、覚えてるでしょ? あのままだったらボクは、きっと……世界を恨むことになってた。というより、あのときで既にだいぶ恨んでた」
「…………」
否定されないということは、シアからもそう見えていたのだろう。
なにを言っても聞き入れて貰えず、身体を狙われて追い回される日々。
そんな状態で心が安まるはずもなく、あの頃のボクはひどく荒れていた。
「魔王と出会って、正体を知って、言葉をきいたとき……思ったんだ。この子は、ボクと同じだって」
「あ……」
「望んでもないのに追われて、傷つけられて、つらくて、寂しくて、怒って……気がついたら、世界の敵になっていた」
魔王は、『あの子』は、確かに世界の脅威だった。
魔物を従え、多くのひとを殺し、奪い、恐れられた。
だけどそのはじまりは、あの子が『魔王』に成ることを選んだのは。
「ボクには、シアたちが手を差し伸べてくれた。そして『あの子』の側には、魔物がいた。ボクと魔王の違いは、それだけしか無いんだよ」
人ではなく魔物に愛されたから、魔物とともに生きることを選んだ。
その結果が、魔王という存在だった。
魔王が世界の敵であったことは間違いない。だけど同時に、世界も魔王の敵だった。
だって、はじめに『あの子』を傷つけたのは、世界の方なのだから。
「……このことが知られたら後味の悪い話になる。なにより魔王が魔物を従えられていたのが人間が使う魔法のお陰だってことが分かったら、誰かが『魔物を操る魔法』を研究しはじめるかもしれない。だからボクたちは、このことを誰にも言わないことにした」
「……ええ、そうですね。なにより、『彼女』も……魔王も、それを望みました」
魔王の真実は魔王本人の同意もあって、伏せられることになった。
だから世界中の人々はなにも知らないまま、ボクたちの英雄譚を信じている。
邪悪な魔王を打ち倒した勧善懲悪の物語は、大なり小なりの尾ひれをつけながらこれから先も語り継がれ続けるだろう。
「いずれはそういうことを思いつくひとも出てくるかもしれないけどね。実際ボクも、魔王の魔法を参考にして『魔物除けの大結界』を作った。でも……あれは操るのじゃなくて、遠ざける魔法だから」
「もし、魔物を完全に操れるようになってしまえば……ほぼ確実に、争いに使われますからね」
「まあ、それを言い始めると、炎や水だって他人を傷つけることに使えるけど……でも、あの魔法は、『魔王』だから扱えたものだ。研究すること自体が危ないし、うまくいっても絶対にろくなコトには使われない。魔物を遠ざけるくらいなら便利だけど、操るのは……利用するため以外に、無いだろうから」
荷運びをする馬のように便利な労働力として使う、なんて、平和的な使われ方は絶対にしない。
魔王という、魔物を従えて世界を掌握しようとした存在の前例がいる以上、なおのことだ。
もしもそんな魔法が完成すれば、同じようなことが起きてしまう。そもそも、そんなことを研究する時点で平和利用が目的ではないだろう。
「話を戻すけど……ボクは、新しい魔王に成れる。その気になれば、今からでも」
「でも……リーナは、そんなことは望んでない……ですよね?」
「もちろん。せっかく頑張って平和にしたのに、それをわざわざ自分で壊したりしたくないよ」
本心から、シアの質問に頷く。
この二十年の平和を、悪いものだと思ったことは一度もない。
あの兄弟のように未だに幸せではない人がいることは分かっているけれど、それでも。
理不尽に戦いに巻き込まれて失われる命が大きく減ったのだから、成果は充分すぎるほどだ。
「……それでも、ボクは『あの子』のことがずっと忘れられないし、今も不安なんだ」
ボクによく似ていて、だけど決定的に違った、魔王という存在。
彼女が紡いだ言葉は、抱えていた想いは、かつてボクが思っていたことに近かった。
シアが、スタンが、ラッセルが『対話』を選んでくれなかったら、きっとボクはもうひとりの魔王になっていただろう。
魔王のように魔物を従えて世界を滅ぼすのではなく、たったひとりで魔法を振るい世界を滅ぼす孤独の王に。
「……スタンもラッセルも、いつかはいなくなる。王様も、ボクの教え子たちも……ボクの生きる時間にはついてこれない」
「あ……」
「もちろん、新しく出会えるひとたちもいるだろうけど……そのひとたちも、いずれは別れることになる」
「……ええ、そうですね」
「……不安なんだ。手を差し伸べてくれたみんながいなくなったあとの世界を……いなくなっていく世界を……そのときのボクが、どう思うのかが」
一度、ボクは世界を強く恨んだ。
それでも戦いたくないと願い続けたけど、叶わなかった。
ほとんどの相手を一方的に蹂躙できるだけの魔力があったけれど、ボクはずっと傷つけられるのも、傷つけるのも怖かった。
死ぬ怖さから逃れるために魔女にまでなったのに、今度は戦う怖さに逃げ回らなくてはいけなくなった。
そうして、みんなと出会うまでの数百年間、ボクはずっと恐怖に震えていたんだ。
「まして……世界は変わる。ボクが災厄から英雄になったように、いつかは英雄から災厄に戻ることだって、ないとは言えないでしょ? ボクが、望んでいなくても」
今はまだ、みんな魔王のことを覚えている。
魔王のいた時代を知らないひとたちも、覚えているひとたちから直接聞いている。
だけど五十年、百年、千年と経って、勇者たちの話が風化した伝聞でしかなくなったあと。
そうなってもまだ生きているボクが世界からなんと呼ばれるかは、分からない。
そのときのボクがなんと呼ばれ、それをボクがどう思っているのかが、たまらなく恐ろしい。
結局のところ、ボクはずっと怯えているのだ。
もしかしたら昔のように、追われる日々に戻るのかもしれない。
そしてそのとき、ボクは『彼女』と同じように、認めてくれない世界を滅ぼすという道を選ぶのかもしれない、と。
「……だから、シアに会いたかった。きっと、シアは変わらないって思ってたから」
シアは、純血のエルフだ。
人間や獣人と混ざっていないエルフは、数千年を平気で生きる。
歳をとらず、病気や怪我さえしなければ、命を落とさない。
「だから、会いにいったあの日……シアが昔と同じように、二十年前が昨日のことみたいな顔で、ボクを受け入れてくれたのが、本当に嬉しかったんだ」
思った通り、むしろ思った以上にのんびりした彼女の変わらなさに、安心して。
やっぱりシアのことが好きだって、強く思ったんだ。