「……そう、でしたか」
リーナの言葉は重く、そして私にもある程度は理解ができることだった。
純血のエルフである私にとって、『自分より隣人の方が先に死ぬ』というのは常だ。
そういったことを煩わしく思うからこそ、純エルフたちは自分たちだけの集落に引きこもったりしていて、私のように外に出るのはかなり珍しい。
私はそこですら認めてもらえない、出来損ないの半端ものだったけれど。
旅をしている中で出会った人々に久しぶりに会いに行けば随分と歳を取っていたり、場合によっては死んでいたり。
かつて訪れた場所にふたたび訪れたとき、その場所が大きく姿を変えてしまっていたりといったことは、私の人生の中ではいつものことだった。
……でも、リーナにとってそれは『はじめて』なんですよね。
生まれてからずっと、死にかけたり、追われたりしていた彼女にとって、景色や隣人を想う余裕なんてなかっただろう。
数百年生きてきてはじめて、リーナは『大切なものとの別れ』というものに向き合おうとしている。
そしてその上で、変わっていく世界の中で自分がいつの日か魔王になるかもしれないと、恐れている。
「……リーナの言うとおり、自分の意思とは関係なく、世界は変わります」
魔女であったひとが、いつしか英雄になったように。
かつて、ただの少女だったものが魔王として君臨したように。
あるいは、出来損ないのつまはじきだった私がみんなから受け入れられたように。
周りの見方や、世界は、簡単なことで変わっていく。
自分の意思で決めたことすら、他人からすれば『勝手に決まった』ことだ。
かつて緑だった大地が砂漠になることも、地上だった場所が海に沈むことも、なにもおかしなことではない。
「でも、変わらないものもありますよ」
「それは……ボクや、シアみたいな存在のこと?」
「命の長さだけの話ではありません、いろんなことです。たとえば……スタンが私たちを嫌うところ、想像できますか?」
「……ぜんぜんできない。スタン、ボクたちのことぜったい大好きだもん」
「ええ、私もできません。……では、ラッセルが宗派を変えるところは?」
「いや、ぜったい無いね。世界がひっくり返ってもないと思うよ」
リーナの返事ははっきりとして、彼女がスタンとラッセルという存在をよく理解して、信頼しているのだとよく分かる。
「まあ、それだって私たちが思っているだけかもしれませんけど……でも、ぜったいに変わらないだろうなって思えるものや、実際に変わらないものは確かにあります」
世界は変わり、命は終わり、私たちは取り残されていく。
あるいは、私たちが隣人たちを取り残していくのかもしれない。
それでも、変わらないものはきっとある。
私が覚えているみんなとの想い出が、かつて見たいろんな景色が、今でもまぶたの裏できらきらとして、色褪せていないように。
「では……リーナは私のこと、いつか嫌いになったりします?」
「ならないよ! ボクがシアのこと嫌いになるなんて、ぜったいないもん!」
スタンやラッセルのことを聞いたときよりもさらに強く、迷いのない言葉。
彼女自身のことを聞いたのだから、当たり前だろう。
それでもびっくりするほどの即答に、ふ、と唇が緩む。
「ええ、私もなりません。リーナのことが大切ですから、嫌いになんてなれません。でなければ、こうしていっしょに旅をしたりしませんよ」
そして私もまた、自分のことだからはっきりと言える。
私がリーナを嫌いになるなんて、あり得ないことだと。
「……自分の気持ちは、変わりません。いえ、正確には、『変えることを選べる』というのが正しいですね。世界からの見方や言葉みたいに、自分の意思とは関係なく変わるものではない、自分で決められることからです」
「あ……」
「そうして作ってきた信頼もまた、そう簡単には変わりません。私たちがスタンやラッセルを……そして、私たちがお互いを、信じているように」
選び取れるのは、いつだって自分の気持ちと行動だけ。
逆に言えば、それだけは自分で選ぶことができるのだ。
たとえその結果、周りの受け取り方が望んだものではなかったとしても。
「かつてのあなたのように、いつかの私のように……望んでいないのに、嫌な環境に置かれることだってあります。それでも、リーナは私たちと旅をすることを選んでくれました」
「それは……みんなが、いっしょに行こうって言ってくれたから……」
「でも、そうしない選択もありました。手を伸ばすことを選んだのは私たちですが……その手を取ることを選んで、踏み出したのは、あなたですよ」
「……ん」
ひかえめに、けれど確かに、リーナは頷いてくれた。
彼女は優しい。私たちとはじめて出会ったときだって、リーナは私たちを殺そうとはしていなかった。
多くの他人に命を、身体を狙われ、害されても、彼女は自分が壊れる寸前まで他人から奪おうとはしなかった。
それは彼女が、優しい道を選べるひとだからだ。自分の痛みを、誰かに与えたくないと想える彼女だから、私たちは話をしたいと思った。
「……それでも、不安なのは分かります。私も、同じですから」
自分では見えない、己の瞳の色。
この色を、何度恨んだことかわからない。
考えると未だに、あるはずのない痛みを胸の奥に感じる。
もう聞こえるはずもない、同族たちの冷たい声が聞こえてくる。
何百年も変わらない、思い出すだけでこみ上げてくる気分の悪さを、私は飲み込んだ。
「……多くの人から英雄と呼ばれても、リーナたちがどれだけ私を認めてくれても、私は自分の紅い目を好きにはなれません」
友人から声をかけてもらって、多くの人に感謝をされて。
それでも私は、自らの生まれ持ったこの目を疎ましく思ってしまう。
この目があったからこそ大事な仲間たちを肩を並べ、魔王と戦えたのだと分かっていても。
かつて同族たちに向けられた嫌悪の視線は、生まれを呪ったという事実は、いつまでも私の心の奥底に突き刺さって抜けないままだ。
「……リーナ。あなたが良ければひとつ、約束をしたいんですけど、良いですか?」
「それは……どんな約束?」
「……お互いが不安に思っていることを、隠さないことです」
私の言葉に、リーナが目を見開く。
紫色の、宝石のような瞳を綺麗だと思いながら、私は続きを口にする。
「たぶん……私たちには、そういうのが必要な気がします。お互いに、自分の気持ちを……いいことだけではなく、悪いところも隠さずにいることが」
かつての旅は、私にとって間違いなく大事な想い出だ。
だけどその中でも、私は仲間たちに己のもっとも大きな不安を打ち明けられなかった。
その結果、最後には黙ってみんなの側を離れていくという、不義理をしてしまった。
「私は、この紅い目が好きになれません。未だに、子供っぽく……生きる理由なんて求めている、自分のことも」
「ん……」
「でも……それでも、リーナが私の目や、私のことを好きだと言ってくれると、すごく心が軽くなるんです。ほんの一瞬、自分への痛みや、気持ち悪さを忘れられるくらいに」
恋とか愛とか、そういったもの以前に、リーナの言葉はあたたかくて、嬉しい。
当たり前のことだ。だって自分が信頼している相手から好きだと言われて、嬉しくないはずがない。
「……これからは、私もそれを隠しません。不安なときは素直にいって、リーナに慰めて貰います」
「シア……」
「だから、リーナも隠さないでください。あなたが自分がいつか魔王になるかもって不安になるたびに、私がきっと否定します。リーナは優しい良い子だから、そんなことにはならないって言って……ほんの少しだけでも、心を軽くします」
それがたとえほんの一瞬の慰めだとしても。
私たちにとって対等な立場でそれができる相手は、ものすごく貴重だ。
いつまでも自分たちのことを覚えていて、同じ時間に生きていてくれる対等な存在だから、できることなのだから。
「えっと……まとめると、ですね。かっこつけるのはお互いやめて、素直にいましょうってことです。前みたいに、魔王を討伐する、なんて大きな目標もないですからね」
正直に言葉にすることで、みんなに呆れられたくないと怖がった結果、私は大事な仲間になにも告げずにいなくなってしまった。
今度は、そんな不義理をしたくはない。自分のことは好きになれなくても、信じ切れなくても、リーナのことは信じられるし、大好きだから。
そしてそれが、リーナも同じだというなら。彼女が私で良いと言ってくれるなら、側にいたい。
彼女がそうしてくれるように、私も彼女の不安をほんの少しでも取り去ってあげたい。
「……それで、どうでしょう? これが私がリーナと結びたい、約束です」
「……いい、の? ボク、たぶん……面倒くさいと思うけど」
「それを言うなら、私も面倒くさい性格をしていますから。それに……リーナと出会った中で一番大変だったのは、あなたを旅に誘うことですよ。私たちはあのとき、災害の雨みたいな魔法の隙間をぬけて、あなたに話しかけたんですからね。死ぬかと思いました」
「ん……そっか。確かに、そうかもね」
半分冗談交じりでの私の言葉に、リーナは笑ってくれた。
……実際、あのときは大変でしたけどね。
あれは私たちの旅において、はじめての大きな試練だったように思う。
その後も、リーナはしばらく警戒が解けなかったし、何度もラッセルと喧嘩して飛び出したりと、いろいろと手を焼いた。
それでも、私は彼女を大事に思っている。あの日、彼女の言葉を聞いて、心を知って、良かったと思ったから。
あの日はじめて、私は魔力を持たない代わりとして己の瞳に宿った力に、心から感謝したから。
「……約束、いいですか?」
「うんっ。……約束、したい」
「じゃあ……小指、ですね」
「ん……ユビキリ、だっけ?」
「ええ、東の国の、おまじないです。昔、教えましたよね」
昔の話を覚えてくれていたようで、リーナは小指をこちらに差し出してきてくれる。
私よりも細く、綺麗なリーナの小指に、私は己の小指を結んだ。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら焼けた石食べさせる、っと……」
「久しぶりに聞いたけど、その風習怖すぎない……? シアに嘘ついたりしないから良いけど」
「たとえというか、それくらいの気持ちで約束を守りましょうって意味ですよ。……数百年前は本当にしていましたが」
「あ、してる時期はあったんだ……」
「ありましたよ、もうずっと昔の話ですが」
いつか、こういう想い出も彼女とふつうに共有できるようになるだろう。
そんなことを考えながら、私は少しだけ自分よりも冷たいリーナの小指の温度を感じるのだった。
「……それはそれとして、告白の返事は?」
「うっ、それはそのっ……」
「ふふ、冗談だよ。……今はこの約束だけで、充分すぎるほど嬉しいから」
リーナは可愛らしく、悪戯っぽく微笑んで、少しだけ深く小指を絡めてきた。
やや上がった心音を自覚しながら、私はちょっとだけ胸をなで下ろす。
小心者の私には、今ので今日の勇気は品切れだ。
「……お腹すいちゃったね。ご飯食べに行こうよ、シア。二十年でいろいろお店も出来たからさ」
「へ、もう私たちパジャマなんですけど……」
「着替えればいいでしょ。まだラッセルが来てないから同窓会出来なくて、旅の支度も急がないから明日でも良いし。今日は気分よく、美味しい物食べて寝たいの。……ダメ?」
「……いいえ、ダメじゃありませんよ」
リーナの顔に明るい笑みが戻ったことで、私の心は軽くなる。
上機嫌になった彼女の誘いを受け入れ、私は着替えはじめるのだった。